第二話 『脱出、そして国境門へ』
私とアルフォンスが城を出る準備を進めて三日、兄のアレクとグレイが宰相や大臣と共にカンザス砦に視察に行く日がやってきた。
部屋の窓から城門前を眺めていると、それぞれが馬車を準備し、その脇には護衛騎士が整列している。
アレクの乗る馬車には宰相が、グレイの乗る馬車には大臣が乗るようだ。
周囲を守る護衛騎士は百名以上はいるだろうか? たかが視察だというのにご苦労なことだ。
カンザス砦までは、馬車でせいぜい三時間程度の距離だというのに随分と物々しい。
お互いを牽制しあっているのだろうが、ついていく護衛騎士達の方はたまったものではないだろう。
二人は馬車に乗る前でも何やら言い争いをしているようで、遠目から見ていても罵り合っているのがよく分かる。
「はあ……」
兄達を見るのもこれで最後かもしれないというのに、私の口からは溜め息しか出てこない。
今、城門前で繰り広げられている光景からは想像もつかないが、私が産まれる前は母上を交え、お互いがお互いを協力し助け合う、それは仲の良い兄弟だったそうだが、今の状況を見ている限りでは、とてもじゃないが信じる事など出来ない。
私を産んで母上が亡くなってからは、宰相が第一王子であるアレクの、大臣が第二王子であるグレイのお目付け役となり、それから徐々に二人の仲が悪くなっていき、いつの間にかお互いがいがみ合うようになった、とアルフォンスから聞いたことがある。
どうやら、宰相と大臣は以前から公国内における主導権を握りたかったようで、その権力争いに勝つ為の神輿、はっきりと言えば道具として二人の兄達は巻き込まれた形だ。
二人の兄達の周囲に、他に頼るべき者が決して居なかったわけではなかったのだろうが、国の重鎮である宰相と大臣に逆らえる者などいるはずもない。
本来宰相達を諌めるべき父上も、最愛の人を失った悲しみを隠す為か政務に没頭し、私を含めた王子達を省みることはせず、教育に口出しをしてくることもなく、会話も必要最低限のものしかしていなかった。
私の場合は、母上が亡くなった原因とも言えるのだから、特に関わりたくなかっただろう。
しかも、三人の王子の中で私が一番母上に似ていたようで、物心ついてから父上と顔を合わせた事など数える程しかない。
二人の兄達が当時七歳と幼かったせいもあるが、宰相や大臣以外に頼るべき相手がいない状況で、『貴方こそ次の王に相応しい』、『王子の居ないところでは貴方の悪口ばかり言っておられます』などと、あることないことを十五年間も吹き込まれていたのだ。
いくら仲の良い兄弟でも影響は受けるだろうし、いがみ合うようになるのも無理からぬことではある。
それに関して兄達を同情する気など微塵もないが、ある意味では感謝している部分もあるのだ。
何故なら、幼い頃から二人の兄達や周りにいる者達の醜い面を間近で見てきた為、物事を客観的に見ることが出来るようになり、私自身も見つめ直すことができた。
要するに、兄上達を反面教師として、『私は絶対にあのようにはならない』と自分を戒めることが出来たのだから、その一点においてのみ彼らには感謝している。
幼少期の経験が無ければ、きっと私は城を出ようなどとは思わなかっただろう。
◇
「そろそろか」
兄達がカンザス砦へ出発して、一時間ほど経った。
今から城を出れば少なくとも追いつかれることはないだろう。
「カイル様。手薄になったとは言え、城内はまだ騎士や文官が多く残っております。
どうやって抜け出すおつもりですか?」
「それについてはもちろん手配済みだ。
ほら、城門付近を見てみろ。何が見える?」
「城門ですか? 城に向かってくる馬車が見えますね……ん?
