閑話 駄犬の遠吠え(ラルフ&百合恵編)
夜会での百合恵&ラルフ視点のお話です。
本編に直接影響のない余談です。
百合恵はリリアンをアレクから預かり一緒にデザートを楽しんでいた。
夜会や貴族社会に慣れていないリリアンを見ていると百合恵はつい手を貸したくなる。
それはかつての百合恵自身がそうだったため、リリアンの気持ちがわかるからだと思う。
ラルフと生活し、彼の会社で働くことで、百合恵はだんだんと貴族社会がどういうものかを把握していった。
特にラルフの会社で働けたことが大きいかもしれない。
彼のグランヴィル商会にはよく貴族たちが訪れるのだ。
そこで百合恵は接客をしながら貴婦人たちと交流を深めてきた。
とりわけクレイニー公爵夫人と親しくなってから、色々な貴婦人を紹介してもらい、商人としても友人としても付き合っていける人たちと出会えた。
百合恵はもともと貴族社会や身分制度に縁のない場所で生きていたため、爵位を言われてもその凄さがピンとこないところがある。
それゆえに固くなったり気負ったりすることなく貴族相手でも普通に接することが出来ていた。
だがリリアンは百合恵とは違い、生まれたときから身分制度のあるこの国で育ってきた。
身分のことを気にしているように見えるリリアンを百合恵は気にかけていた。
百合恵はアレクに幸せになってほしいと思っている。
そのアレクが選んだ相手を百合恵もまた大切にしたいと思った。
今夜この会場でアレクとリリアンを見かけたとき、リリアンの気後れした表情が気になった百合恵は、少しでもリリアンをこの雰囲気に慣れさせてあげることができればと思い、声を掛けたのだった。
カラフルなデザートを食べながら、お互いの仕事のことや気になるお店のことなどガールズトークをしていると、リリアンの表情から硬さが取れてきた。
「リリアンさん。これからのことで不安なこととかあれば、なんでも聞いてくださいね。アレクさんには聞きにくいことがあるかもしれないし」
「ユリエさん・・・ありがとうございます」
「私も貴族社会のことはわからないことが多いですけど、尋ねれば喜んで教えてくれる方たちを知っていますし・・・案外身分にこだわらない方もたくさんいらっしゃいますよ」
「・・・はい」
リリアンが安心したように笑って返事をしてくれたので百合恵も笑顔で頷き返した。
そろそろアレクの元に戻しても大丈夫かと判断した百合恵は、リリアンと共にアレクの姿を探すことにした。
だがアレクを見つける前に、嫌な人物に呼び止められてしまった。
「どうかされましたか?」
くすんだ金髪を後ろで一つに束ねた男がこちらに歩み寄ろうとしていた。
見覚えのあるその男に、嫌悪感からか反射的に百合恵の肩がびくりと上がった。
百合恵の一歩後ろにいるリリアンの肩も揺れたのがわかる。
自分に絡んでくる気満々の男を見て百合恵はマズイと思った。
アレクに「ユリエなら大丈夫」と信頼されてリリアンを預かっているのに、こんな男に絡まれてはいけない。
とにかくリリアンを逃がさなければと百合恵は思った。
「女性二人で心細そうにされて、どうなさったのです?パートナーに放って置かれて寂しいなら私がお相手しますよ」
男の言葉には答えず、百合恵はリリアンの背中を男がいない方へそっと押した。
戸惑うリリアンに百合恵は小声で囁いた。
「ラルフを呼んできて」
「でもユリエさんが一人に・・・」
「大丈夫だから。早く」
百合恵の指示に従いその場を離れたリリアンに百合恵はほっとした。
あとはリリアンがラルフを連れてきてくれるまでの時間稼ぎをすればいいだけだ。
「僕のために一人になってくださったのですか?嬉しいですね」
馬鹿なことをほざく男を百合恵が一瞥する。
恰好を付けて微笑んでいるが、百合恵にとっては気持ち悪い以外の何ものでもない。
この男は伯爵家の次男だが、出来が悪いのか本人にやる気がないのか騎士としても医師としても役に立たなかった。
家の体面を気にした両親が学者という職を与えているが、名ばかりなのは誰が見てもわかることだった。
その男がなぜかラルフを目の敵にしており、ことあるごとに絡んでくるのだ。
初めはラルフの悪口を言ったり嫌味を言ったりしていたのだが、最近はラルフの最愛である百合恵を落として、ラルフを悔しがらせようという作戦に変えたらしい。
そのことがわかっている百合恵は全く相手にしなかったが、どうにもしつこい男だった。
「あなたはこんなにも美しいのに商人の妻として収まっているなんて勿体ない。毎日彼の会社で働かされているのでしょう。お可哀そうに。僕ならそんなことはさせません。夜会でも、もっと美しく着飾らせてあげることが出来ますよ。学者として成功すれば一代限りではあるが爵位を賜れます。商人ではそうはいかない。一生働き続けるしかないなんて哀れではありませんか」
百合恵はげんなりとしながら男の言葉を聞き流していた。
成功してから言えよと思ってしまう。
