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三十四話 私がついた嘘

リリアンが早い時期に一人で戻ってきたことを、両親は何も聞かずに迎え入れてくれた。

だから二人が一瞬だけ浮かべた切ない表情を、リリアンは気付かなかったフリをした。

その後すぐに母親はリリアンを抱きしめ「お帰りさない」と言ってくれた。

父親も隣で大きく頷いていたが、リリアンを抱きしめている母親の影で侯爵邸のある方角を睨んでいる様子を見ると、アレクに思うところがあることがすぐにわかった。

まだ心の整理がついておらず、両親に自分の心情を語ることは無理だが、このままでは父親の中でアレクが悪者になってしまうと思ったリリアンは躊躇いながらも口を開いた。


「アレクは悪くないの・・・ずっと優しくしてくれて・・・。ただ、私が馴染めなかったの・・・」

「・・・優しいだけじゃ、どうにもならん」


リリアンの言葉に父親は苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。

困ったリリアンは父親にアレクのことを理解してもらおうと言葉を探したが、リリアンの髪を撫でていた母親が今日はもう部屋でゆっくり休むようにと促したため、それ以上は何も言わずリリアンは部屋へ下がった。


リリアンが部屋の扉を開けると、ふんわりと仄かな香りがリリアンを迎えた。

それはアレクとお揃いで作ったゼラニウムとミントの香りだった。

まだ王都へ行く前、アレクと想いが通じ合っているとも知らず、少しでもアレクのことを感じていたいと、リリアンはリネン類や服に香りを付けていたのだ。

いつも間にか部屋に染みついたその香りは、幸せを感じるために付けたはずのものなのに、今はリリアンを切なくさせるだけだった。


「アレク・・・」


アレクと同じ香りを感じてリリアンは涙をこぼした。

アレクは別れるその瞬間までリリアンを大切に扱ってくれた。

アレクの愛情は本物だったとリリアンは今も信じている。

リリアンもまたアレクを愛していた。

ただ住む世界が違ったのだ。

アレクがリリアンを選べば、グランヴィル侯爵家は苦しい立場に追い込まれるという。

グランヴィル侯爵家が倒れれば、侯爵家の領地であるこの港町もどうなるかわからない。

アレクはその血筋に驕らず、侯爵家と領地のために努力してきたことをリリアンは本人から聞いている。

アレクが今まで努力して築き上げてきたものを無駄にさせたくなかった。

アレクが背負っているものをリリアンは支え助けることが出来ない現実が苦しい。

どんなに想い合っていても、実質的な力にはなれないのだ。

実家の力は変えられないし、それを恨みに思うことはない。

ただ自分にもっと力があったならとリリアンは思う。

アレクを好きだと自覚したときにすぐにでも動けば良かったと後悔に苛まれる。

貴族に認められる商人になるように積極的に動いていたなら結果は変わっただろうか。

グランヴィル商会にリリアンの商品を置いてもらえた時が商人として飛躍するチャンスだったのに、リリアンは特に何もしなかった。

アレクに会えることだけに胸を躍らせていて、彼に相応しくある努力をしなかった。

自分は百合恵の代理だから、自分は貴族ではないからと理由を付けて、どこかで諦めていた。

あの頃に戻れるなら、当時の自分に言ってやりたい。

アレクは身分を越えてえ愛してくれるから、もっと自分に自信も持ちなさいと。

アレクの隣に堂々と立てるように、今のうちから商人としての成功を目指しなさいと。

そうしたら・・・アレクの隣に今も居られたかもしれない。

アレクを困らせる存在にならずに、彼を支えられる存在として認められたかもしれない。

後悔が涙となってリリアンの頬を流れ落ちていく。

だがどんなに涙が流れても過去は変わることはない。

そしてリリアンがアレクを想う気持ちもまた消えることはなかった。





港街に戻って一月が経つ頃には、リリアンはいつもの日常を取り戻していた。

初めのうちはどうしても心が沈み表情も晴れなかったが、いつまでも泣いてばかりではいられないとわかっていた。

両親をこれ以上心配させたくないリリアンは、王都から帰った三日後には店の手伝いやザボン作りに取り組み始めた。

すると思いのほか、ザボンの試作は順調に進んでいった。

もともと王都の侯爵家にいる時にやっていた続きということもある。

それにザボンを作っている時は何も考えずにいられるため、リリアンが作業に没頭したというのもあった。

表面上は元気に見えるリリアンをさり気なく気に掛けていた母親は、出来上がった試作品を手に取りながらリリアンを労った。


「リリアン、お疲れ様。短期間で三種類も作れるなんて凄いわ。でも疲れてない?」

