第2話
男は名をアルベルト=フォン=ヴァンドルフというらしかった。
ベットから起き上がれるようになって、初めてテーブルで一緒に食事をとった席で聞いた男の名はユーリに大きな衝撃をもたらした。
ここルシオールと呼ばれる国においてフォンという名をもつのはまさしく貴族だけだ。それも身形や所作を見る限り、男はかなり高位の身分であることが伺い知れる。
彼を見つけたとき周りに人は居なかったし、身に付けていた装備品から騎士あたりだろうとは思っていたがまさか高位貴族だったとは。
思わず声音に困惑の色が混じる。
「それで、貴族様がどうしてこんなところに?」
男が手にしていたフォークをそっと置いて居住まいを正した。
その瞳には思ったとおり強い意志が浮かんでいる。焦燥の色が混じっているように見えるのは間違いではないだろう。
どうやらよほどの事情があるらしい。ユーリは食事の手を止め、静かに男の言葉の続きを待った。
男が重々しく口を開く。
「聖女殿は我が国の現状をご存知でしょうか」
「現状っていうと例の感染症のこと?」
男が苦い顔をして頷いた。
「はい。国民が次々と罹患し命を落としているというのに、研究者の話では感染経路や病原体については未だ見当もつかず、有効な治療法さえ見つかっていないという話です」
その話ならユーリも知っている。
文字通り死に物狂いで医者や研究者が治療法を探しているが、いかんせん医者も罹患して亡くなっているため人手が圧倒的に足りていないということらしかった。
そしてそれを知っていたからこそ森で倒れている男を見つけた時、助けるのを躊躇した。男が倒れていたのは森の中でも王国に近いところだったから。あの時の厄介事の予感は見事に的中したというところだろう。
「残された医師や薬師も手を尽くしていますがこれ以上は…もはやどうにもならないだろう、と」
ぐっと形の良い眉を寄せて男が祈るように目を閉じた。
どうにもならないとはつまり、このまま死者が増えれば国が滅びるかもしれないと、そういうことだ。
国にとって民は宝。半分も失ってしまえば再起不能になってもおかしくない。
男は何かに耐えるように大きく息を吐いて。
そうして静かに頭を下げた。
「聖女殿、どうか力をお貸しください。かつてあの悪竜を討ち、民を癒した貴女の知恵と力をもってすれば今回の危機もきっと乗り越えられると陛下はお考えです。私からもどうかお願いいたします」
ユーリは彼が顔を上げるまでじっとその姿を眺めていた。
上位貴族である彼がこうして頭を下げるくらいだ。話の内容からしても一刻の猶予も残されていないのだということがわかる。
それでも。
ユーリはなるべく感情を込めないように注意して口を開いた。
「悪いけど、私では貴方達の力にはなれないわ。」
男の反応はない。まるで人形のように美しいその無表情の裏ではきっとユーリを軽蔑しているのだろう。
それ思われるだけのことを言ったと自覚があるからこそ、腹が立つというよりはむしろユーリは大声で笑い出してしまいそうになる自分をなんとか押しとどめて男を見返した。
男の表情や態度に変化は見られない。懇願をばっさりと無碍にされたのだから憤慨してもおかしくはないところだが、冷静にユーリの言葉を受け入れているように見える。
ただ上手く隠しているが目は正直だ。ユーリには男が動揺と、焦燥と、絶望に揺れているのが手に取るようにわかった。
男が口を開いた。
「貴女の力は健在だ。私を生かしたように民を救ってほしいという願いは受け入れてもらえないのでしょうか。貴女にはそれができるはずだ。断るというのならば、理由を教えていただきたい」
ユーリは思わず舌打ちをしそうになった。
やはりこの男もあの国の人間だ。聖女という存在を万能な道具か何かだとそう信じきっている。
危機に瀕している自分たちは無条件で助けられるべき存在だと、助けられて当然だと、そう思っている。
衝動的に心に浮かんだ苛立ちを隠すようにユーリは小さく息を吐き、席を立った。
「答える義務はないはずよ。私はもう貴方達のモノではないし、義理ならすでにあの時に果たしてる」
「聖女殿、それは」
「これ以上、話すことは何もないわ。貴方の体調が戻り次第、ここから出て行って。帰りは案内役をつけるから迷うこともないはずよ」
「…私は騎士で、王命によりここに遣わされた。使命を遂げずに戻ることはできない」
射抜くような眼光とはきっと、この男の視線のようなことを言うのだろう。
ユーリは今度こそ舌打ちを我慢しなかった。
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