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七話 恋人代理

アレクはリリアンを自宅まで送ると言い、恐縮するリリアンを説き伏せ馬車に乗せた。

グランヴィル侯爵領は爵位を継げない次男以下の子息たちがよく訪れ、長期滞在し商人に混ざって商売を始めることもあり、他の領地と比べ貴族と庶民の垣根は低いほうだ。

だが領主であるグランヴィル侯爵家に対してはみんな敬意を払い、自然と畏まる。

そのグランヴィル侯爵家の馬車で当主アレクシスに自宅まで送ってもらったとあっては、両親や近隣の皆はさぞ驚くことだろうとリリアンは口元を緩めた。


「リリアン、先ほどからなにをニヤついているんだ?」

「みんな驚くだろうなぁと思って。私の家に限らず侯爵家に出入りしている店はあるでしょうけど、侯爵様本人に馬車で送ってもらえる人はそうそういませんから」

「確かに、誰かを送るのは初めてだな。リリアンはどのくらいの頻度でうちに来ている?」

「毎週水曜日にお伺いしてます。ローザ奥様は香り立ちにこだわられるので作りたてを少量ずつお届けしているんです」

「そうか。その帰りにあの公園に?」

「はい。仕事の息抜きにちょうどいいから。・・・実は侯爵が公園を歩いているのを偶然見かけてあの場所を知ったんです。薔薇園のベンチに座っていたら、侯爵が前を通り過ぎて行ったきり戻ってこないから、もしかしたら奥で倒れているかもしれないと思って、あとを追ったことがあったんです」

「そんなことがあったか?気が付かなかった」

「もう一年以上も前のことですから。侯爵はあの奥まった場所のベンチに座って街を眺めていただけで、結局私の早とちりだったんですけど。侯爵の秘密の場所なのかと思ったんですけど、素敵なところだったから、侯爵の邪魔をしないように侯爵が王都に行かれている間だけならいいかなと私も使わせてもらってたんです。だからあの場所で侯爵と鉢合わせしたときはびっくりしました」

「私がこちらに戻ってきたことを知らなかったのか」

「聞いてはいたんですけど、もう少し落ち着いてからしか公園には来ないだろうと思っていたので。怒られるんじゃないかと緊張しました」

「そんなことで怒りはしない・・・そうか、リリアンは私のことを冷たい人間だと思っていたのだったな」

「でも侯爵は何も言わずに同じベンチに座ってくれたから、ホッとしました。だからそれ以降もあの場所に通うことができて、何度も侯爵に会うたびに本当は冷たい人じゃないのかもしれないって、気になるようになったんです」

「私は不合格かな?」

「え?」

「私はあなたの前で情けない姿を見せてしまった。リリアンの関心を留め置けるほど出来た人物ではなくてがっかりしたか?」

「侯爵・・・そんなことありません」

「アレクと呼んでくれ、リリアン」

「・・・アレク」


リリアンがアレクの名を呼んだのと同時に馬車の揺れが止まり、目的地に着いたことを知らせた。

アレクが先に降り、その手を差し伸べてリリアンを降ろした。

ちょうど店から出てきた客と見送りに出た店主であるリリアンの父がその光景を見て目を見開き固まっているのがリリアンの視界の端に映った。


「ここがヴァレイサボン店か。ラルフの店とそんなに離れていないな。自宅は?」

「店の奥と二階が自宅です。店の中を見ますか?」

「そうさせてもらおう」

「どうぞ」


リリアンは扉の横で固まっている客に会釈をし、父親をさりげなく押しのけて、アレクを店内に案内した。

店内は洗浄力別に商品が並べてあり、洗浄力が高いものは衣類・食器用、洗浄力が低く代わりに保湿力が高いものはボディ用となっている。

その中でさらに固形と液体の二種類あり、香りも様々なものが取り揃えられていた。


「色々な種類があるのだな。洗えれば何でもいいと思っていたが・・・」

「男の人はそんな感じですね。だけど女性は香りや見た目に惹かれるから趣味で色々作ってみたら案外評判が良くて定番になったんです」

「あなたが作っているのか?」

「そうですよ。家族と共同作業ですけど。父は洗浄力にこだわる人なんですけど、私はそれだと面白くないから香りや美しさを追求するようにしたんです。その合作がここに並んでいる商品たちです」


リリアンの話を聞きながらアレクは商品棚を見て歩く。

端に置いてある薄いブルーの小瓶に入った液体がアレクの目に留まった。


「これはミントの香りか?」

「ええ。ミント系は香りは良いんだけど肌がスースーする清涼感が特徴で好き嫌いが分かれるから少量しか置いてないんです。それは髪を洗うときに使うとサッパリして気持ちがいいって男性に人気ですね」