「ありがとう。大丈夫よ。試作をしている方が楽しいから」

「そう。・・・今までのサボンとは感じが違うわね。ロマンチックになったとでもいうのかしら。王都へ行った影響かしら?」

「・・・うん。素敵なところだったよ」

「いい想い出があるのね・・・。ところでリリアン。配達をお願いしたいんだけど、いいかしら?」

「ええ、どちらまで?」

「グランヴィル侯爵邸のローザ奥様よ」

「・・・」

「どうする?ローザ様があなたがこちらに戻ってきていることを知って、久しぶりに会いたいと仰っているのよ」

「うん・・・」

「まだ辛かったらお断りしてもいいのよ」

「・・・ううん。侯爵家にはお世話になってるしご挨拶しなきゃね」


リリアンがアレクに付いて王都へ出かけている間、ローザの元へは母親がリリアンの代わりにサボンを届けていた。

リリアンが戻ってからも、リリアンの心の整理が付くまでは配達に行かなくてもいいと言って、そのまま母親が侯爵邸へ通ってくれていたのだ。


リリアンは自分の心の整理がついているのかわからなかった。

アレクと物理的に離れているから、今は切なくとも落ち着いていられる。

だがアレクが帰ってきたらどうなるか自分でもわからない。

もし、あのコーデリア嬢を婚約者として連れ帰ってきたら、自分は祝福できるだろうか?

自分がアレクと別れたということは、遠くない未来にそれが現実のものとなるのだ。

そう考えるだけでリリアンの胸は締め付けられ、滲む涙を堪えた。


リリアンは痛む胸を両手で押さえながら、侯爵邸のある方角を見た。

侯爵家の好意でリリアンは王都へ連れて行ってもらえ、贅沢な日々を過ごさせてもらえた。

しかもこれ以上アレクの側にいるのが辛いという自分の我儘で帰郷することになり、リリアン一人だけにも関わらず身に余る待遇を受けながらの帰路となった。

そのお礼とお詫びを侯爵家に伝えなければならないのに、礼儀知らずにも先送りにしていることにリリアンは今さら気が付いた。

アレクが戻ってきてからでは侯爵邸に出向き辛い。

ローザからの誘いはをょうどいい機会だと思い、リリアンは侯爵邸に伺うことにした。







久しぶりに訪れたリリアンはローザからいつもと変わりなく迎え入れられた。

ローザは商品を受け取ったあと、リリアンが王都へ行ってから今までの領地に様子を話して聞かせた。

港街へお忍びで買い物に行った話や、それを夫である前侯爵に見つかったの時のことなどを面白おかしく話して聞かせるローザに、リリアンは相槌を打ちながら心の中で感謝していた。

ローザはリリアンが侯爵邸に足を踏み入れることに緊張していることを察していて、リリアンの不安を和らげようとしてくれているとわかったからだ。

ローザの心遣いを受け取ったリリアンは感謝の意を込めて柔らかく微笑んだ。

それを見たローザは一度紅茶を口に含むと、穏やかな口調はそのままに話題を変えた。


「リリアン・・・アレクと何かあったの?」

「いえ・・・」

「王都で・・・社交界で辛いことでもあった?」

「・・・・・・」

「そう・・・。アレクが頼りにならなかったのね」

「違います!アレクは・・・侯爵はとても良くしてくださいました。ただ私の力不足で・・・自分に自信が持てなかったんです」

「何があったかは大体見当がつくのだけど・・・。そうね、リリアンはこちらに帰って来たことを後悔してる?」

「え・・・?」

「わかりにくいかしら。じゃあ言い方を変えるわね。アレクと離れたことを後悔してる?」

「・・・・・・」


ローザからの問いかけに、リリアンの瞳は戸惑いに揺れた。

ローザの話しぶりから、アレクから王都でのことを報告されているわけではなさそうだ。

ここでリリアンが何か話して、のちにアレクから余計なことを話したと思われるのは避けたい。

リリアンは素直に答えていいものか迷っていた。


「複雑に考える必要はないわ。余計なしがらみは無視して、ただ素直にアレクと離れた今、何を感じているのかしら?」

「寂しいです・・・。周りのことは何も気にせずにアレクの側に居れたときは、ただ楽しくて、嬉しくて・・・。だけど、それだけでは駄目だと気が付いて・・・今は苦しくて、悲しい・・・」

「そうね。でもその苦しさはアレクと離れたからだけではないと思うわ」


ローザからの問いに何も答えないわけにはいかず、リリアンはいきさつには触れず、自分の感情のみを答えることにした。

そして返ってきたローザからの言葉の意味がわからず、リリアンは思わずローザの瞳を見つめ返した。


「・・・どういうことですか?」

「自分の気持ちに嘘をついたから苦しいのよ。あなたは何かのしがらみに囚われて、それから逃れるために自分に嘘をついたの。本当の気持ちとは違うことをしてる。だから苦しいのよ」