馬車から降りてきたのは商人のようですが……もしやあの者をお使いに?」
「そうだ。あの商人はこの城に出入りしている商人のうちの一人でな。
宰相や大臣の息がかかっていないことは既に確認済みだ。
商人用の服を二着用意してもらっているからそれに着替えた後、商人と共に馬車で城から出る。
幸い、私の部屋から城門までは人目も少ないし、簡単であろう?」
商人の馬車は三日に一度城を訪れる。アルフォンスに城を出る話を持ちかけた翌日が、ちょうど商人が来る日であったというわけだ。
元々、その商人からは公国内で起こっていることや周辺国で起こっていることなどの情報を時々得ており、今回のことも協力を取り付けてある。
「いつの間に……カイル様には驚かされますな」
私は目を丸くしているアルフォンスに、ニヤリと笑みを浮かべる。
「何かを為したいと思ったのであれば、いつでも行動に移せるように事前に準備しておくのは当然のことだろう?」
◇
コンコンと扉をノックする音がした。どうやら商人がやって来たようだ。
『カイル王子。ドミニクでございます。
入ってもよろしいでしょうか?』
「許す。入っていいぞ」
『失礼致します』
扉を開け、商人であるドミニクが入ってきた。
年齢は確か、三十歳だったか。スラリとした体型で、身なりは城に出入りすることが出来るだけあって小奇麗にしており、髪も整髪剤をつけているのか七対三でキッチリと整えてられている。
眼鏡をしており、眼鏡の奥の瞳は一見すると穏やかに微笑んでいるようなのだが、商人特有のギラギラしたものを感じさせていた。
「急に無理を言って済まないな、ドミニク」
「いえいえ、カイル王子にはこれまで色々ご贔屓にして頂きましたので。
こうして城でお会いすることが出来なくなるというのは、非常に残念ではございますが、またどこかでお会い出来る機会もございましょう。
では、こちらがご依頼のあった品です」
ドミニクは、商人用の服一式を私とアルフォンスに渡しながら、にこやかに笑いかけてきた。
「そう言ってもらえると助かる。アルフォンス、着替えるぞ」
「はっ」
私とアルフォンスは、素早く今身につけている服や鎧から商人用の服に着替える。
◇
「……アルフォンス。其方全く似合っておらぬぞ?」
「それはカイル様もですよ……」
アルフォンスは護衛騎士を務めているだけあり、身体がガッチリと引き締まっているせいで。
私は母上譲りの顔立ちのせいだろう、二人とも商人にはまるで見えない。
それでも商人用の帽子も被っている分、すれ違ったり、一瞥しただけでは私達だと気付かれない、と思う。
良いアイデアだと思ったのだが……
「まぁまぁ。先ほどのお姿で馬車に向かわれるよりは目立ちはしないでしょう。
あまり猶予もないことですし、人目の少ないうちに城を出ましょう」
ドミニクの言葉でハッと我に返る。
そうだ、今は悔いている場合ではない。時は有限なのだ。
「そうだな。ここからは時間との勝負だ。行くぞ! アルフォンス」
「はっ!」
私とアルフォンスはドミニクの後に続いて、部屋を出て一直線に城門前の馬車を目指す。
途中幾人かの文官や騎士とすれ違い冷や汗を流すが、特に呼び止められる事もなく馬車まで無事にたどり着くことに成功する。
そのまま馬車に乗り込むと、ドミニクは素早く御者に合図して馬を走らせ、城門をくぐり抜ける。
五分ほど馬車を走らせると、馬車の窓からはスレインの城下町が見えて来た。
綺麗に舗装された道に石造りの町並みが美しく映えており、貴族に平民、冒険者、商人に奴隷など、様々な身分の者達が道を行き交い賑わっている。
流石に公国内で一番大きな町だけあって、通りには活気があるようだ。
更に十五分ほど馬車を走らせると、町から出るための四つの門の一つである東門と、城下町を囲う外壁が見えてきた。
外壁の高さは十メートルはあるだろうか。見事な石造りで、多少の攻撃を受けたくらいでは破壊する事は出来ないだろう。
それぞれの門には門番が四名ずつ配置されており、通常であればここでの人の出入りは厳しくチェックされる。
危険な犯罪者を引き入れたり、逃がしたりするのを未然に防ぐためだ。
門番に私の顔は知られてはいないが、調べられると面倒なことになる可能性がある。
どうするつもりだとドミニクに聞こうとすると、ドミニクは素早く馬車を降り、門番のもとに向かって何かを握らせている。
何かを受け取った門番は、一瞬ニヤっとした表情を見せたものの直ぐ引き締め、何事も無かったかのように私達が乗っている馬車に通るよう促す。
……賄賂か。ほんの一瞬、何とも言えない気持ちになるが、仕方のないことだと頭を切り替える。
おかげで特に荒事もなく抜け出す事が出来たのだから。
◇
城下町を出て街道を走らせること三十分、ドミニクが軽く息を吐く。
「ふう。まだ安心は出来ませんが、ひとまず何とかなりましたな」
「あぁ。ここまで来れば気づかれたとしてもそう易々とは追いつけまい。
礼を言う、ドミニク」
「もったいないお言葉でございます。
後二時間ほど馬車を走らせれば、私の店のあるトラヴァスの町に到着致します。