あんたに憐れんでもらわなくてもラルフはすでに成功してるし、仕事を楽しんでいるんですと心の中で悪態をついていた百合恵だったが、ついポロッと本音を漏らしてしまった。
「・・・弱い犬ほどよく吠える」
「え?犬がなにか?」
百合恵は本音を漏らしてしまったことに焦ったが、もういい加減男の話を聞くのが嫌になっていた。
ラルフを貶められることにもイラついていたため、何だかすごく意地悪な気分になっていた。
「私の国には人を動物にたとえた諺がたくさんあるんですよ。先ほどの言葉もそのうちの一つですわ」
「なるほど、そうでしたか。学者として興味が沸く話ですね。他にはどんなものが?」
急に学者ぶって百合恵の話に興味のあるふりをしながら、男は百合恵との距離を詰めてきた。
周囲に百合恵との親しさをアピールしたいのだろう魂胆がみえみえで、百合恵はさりげなく一歩下がった。
「同じように犬で例えるなら、負け犬の遠吠えですね」
チラリと男を見て、おまえのことだよ、と百合恵はさらに心の中で悪態づく。
百合恵の剣のある態度に男は百合恵が何を言いたいのか気が付いたのか、こめかみをひくつかせた。
さすがに不味かったかなと百合恵は思ったが、謝る気はさらさらない。
「ほお・・・あなたの国の方はどんな相手でも犬に例えるのがお上手と見えますね。では、あなたのご主人を犬に例えることはできますか?」
「ラルフを?・・・私にとっては忠犬です。でも狩猟犬にもなれますよ。躾が悪い犬を見ると、けしかけたくなります」
「おまえっ・・・!」
百合恵に弱い犬、負け犬と評された男は、ラルフも犬に例えさせることでその怒りを鎮めようと試みたが、百合恵が暗に示した躾の悪い犬が自分であると悟り、さすがに怒りを抑えきれず百合恵の腕を掴もうと手を伸ばした。
咄嗟に身を引いた百合恵の背にトンッと固いものにぶつかり、それ以上百合恵は身を引けなくなってしまった。
代わりによく知った腕が百合恵の体を包み込むように回される。
「私の妻に何か用かな?」
「ラルフ!」
振り返ればラルフの翡翠色の瞳と目が合った。
途端に百合恵は安心して、肩の力が抜けていく。
「待たせてごめんね、ご主人様」
「え?」
「俺は忠犬だから、ちゃんとご主人様を守らないとね」
「聞いてたの?!いつから?」
「負け犬の~辺りからかな。どうする?駄犬にけしかけてみる?」
百合恵に向けて優しく微笑んでいた目を冷たく光らせ、ラルフは男を見遣った。
ラルフに敵わないことがわかっていたからこそ百合恵にちょっかいをかけていた男は、ラルフ本人に睨み付けられて後ずさった。
夜会の最中に暴力を振るわれることはないだろうが、ラルフの凍えるような笑みを向けられては無事で帰れると思えなかった。
「ふ、ふんっ。自分の妻なら言葉遣いくらい覚えさせておけっ」
捨て台詞を吐いて男はあっという間に去っていった。
その後姿を見ながらラルフはポツリと零した。
「やっぱり負け犬の遠吠えだね・・・」
そう言って百合恵に笑顔を向けたラルフは、百合恵の顔を見て目を見開いた。
目に涙をためた百合恵がラルフを睨み付けていた。
「いるなら早く来てよ。助けに来るのが遅い」
「ユリィ、ごめんね。勇ましいユリィに見惚れてたら声を掛けるのが遅くなったんだ」
「待ってたのに。役立たず」
「ホントにごめん。もう心細い思いはさせないから」
「ラルフも駄犬よ。躾をし直さなきゃ」
「うん。何でも言って」
正直に言ってラルフは涙目で睨んでくる百合恵が可愛くてたまらなかった。
百合恵に何を言われても甘く頷くだけのラルフに、百合恵は唇を尖らせた。
その仕草すらラルフには愛おしい。
もうこのまま百合恵を連れて帰ってしまおうかとラルフが思ったとき、辺りの女性たちがさざめく声に百合恵が反応した。
周りの注目を集めているものが何なのかと目を向けると、それはアレクとプラチナブロンドの女性が躍る姿だった。
百合恵がハッと息を飲み、辺りを見回すと、それを遠くから見つめるリリアンがいた。
しかもリリアンの横では意地悪そうな顔をした女性が何やら話しかけている。
百合恵は再び踊るアレクに視線を戻すと眉間にしわを寄せた。
「駄犬があそこにもいたわ・・・」
百合恵のセリフにラルフは頭を抱えた。
自分のせいではないが、さらに百合恵を怒らせる出来事が起こってしまった。
百合恵の怒りを増幅させないためにも、百合恵を連れて急いでリリアンの救出に向かうラルフだった。
その夜、百合恵と甘い時間を過ごそうとしたラルフは、百合恵の機嫌がまだ直ってないことを知った。
「躾をし直すって言ったでしょ。お預け」
「ユリィ~~!」
夜更けの王都にラルフの遠吠えが響いたのであった。
久しぶりに百合恵に甘いラルフの話を書きたくなったので、つい・・・。
カッコいいんだか情けないんだか微妙になってしまった(汗)
ムーンライトノベルズの方で、ラルフとかアレクの話を書きたい衝動に駆られる今日この頃w




