第二十四話 『妖精の加護と浮かび上がった謎』
――翌朝。
目を覚ました俺が真っ先に行ったことは、自身に【生命癒術】を使うことだった。
「――うん。これで問題なさそうだな」
自分の身体に異常がないことを確認した俺は、備えつけてあった水瓶を使用して顔を洗い、傍にあった布で身体を拭く。
その後は軽く身嗜みを整えてから、扉を開けて食堂へ向かう。
食堂には既にガレフを始めとしたノルダール伯爵家の面々に加え、エルザとエルリックもテーブルの席に着いていた。
妖精達は流石に数が多いのでこの場には居ないようだ。
「お早う御座います。遅くなり、申し訳ございません」
「うむ。ああ……いや、気にする必要はない。
……それよりも、もう動いても大丈夫なのか?」
遅れて入ったことをガレフに謝罪すると、昨日の状態を見ているガレフは俺に気遣いの言葉をかけてきた。
廃墟と化した町に行く際にミルノを同行させてくれた事といい、エルザの祖父だけあってやはり根は優しい人物のようだ。
俺は自然と口元に笑みを浮かべて礼を言う。
「えぇ、この通りもう大丈夫です。お気遣い頂き、有難うございます」
「そうか、ならばよいの、じゃ――! フンッ! ならばさっさと席に着かんかっ」
「ふふ、失礼します」
心配していることを悟られたくなかったのか、やけに大きな声でガレフは横を向いて手をシっシっと振り、席に着けと合図する。
顔を若干赤くしているガレフの横顔に苦笑しつつ、俺はエルザの隣の席に着く。
それから朝食を済ませ、食後の紅茶を頂いているとガレフが話しかけてきた。
「昨日の出来事についての大凡はミルノから報告を受けておる。
まさか魔族が絡んでおったとはのう……。
現在の魔王は、魔族にしては珍しく争いを好まぬと聞いておったのじゃがな」
「そうなのですか?」
「うむ。確かナーザ・ヴェルスディアと言う名前でな。
四百年前の大戦で討伐されたゼノス・ヴォルデモートの後に魔王となった男じゃ。
力が全てという魔族において、他種族への戦いを禁じるという変わり者として有名な男よ」
「それはまた何というか……酔狂ですね」
「じゃろう? この四百年の間に人族同士の争いは幾度かあったが、一度として魔族が侵攻してきたことはなかったのじゃ。
それどころか、バルフレア大陸で魔族を見たという報告すら、この四百年無かったのじゃ。
じゃからこそ、今回の妖精誘拐の黒幕が魔族というのが俄には信じられん……」
そう言いながら渋い顔で腕組みをして唸るガレフ。
と、そこへエルザが口を挟む。
「でもお祖父様。マモンと名乗っていた女の特徴は、伝え聞いていた魔族そのものでした。
それに、何よりあの禍々しいまでの魔力は魔族としか思えません」
「むぅ……。確かに魔物を使役することが出来るのは、魔に連なる者だけと聞くからのぅ。
魔族じゃとすれば、何の為に魔力を集めていたのかというのが非常に気になってくるのぅ」
「確かに……」
――今まで大人しくしていた魔族の目的。
皆で考えを巡らせるものの、今まで目撃情報すら無かった魔族が、何を考えて行動していたのかなど思いつくはずがなく、皆顔を曇らせる。
最終的には、今後は魔族の動向には注意しようということでその場は落ち着いた。
「ノルダール伯爵領で魔族の目撃情報があれば、ミルノを通じてお主達に知らせるようにしよう」
「有難うございます」
「ふんッ、可愛い孫娘の為だからじゃ! 勘違いするでない」
「フフっ、有難うございます、お祖父様」
◇
その後は身支度を整え、ガレフ達に別れの挨拶をした後、定期便の馬車に乗る為にダーニックの門へと向かう。
ガレフは伯爵家の馬車をやろうと言ってくれたのだが、丁重にお断りを入れた。
銀をあしらった馬車なんて、とてもじゃないが管理に困る。
門の前に着くと既に定期馬車が停まっていた。
馬車に乗ろうとすると、見送りに来てくれていたミルノがエルザに声を掛けてくる。
「エルザ様、一つお耳に入れておきたい件が御座います」
「あら? 一体何かしら?」
「シャルローネ様のことで御座います」
「!? お姉様のことですって? ……居場所が分かったの?」
「そこまでは流石に分かりませんでした。
ですが、今から三ヶ月前に北の大国、グリフィンシェル帝国でシャルローネ様を見かけたという情報が、従者より入ってまいりました」
「帝国でお姉様を……。ありがとう、ミルノ。助かったわ。
また何か情報が入ったら教えてちょうだい」
「畏まりました。では皆様、道中お気をつけて」
「ええ、ミルノも元気でね」
そして馬車はヴェルスタットに向けて走り出した。
◇
馬車がある程度進んだところで、俺は先ほどから気になっていたことをエルザに尋ねる。
「なぁ、エルザ。さっきミルノさんが言っていたシャルローネって誰なんだ?」
「あれ? 言ってなかったかしら? お姉様はね、クロムウェル侯爵家の長女よ」
「クロムウェル……あぁ! 王都で聞いた行方不明の侯爵家の長女か! ん? でもエルザは今お姉様って……?」
「えーとね、クロムウェル侯爵家とノルダール伯爵家は親戚関係にあるの。
お祖父様の亡くなった奥様、つまりは私のお祖母様がクロムウェル侯爵家の血筋で、小さい頃から良く遊んでもらっていたわ。
ヴェルスタットに着いたばかりの時には、私が貴族なのは内緒にしてたから、今まで言えなかったの。