町で服を商人用から冒険者が装備しているものに着替えて頂き、馬車から馬に乗り換えて頂きます。
どちらも、私の店にご用意しておりますのでご安心下さい。
トラヴァスから更に二時間ほど馬を東に走らせれば、ヴェルスタット王国の国境門に到着致します」
「何から何まですまぬな」
「何をおっしゃいます。その分の代金は頂いております故」
私とドミニクのやり取りを聞いていたアルフォンスが一抹の不安を感じたのか、小声で話しかけてくる。
「カイル様。ここまで来てしまっている状況で聞くのも失礼かとは思いますが……このドミニクという商人は信用出来るのですか?」
「心配するな、アルフォンス。
ドミニクは私に嘘をついていないし騙すつもりもない……私には断言出来るだけの確証があるのだ」
「それは……顕現した能力の一つという事ですか?」
「うむ。詳しくはまた説明するので今は省くが、少なくともドミニクに関しては問題ないから安心せよ」
「はっ。承知致しました」
◇
およそ二時間後、無事トラヴァスの町に到着した私達は門を見上げる。
町を囲う壁の高さは、五メートルくらいだろうか。スレインの城下町と比べていたら、ドミニクによると壁の高さも町の広さもスレイン城下町の約半分位だそうだ。
入口は東西の二箇所だけで、門番も二名だけ。ここでもドミニクが門番に何かを握らせて、門を自由通行にしてくれた。
トラヴァスの町は、道や建物の造りに至るまでスレインの城下町にとてもよく似ていた。
但し、人通りはスレインの城下町とは違い、歩いている者の殆どが平民と冒険者で占めている。
理由としては、スレイン公国は貴族の数がそれほど多くはなく、城下町に下級や中級の貴族が集中している。
城下町以外では公国内に点在している町の領主くらいであるということが一つ。
奴隷については基本的に高価で、購入出来るのは中級以上の貴族か商人の中でも富豪と呼ばれる人々であること、冒険者でも購入出来なくはないが、ランクがA以上のランカークラスの稼ぎがあるものでないとまず無理だろう。
こんな時でなければゆっくり町を見て回りたいところではあるのだが、残念ながら今の私達にそんな余裕はなかった。
◇
町の中心付近まで行くと、そこには一際大きな店が建っていた。
どうやらこの店がドミニクの店のようだ。
店の中に入るとかなりの広さで武器、防具、装飾品、服飾品、雑貨など何でも置いてある。
しかも種類ごとに陳列してあり、とても分かりやすい。
「儲かっているようだな、周りの店が霞んで見えるぞ。
良い店ではないか」
「お褒め頂き有難うございます。
ですが、まだまだこれからの店でございますよ」
ドミニクは謙遜しているものの、これだけの大きさの店は城下町でもないだろう。
にもかかわらずまだこれからだというのだから商魂たくましいものだ。
「カイル王子、本来であれば店でゆっくりして頂きたいところではございますが、そうも言ってはおられぬでしょう?
こちらに冒険者用の装備一式をご用意しておりますので、お着替え下さい」
「すまぬな。アルフォンス、奥で着替えるぞ」
「はっ!」
店の奥の部屋を借りて、アルフォンスと商人用の服装から冒険者用の装備に着替える。
上半身はレザーアーマーにレザーガントレット、下半身はレザーブーツと革尽くしの装備だ。
簡素なものではあるが、これから冒険者になろうというのだし、ランクが低いうちから良い装備をしていても目立つだけなので、これくらいがちょうどいい。
武器の方も使い勝手のいいロングソードだし、誰がどう見ても駆け出しの冒険者に見えるだろう。
いや、流石にそれは言い過ぎか。アルフォンスとお互いの姿を見比べて軽く苦笑する。
着替えが終わると、ドミニクに店の裏にある、馬を繋いでいる場所に案内された。
「こちらの馬二頭をお使い下さい。
後、東門の門番にはドミニクの使いだと言えば通してくれるはずです」
「重ね重ね世話になったな、ドミニク。
ここまで協力してくれたこと、感謝する」
私はそう言って軽く頭を下げると、ドミニクが息を呑んだまま唖然とする。
「カイル王子、頭をお上げ下さい!
王族の方に頭を下げられるなど生きた心地が致しません」
「フッ、私はもはや『元王族』だぞ。
それにだ、これからは王族ではなく一介の冒険者となるのだ。
頭を下げることもあるだろうし、当然この言葉遣いも変えねばならぬだろう。
もちろんアルフォンス。其方もだぞ?」
「分かっております。難しいとは思いますが、見事冒険者になりきってみせましょう」
「うむ。ではドミニク。
本当に世話になった。またいつか会えることを願っている」
「私こそまたお会いできる日を楽しみにしております。
どうかお気を付けて」
馬に跨り、ドミニクに別れを告げて東門へ向かう。
ドミニクに言われたとおりに東門の門番にドミニクの使いであることを告げると、簡単に門を通してくれた。
◇
トラヴァスを出ておよそ二時間。
休むことなく馬を走らせた私とアルフォンスの目の前に、スレイン公国の城壁よりも更に高くそびえ立つ壁が見えてきた。
どうやらここがヴェルスタット王国の国境門のようだ。