五話 懺悔
リリアンはアレクの言葉に更に戸惑いを強くしていた。
「私がグランヴィル侯爵の話し相手になるんですか?」
「ああ。時間はあるか?」
「はい・・・」
リリアンの返事にアレクが微笑む。
はじめてアレクに微笑みかけられたリリアンは驚きと戸惑いと一欠片のときめきを宿した目でアレクを見つめ返した。
「あの日・・・私が泣いてしまった日、あなたが居てくれて良かった。背中にかかるあなたの重みと温もりが、あの日の私を支えてくれた。だが驚きもした。いきなりあなたに背中を預けられたから」
「あの時は侯爵があまりにも悲壮感を漂わせていたから・・・今にも柵を乗り越えて飛び降りそうだったんだもの。もしそうなったら止めないといけないと思って・・・。泣き顔を見ないように後ろに回ったんですけど、それじゃあ様子がわからないから、背中をくっつけてたら少しの変化にも気付けるかと思ったんです。実はこっそり侯爵の上着の裾を掴んでいましたし」
「そうだったのか。心配させて悪かったな。・・・あの日は恋人だった人のことを思っていたんだ。私達は彼女の国で恋人同士だった。だがわけあって離れ、彼女が再び私の前に現れた時、私には恋人同士だったという当時の記憶がなかった。彼女が私の元へ来たときは必ず助けると約束していたのに、冷たく接することしかしなかった。やがて彼女の気持ちは彼女を傷つけるだけの冷たい私から離れ、弟を愛するようになった」
「弟さんを・・・?」
「ああ。ラルフは初めから優しく彼女を支え続けていたから。私に彼女の恋人だったという記憶が戻ったのは、彼女がラルフを選んだ後だった。だから私は自分の想いを彼女に告げるか迷った。私の記憶がなかったとはいえ、彼女が現れた時ラルフと私は同じ条件だった。いや、あの時彼女はまだ私を愛していてのだから私の方が有利だったはずだ。だが結局彼女はラルフを選んだ。だから私は記憶が戻ったことを彼女に告げなかったんだ。今さら彼女を混乱させ悩ませたくなかったし、彼女が自分の心に従って選んだ結果なら受け入れるべきだと思った。それが彼女の幸せになると信じていた」
「・・・だけど、それではあなたが辛くなるだけじゃないんですか?」
「その時は自分の本音に気付いていなかったんだ。自分の心を隠し彼女を見守ることが、私に許された愛し方だと思っていた。だが、私の心はそれで満足できるほど綺麗なものではなかった。ラルフと微笑み合う彼女の姿を見て幸せで良かったと思う気持ちは確かにあるのに、私がそうしたかったと醜い嫉妬が渦巻く。なりふり構わず彼女に愛していると伝えれば良かったと・・・。そうすれば彼女は私を選んだかもしれないと。彼女の心を大切にしたかったというのは本当だ。その想いに偽りなどない。だが一方で彼女に想いを告げてハッキリと拒絶されるのが怖くて逃げたのだ。ラルフと対等に並んで振られるのが怖かった。彼女と再び愛し合える可能性よりも自分の矜持を守ることを選んだ臆病な人間なんだ、私は・・・」
淡々と自分の感情を語るアレクのアイスブルーの瞳は、懺悔を終えた後のように澄んでいた。
リリアンはその瞳を見て、アレクはすでに弱かった自分の気持ちを認め受け入れたのだと気付いた。
それは今までリリアンが見ていたグランヴィル侯爵としての冷たさを纏ったアレクより、ずっと親しみが持てる姿だった。
「私はそれでいいと思いますけど。今の侯爵の方が人間味があって話しやすいです」
「・・・ありがとう。あなたには冷たい人間だと思われていたのだったな」
「自分の弱さとかズルさを自覚している人の方が気安く付き合えて私は好きです。そういう人の前では私も自分の弱い所とか腹黒い所とか見せて素の自分でいられるから深い付き合いにもなりやすいし。だから今のあなたは素敵だと思います」
リリアンの言葉にアレクは安堵した。
侯爵としても男としても、こんな情けない自分の内面を女性に話すのはひどく躊躇われた。
だがアレクはリリアンになら話してもいいと思った。
いや、彼女にだけは話を聞いてもらいたいと思ったのだ。
それはあの日リリアンがアレクの泣き顔を見ないように気遣いながらもハンカチを差し出してくれたからかもしれない。
それともアレクの背に彼女の背を預けてくれたとき、あのあたたかい温もりを感じたからだろうか。
あるいはもっと以前からか。
この公園のベンチで逢瀬と言うには程遠い、ただ会釈をするだけの間柄でわずかな時間を共有した。
その間彼女は花のように周囲に溶け込みながらもその存在をアレクに残した。
一人心を落ち着けたいと願うアレクの心に寄り添うように彼女はそばにいた。
リリアンにその意図は無く、おそらくただそこに座っていただけなのだろう。
だがアレクは無意識のうちに彼女のことを心を許せる人として捉えていた。
その思いの通り、リリアンはアレクの弱さを見下しもせず受け入れてくれた。
「本当にありがとう」
アレクはこの安心感をもたらしてくれたリリアンに感謝した。
安心感を知ることが出来たアレクは同時に不安を抱えていた頃の百合恵を思った。
この世界に来たばかりの百合恵は何も持たず、何もわからずどれほど不安だったことだろう。
その上、アレクは百合恵の話を信じず、彼女を受け入れていないという態度をありありととっていた。
こちらで頼れるのはアレクしかいなかった百合恵はどれほど傷つき不安に苛まれたことだろう。
そして百合恵がアレクに想いを傾けていることを知りながら彼女を支えてやったラルフの想いの大きさを今さらながらに知る。
「ほかに溜まってる想いはないんですか?この際だから全部吐き出してしまったらどうですか?」
今日の空のように澄んだ色をしているものの、どこか愁いを含んだアレクの瞳に気付いたリリアンは、アレクの目を覗き込むようにした。
アレクが誤魔化したり嘘をついたりしないように、心の淀みを出し切ってしまえるように。
心を見透かすようなマリンブルーの瞳にひたと見つめられて、アレクは降参というように両手を上げた。