ゴメンね」
「ああいや、そこは気にしなくていいさ。
確かに行方不明になったのが親戚の人だったら心配だもんな」
「それもあるんだけど、探す理由は他にもあって……。
お母様の行方を知ってる可能性がお姉様にはあるの」
「シャルローネさんが? 何で?」
「お姉様はね、ヴェルスタット王国の現剣聖なの。
お母様に師事していたことがあるから、もしかしたら連絡を取り合ってる可能性もあるわ」
「シャルローネさんが……剣聖?」
エルザの言葉に、俺は驚きを隠せなかった。
凄腕の騎士と冒険者達が話をしていたが、まさか剣聖とは……。
「ええ。だから直ぐにとは言わないけれど、落ち着いたら帝国に行きたいんだけど――」
「そんなこと勿論構わないさ。力を貸すって言ったしな。
なぁ、兄さん?」
「あぁ、王都に戻って落ち着いたら、帝国に向かおう」
俺の問いかけに、当然とばかりに頷くエルリックとそれを聞いて満面の笑みを浮かべるエルザ。
「二人とも、ありがとう!」
◇
二日かけて王都に到着した俺達だったが、今いる場所は冒険者ギルドでも宿屋でもない。
遠くに向けた視線の先には、うっそうと茂った原生林。太い木々が直立し、その見事な枝を大きく広げていた。
そう、今俺達がいる場所はアニエス大森林だ。
ここに来ている理由は至極単純である。
何故なら、百近い数の妖精を連れて王都の中を歩き回るなど、自殺行為に等しい。
王都には、妖精目当てに馬鹿なことをしでかす輩が少なからず居るからだ。
流石に三人で守りきるには無理があり、王都に到着して直ぐに森に向かってきた。
妖精達もこの二日で随分回復したようで、自分達で飛べるようになっている。
無事に森に帰って来れたのが嬉しいようで、皆一様に笑みを浮かべながら俺達の周りを飛び回っていた。
俺達も思わず笑みが溢れる。
妖精達と森の中を進んでいくと、俺の元へリルとファラが近づいてきた。
「カーマイン、本当にありがとうっ」
「エルザとエルリックもありがとうね!
三人のおかげで皆無事に帰って来れたよっ」
「「「「ありがとうっ!」」」」
二人の言葉に呼応するかのように、他の妖精達も口々にお礼を言ってくる。
「俺達が助けたいと思って助けたんだ。気にしなくていいさ」
「そうよ。気にすることはないわ」
俺とエルザの言葉にエルリックも笑って頷いてみせる。
すると、そんな俺達の態度が嬉しかったのか、リルが妖精達を代表して話し出す。
「ううん、こんなに私達に対して優しい人間は見たことないものっ。
だから三人にお礼をさせて欲しいの!」
「お礼? 一体何を――」
「皆、準備はいい? いくよっ」
リルの合図とともに、その場に居た全ての妖精が淡い光に包まれる。
これは――どうやら魔力のようだ。
妖精達から放出された魔力が、少しずつ俺達三人の方に流れ込んでいき、俺達の身体も淡い光に包まれていく。
暖かい何かが身体の内側に染み込んでいくのが分かる。
同時に俺の中にある魔力が高まっているような気がした。
数十秒ほど続いただろうか。妖精達が発していた光が収まる。
「これで良しっと! 私達の魔力を少しだけど三人に分けたよっ。
魔族に吸い取られちゃったばかりだから、そんなにあげれなかったけど、それでも多少は力になると思うんだっ」
リルの話によると、【妖精の加護】と言って、対象者の魔力を底上げし、能力や魔法の効果を永続的に上昇させる効果があるそうだ。
俺達は目を大きく見開いた。
衰弱するまで魔力を吸い取られたばかりだというのに無茶しやがって……。
形容し難い心の動きに俺は襲われる。
「リル、ファラ、それに皆も……有難う。分けてもらったこの力、大切に使わせてもらう」
エルザとエルリックも力強く頷いてみせる。
それを見たリルや周りの妖精達は、皆満足げに笑っていた。
◇
妖精の村に到着すると、妖精達はアニエス大森林に張られていた結界を張り直す作業を開始した。
待っている間にリルが、村の最奥にある大地の神殿へ案内してくれるというので、リルの後ろをついて行く。
――そこは白亜の神殿と呼ぶに相応しい荘厳さと気品を兼ね備えていた。
黄金比に基づいて建設されたであろう、目の前の神殿は上下左右が一寸の狂いなく、美しい調和が保たれている。
神殿の中も同じで全てが素晴らしいの一言に尽きる。
内部の基調は白で統一されていて、壁には大地の女神の紋様が十メートルおきに描かれていた。
そして一番奥には大地の女神アニエスの像が祀られている。
アニエス像の表情は微笑を称えており、俺達を見守っているような錯覚に襲われた。
その余りの美しさに俺達は言葉なく目を奪われていたのだが、リルが何かに気づいたように首を傾げる。
「あれぇ? おかしいなぁ」
「どうした? 何か変わったところでもあるのか?」
「うーんとね。アニエス様は普段この神殿に居て、世界を見守っているの。
いつもならこの像からアニエス様の気配を感じるんだけど、それが今は全く感じないの」
「――アニエス様の気配を感じない?」
「うん……。今までこんな事は一度もなかったんだけどなぁ。
どこかに行っちゃったのかな?」
リルの言葉に俺の心は言いようのない不安が広がっていく。
隣りに目をやるとエルザとエルリックも同じなのか、青褪めた表情を浮かべていた――。