「試してみたいな。これをいただこう」

「ありがとうございます。でもここまで送っていただいたお礼に差し上げます」

「いや、礼には及ばない。あなたを送ったのはそれが私の望みだったからだ」


ガタンッ。

いつの間にか店内に戻っていた店主が手に持っていた箱を落とした。

アレクの言葉に耳を疑うように、侯爵と娘の双方を交互に見ながら唖然としている。

リリアンは百合恵の代わりに親切にしたかったという意味だろうと受け取ったが、一瞬どきりとしてしまった。

自分から百合恵の代わりになると提案したリリアンだったが、アレクが人前でそうした態度をとるとは思っておらず動揺を隠せない。


「こ、侯爵・・・」

「呼び方」

「・・・アレク」

「商品は?」

「・・・今お包みします」


父親の視線を感じながらも無視を決め込み、リリアンは手早く商品を包むとアレクとともに外へ出た。

商品を受け取ったアレクは残照に染まる空を見ながら「美しいな」と呟いた。

リリアンはそういうアレクの横顔こそが美しいと思ったが、それは言葉にしなかった。


「来週また屋敷に来たとき、今度は帰る前に私に声を掛けてくれ」

「はい」

「あなたに時間があれば、また一緒に過ごしたい」

「はい、大丈夫です」

「よかった。今度はゆっくりお茶でもしよう」


リリアンに向けてひとつ笑みを残すとアレクは馬車に乗り込み、グランヴィル商会に寄りラルフを拾ってから帰るように御者に伝えた。

アレクの微笑みの余韻に浸りながら馬車が見えなくなるまで見送り、リリアンは店に戻った。

それを待ち構えていた父親に捕まり余韻が吹き飛ぶ勢いで質問されるリリアンだった。


「今のはグランヴィル侯爵だろう?!なぜ同じ馬車に?なぜお前を送ることが望み?何がどうしてこうなった?!」

「ええと・・・。お屋敷に商品をお届けに上がった時にたまたま侯爵がいらっしゃって、弟さんのところへ行くついでに送っていただけることになっただけ」

「弟さん?・・・グランヴィル商会のラルフ様か?」

「ええ。そうだ、そのグランヴィル商会にうちの商品を納品できるようになるかも。ラルフ様の奥様がうちの商品をとても気に入ってくださって、オーダーメイドで作ってほしいと依頼を受けたの。他にも色々見たいから今度グランヴィル商会に見本を持って来てほしいって」

「なんだと!グランヴィル商会に?!上手くいけばすごい儲けじゃないか。リリアン、でかしたぞ!」


アレクとのことを突っ込んで聞かれたくないため、わざとグランヴィル商会の話を出し父親の気を逸らすことに成功したリリアンは、父親にバレないようにこっそりため息をついた。

アレクは人前でも気にせずにリリアンに優しい態度をとっていたが、それで大丈夫なのだろうか。

アレクが百合恵にしてあげたくて出来なかったことをリリアンに代わりにするということは、いわゆる恋人の代理をリリアンが引き受けたということだ。

それを知らない他の人が見たら、アレクが本当にリリアンを好きなように見えてしまう。

それはグランヴィル侯爵として問題ないのだろうか。

貴族は身分や家柄をとても重要視すると聞いていたのに。

グランヴィル侯爵家の人たちは商人のリリアンに対しても親切で身分による偏見はないようだが、当主の恋人ともなると事情が違うのではないだろうか。

それとも恋人はあくまで結婚前の遊びであり、恋人と結婚する相手は別と割り切っているからこそ許されるのだろうか。


ちらりと窓の外を見遣ると、もう辺りは薄暗くなっていた。

リリアンはもう一つ息を吐いた。

ここでいくらリリアンが考えてもわかることではないのだ。

アレクがそう振る舞っているのなら問題ない、ということにしておこう。

この先も気になるようなら、今度アレクに会うときに直接聞けばいいのだから。

リリアンはあの公園での咄嗟の一言により、生活が変わっていく予感がした。

百合恵の代わりになると言ったのは、ほんの思い付きだった。

あの時アレクにも正直に話したように、もう少しアレクと話していたかったのだ。

これまで通りベンチに黙って座るだけの関係では物足りなくなったのだ。

もう少し、もう少しだけいいからアレクのことを知りたいと思った。

屋敷ですれ違うときに会釈をしても、無言で通り過ぎるだけの近寄りがたい侯爵の隠れた本当の顔を見て、もっと知りたいと思ったのだ。

人としての関心なのか、高貴な人へ向けた単なる好奇心なのか、それとも恋心なのか、今のリリアンにはわからなかった。

それでももう少しそばに居たいと感じたのは本当だから、リリアンはこの展開を好ましいものとして受け取ることにした。

リリアンの脳裏にアレクの涙と美しい横顔と微笑みが交互に浮かぶ。

来週の約束をアレクと交わせたことに今さらながら心躍るリリアンだった。



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