「自分に嘘を・・・」

「リリアン。後悔しない方法は自分に素直になることよ。そうすれば自分を好きでいられるし、それが自信に繋がるわ。そのままの自分でいることに自信が付くの」

「ローザ奥様・・・私は・・・」

「焦らなくても大丈夫よ。アレクが戻ってくるまで一か月あるわ。それまでに自分の素直な気持ちを感じてみてちょうだい」

「はい・・・ありがとうございます」




ローザに励まされたリリアンは、侯爵邸を後にし、アレクとの思い出が詰まった公園に立ち寄った。

一人でベンチに座り、美しい港街と輝く海を見下ろすと、胸の苦しさが少し軽くなった気がした。

そういえばアレクも何かに行き詰りそうになるとき、ここに来ると心が軽くなると言っていた。

リリアンはそれを思い出して小さく微笑んだ。

アレクと自分に似ているところがあると思うと幸せな気持ちになるのだ。


気分が上向きになってきたリリアンは、ローザに言われた通り、自分の素直な気持ちを探してみることにした。

アレクと出会い、二人で過ごしたこの場所なら、それが出来る気がした。

自分の気持ちに嘘をついているというのなら、それはアレクのことが好きなのに別れたことだ。

自分の気持ちは、アレクを好きで、側に居たいと思っている。

それははっきりしていた。

だけど、それ以外にもリリアンは自分に嘘をついていると思った。

コーデリア嬢の存在を知り、アレクを困らせたくないと思った。

それは果たして本心だっただろうか。

本当は「コーデリア嬢がいるからあなたとは結婚できない」とアレクから振られるのが怖かっただけなのかもしれない。

自分から身を引く形にすれば、アレクから別れの言葉を聞かされずに済む。

そうすれば今後もアレクはリリアンへの想いを少しは残してくれるかもしれない。

そんな汚い思いさえ、そこにはあった。

アレクを困らせたくないというのなら、今後どうすればよいかアレクと話し合えば良かったのだ。

それをせずに身を引く形で逃げたのは、自分は何もできないという自信の無さと、やはり別れようとアレクから言われるかもしれない恐怖を避けたかったからなのかもしれない。

結局は自分が一番傷つきたくなかっただけなのだ。

たとえ最後までリリアンを大切にしてくれた優しいアレクを傷つけることになったとしても。

そこまで気が付いて、リリアンは自分の心の醜さに嫌気がさした。

リリアンはがっくりと肩を落とし、長い溜息を吐き出した。


「こんなんでよくもアレクを愛してるなんて言えたわね」


自嘲気味に呟いたリリアンの言葉は海から吹く風に流され消えていく。



アレクに伝えられなかったリリアンの本当の気持ちはどれだろう。


「まだ自分に自信がないの。自信が付くまで待ってほしいの」

その思いの裏には、『だからそれまで側にいて、一人にしないで、寂しいの』という思いが潜んでいて・・・


「社交界は怖いの。そこで傷つけられるのは嫌なの」

でもその奥には、『誰にも私を傷つけられないように、愛してるのは私だけだって皆に示してほしい』という認めるのも恥ずかしい傲慢な思いがあり・・・


それは、つまり・・・

『私だけを見て、愛して』


そこまで気持ちを辿っていったリリアンは、思わず笑いだしてしまった。

なんて子供っぽくて、我儘な本心なのだろう。

こんな本心は嫌われそうで他人には見せられない。

アレクを困らせたくないと言いながら、彼を傷つけて。

本心では彼を困らせてでも私だけを見てほしいと思っているなんて。

そんな自分の気持ちに気が付き衝撃を受けているのに、どこかで納得している自分がいた。

百合恵の代わりとして付き合っていた頃から、百合恵の代理ではなく「私を見て」と思っていた。

あんなに身分の差を気にしながらも「私を愛して」と願っていた。

今だって恥も外聞も気にせずに言えば、本当はコーデリア嬢と結婚なんてしないでほしいと思っているのだから。

本当は社交界や侯爵家や領地のことなど考えず、ただアレクのことを好きでいたいと思っているのだから。

子どもっぽくても、我儘でも、本当の気持ちを言うなら。

誰の目も気にせずにアレクと愛し合いたい。

リリアンの本当の気持ちは実にシンプルだった。


本音が分かってスッキリしたリリアンはベンチから立ち上がると伸びをした。

アレクに伝えてみよう。

リリアンは自然とそう思えた。

自分の本当の気持ちを伝えたら、呆れられるかもしれない、嫌われるかもしれない。

もうコーデリア嬢と婚約していて今さらだと言われるかもしれない。

それでもリリアンはもう一度アレクと向き合う決心をした。


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