―始まり―
―始まり―
―――満月の夜は、人ならざる者の力が満ち溢れる夜。
今宵も、満月の魔力に魅入られた妖が闇の片隅で蠢いていた……。
「いやっ!!来ないで!!!」
「俺から逃げれると思うか、人間」
一匹の妖に追い掛けられている少女は息を切らしながらも必死に走った。
何故私がこんな目に…?!
心の中で何度も浮かぶ疑問。
今夜はいつもより、ゼミの帰りが遅かっただけ、ただそれだけなのに。
なのに、何でこんな恐い思いをしないといけないの?!
走り続けてる所為で、体力はもう限界だった。
だが、ここで止まるわけにはいかない。
止まれば、確実に捕まってしまう。
それだけは、何としてでも回避しなければ。
その思いだけが、走らせていた。
しかし、神は冷たかった。
「……っ!!!」
走りこんだ先が、行き止まりだった。
すぐ後ろには奴がいる。
もう逃げる場所がない。
「どうした?もう鬼ごっこはお終いか?」
にやりと薄気味悪い笑みを浮かべてじりじりと近寄ってくる奴に、少女はジワリと涙を浮かべる。
もう駄目だ、私は殺されてしまう。
絶望と恐怖が、少女を更に貶めた。
「さぁって、どうやって料理してやろうかぁぁ?」
妖の手が少女に触れようとしたその時。
ドカッ!!
一本の短剣が少女と妖の間を通り、壁に刺さった。
「誰だ、邪魔するのはぁぁぁ?!」
「―――私の仕事を増やさないで貰いたいものだな…雑鬼?
力を得るために人を襲うとは…雑鬼の風上にも置けない」
凛とした声が、あたりに響く。
その声の主は、妖の後ろに現れた。
月の光で青く輝く青銀の髪が風で靡き、少女の紫暗の瞳が妖を冷たく見据える。
闇と月を背景に佇むその姿は、正に堕天使。
少女の登場に、妖は一瞬怯んだ。
「貴様……誰だ?」
「おや、私をご存じない…?紫水家…と言えば、分かっていただけるかな?」
「紫水…家だと…?!」
驚愕のあまり妖はその場から動けなくなってしまった。
「知ってるようだな。では、態々言わなくても分かってるだろう?」
ニヤリと不敵に笑う少女に、妖は冷や汗を掻き、後ずさる。
「紫水家…俺たちの間じゃ有名だ…」
「そうか、有名になったものだな。―――聖苑、彼女の保護を頼む。こんな雑魚、私一人で十分だ」
少女の声に、青年―聖苑は軽く頷き、恐怖のあまり地面に座り込んでいる少女を抱き上げ、何処かへ避難した。
「さて、ここからが本番だな。私がここにいる…その意味はもう察しが付いてるんだろう?」
「当たり前だ…紫水家は…俺たち妖にとって天敵だからな」
「そうか。だが、勘違いをするな。私たちは好きで妖を狩ってる訳ではない」
そう言って少女は、懐から数枚札を取り出すと
「悪霊妖気退散、妖魔邪気退散!!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!」
言霊と共に投げられた札は妖に張り付き、一瞬にして妖を消してしまった。
あとに残されたのは、妖に張り付いた札のみ。
「―――ふぅ」
「―――終わったのか、晶蓮」
聖苑に呼ばれ、少女―晶蓮は振り向いた。その顔は、いかにも不満だ、と言いたげに眉が寄せられていた。
「何を不貞腐れてる?」
「何で、私が態々雑魚を片付けるために街を走り回らなきゃならない」
本来なら門下生の仕事だ、と晶蓮は愚痴を零す。
「仕方がないだろう。最近、やけに妖が多く発見されている。門下生達だけでは足りないんだ」
「―――そういえば、あの少女は?」
「あそこだ」
聖苑の視線を辿れば、そこには驚愕の満ちた顔で晶蓮たちを凝視している少女の姿があった。
「大丈夫か?アレはもう消えた。怯えなくていい」
「あっ……助けてくださってありがとうございます」
「いや、今回の件は此方の落ち度だ。
アレは元々私たちが追っていたんだが、途中で見失ってしまってな…。
貴方に怪我がなくて良かった」
ふっと微笑を浮かべた晶蓮に、少女も安心したのか、気を緩めて小さく微笑んだ。
「だが、何でこんな夜遅くで歩いていた?」
聖苑の問いに、少女は持っていた鞄を軽く持ち上げた。
「ゼミの帰りだったんです。今日は少し授業が終わるのが遅かったんで…」
「今度から迎えに来てもらった方がいい。ここ最近、アレが頻繁に人を襲ってるようだから」
晶蓮は先程妖がいたほうに視線を向けて言った。
人が妖に襲われるのは、コレが初めてではない。もう既に、数件も起きている。
「アレは一体……?」
「雑鬼だ。妖の中で最弱な鬼」
少女の問いにサラリと応える。
「そういえば、貴方の名前は…?」
「―――晶蓮、紫水晶蓮だ」
晶蓮は真っ直ぐに少女を見てはっきりと告げる。
「私は、花咲楓です」
「楓…いい名前だな。あっ、こいつは青龍崎聖苑だ。私の護役の任についてる」
「聖苑さんもありがとうございました」
「―――晶蓮の命令だったからな」
楓のお礼の言葉に淡々と返す聖苑に、晶蓮は小さく苦笑を漏らした。
「楓、私たちはもう行かなければならない」
「あ…すみません、引き止めちゃって…」
「構わない。それと今回の件は此方の不備だ。あまり気に留めないでくれ」
ではな、と晶蓮は聖苑をつれて闇の中に溶けるように去っていってしまった。
コレが……波乱の幕開けになるとは知らずに…。
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