二十七話 憧れ2
ラルフと公爵が別の話題で話し込むと、公爵夫人もまた近くにいた友人の貴婦人たちに声を掛け女性同士のお喋りの輪となった。
リリアンは公爵夫人をはじめ爵位を持つ貴族を前に体が硬くなっていくのを感じたが、そんなリリアンの様子を察した百合恵がこっそりと耳打ちをした。
「ここに集まった方たちは身分に偏見のない方たちばかりですから、必要以上に身構えなくても大丈夫ですよ。皆さん好奇心旺盛な女性なのでリリアンさんだったらすぐに受け入れていただけますよ」
百合恵の言葉通りクレイニー公爵夫人をはじめ女性たちは初めて会うリリアンに関心を示したが、それは先ほど感じたようなアレクとの関係を勘ぐるような居心地の悪いものではなく、リリアン自身のことを純粋に知りたいと思う好奇心だった。
「リリアンさんもグランヴィル商会でお仕事をなさっていらっしゃるの?」
「いえ、私の家はザボン屋をしておりまして私はその手伝いをしております」
「リリアンさんはとても良い香りのザボンを作られるんですよ。そのいくつかを私たちの店に置かせてもらっているのです」
リリアンの返答に百合恵が付け足すと、女性たちはさらにリリアンに関心を示してくれた。
リリアンは百合恵にフォローしてもらいながら、緊張気味ながらも会話に交じり、楽しさを感じられるようになってきた。
「侯爵は纏わりつく熱視線をかわすのがそろそろ難しくなってきていらっしゃる頃でしょうから、リリアンさんに出会えてほっとしたのではないかしら」
「そうですわね・・・ほっとすると言えば、新しい茶葉を仕入れたんですよ。茶葉を炒った香ばしい香りが特徴で派手さはないんですが、私の母国のお茶に似ていてホッとする味わいなんです。良ければ試飲しにお店にいらしてください」
「まあ、異国のお茶ですの?ぜひ伺いますわ」
アレクとの関係についての発言は好意的なものであっても何と返していいかわからないリリアンは言葉に詰まったが、すぐに百合恵が話を逸らしてくれたために助かった。
そうして貴婦人たちの中で会話をしていくうちに、リリアンは百合恵を憧れの目で見つめるようになった。
アレクの話では百合恵は異世界の人のはずで貴族ではなかった。
ラルフという後ろ盾があるにしろ、百合恵はその人柄でも商人としてもここにいる貴婦人たちに認められているのだとわかる。
貴族を前にしても堂々としている百合恵をリリアンは尊敬した。
自分も百合恵のようになれたら、ラルフや百合恵のように貴族相手に商売で成功を収めたら、貴族という身分を得ることは出来なくても、彼らに認められ受け入れられるのではないか。
そうすればアレクは自分のことを結婚相手として見てくれるのではないか。
実際に貴族と対等に語り合う百合恵を見て、それは夢物語ではなく頑張れば自分にも叶えられるかもしれないとリリアンは胸に希望を抱いた。
「待たせて悪かったな」
女性たちの輪の中にいるリリアンに、謁見から戻ってきたアレクが優しく微笑んで手を伸ばす。
躊躇うことなくその手を取り安堵の表情を見せるリリアンをアレクはさらに甘く見つめた。
リリアンを囲んでいた婦人たちは普段見ることのないアレクの甘い微笑みに驚きと陶酔を混ぜたようなため息を漏らし、百合恵と公爵夫人は苦笑した。
「グランヴィル侯爵。あなたの大切なお嬢様を苛めたりはしていないから安心してちょうだい」
「クレイニー公爵夫人、ありがとうございます。後日あらためてお礼に伺わせていただきます」
「楽しみにしているわ」
会話を終え、リリアンと一緒にお喋りをしていた方たちに軽く挨拶をすると、アレクはその場からリリアンを連れ去った。
いつものリリアンの歩調に合わせてくれるアレクにしては少し速足で、リリアンは戸惑いつつドレスの裾をを踏まないように気を付けながら必死に付いて行った。
行きついた先はバルコニーで、そこから見えるライトアップされた夜の庭園の幻想的な美しさにリリアンは感嘆の声を上げた。
「きれい・・・」
「そうだな・・・」
「アレク?いつもと何か違うような気がしますけど、どうかしましたか?」
「リリアン。私がいない間、何か言われなかったか?」
「いえ、ユリエさんが居てくださいましたし、他の方も皆さん優しくて面白い方たちでした」
「そうか・・・。男性から声を掛けられたリ、視線を投げかけられたりすることは?」
「クレイニー公爵はずっとラルフさんとお話しされてましたし、私の周りは女性ばかりでしたから何も・・・」
「そうか。それならばいいんだ」
リリアンは社交ルールを完全に把握していない自覚があるため、夜会ではパートナー以外の男性と話したり目を合わせることは無作法なことなのかもしれないと今のアレクの言葉で勘違いをし、女性同士で話していてよかったと安心した。
しかしこれは完全なるアレクの嫉妬からくる言葉だった。
アレクはリリアンをパートナーとして連れてくるとき、グランヴィル侯爵の相手ということで注目されることはわかっていたため、詮索と嫉妬の目からリリアンを守ることを第一に考えていた。
だがアレクは夜会のために着飾ったリリアンを見て、それだけでは不十分だったと後悔した。
もともと整った顔立ちだったが化粧をし着飾ることで美しさが増し、さらに夜会慣れしていない初々しさが独特の色香となって放たれていた。
グランヴィル侯爵の相手にわざわざ迫ってくる輩はいないとは思いながらも安心できないアレクはリリアンの側を離れたくなかった。
そして案の定、アレクが謁見から戻りリリアンの側に行くまでに、隙あらば彼女の気を引こうとする視線をいくつも感じた。
だからアレクは殊更甘い顔でリリアンに微笑んで見せたのだ。
彼女は自分のものだと周囲にわからせるように。
実際はそうでないためはっきりと宣言できないのが辛いアレクは、これ以上リリアンを周囲の目に晒したくないとばかりに速足でバルコニーに向かったのだった。
ただの視線に対してこんなに嫉妬を感じる日が来るとは思わなかったアレクは自分自身に困惑する。
リリアンを完全に自分のものに出来たら、こんな嫉妬を感じずに済むのだろうか。
アレクの瞳に妖しい色が宿る。
「リリアン・・・」
「アレク?」
急に艶を増したアレクの雰囲気に戸惑うリリアンの腕を優しく掴むと、アレクはリリアンの額に唇を落とした。
息を飲むリリアンを感じながら、アレクは次いでこめかみに唇を当てる。
そして耳朶に唇を寄せたとき、体を強張らせたリリアンの小さな声がアレクに届いた。
「やめ・・・アレク・・・人が居るのに・・・」
震える声にハッとしてアレクが顔を離すと、首まで赤く染めたリリアンが視線を泳がせていた。
バルコニーには数組のカップルが居て、みんな自分たちの世界に入っているようなのでこちらのことまでは気にしていないだろうが、やはり人が居るところでは恥ずかしいのだ。
リリアンの表情が嫌悪ではなく羞恥であることを確認したアレクはほっとしつつも、リリアンを雰囲気に任せて強引にでも手に入れたいと思った自分を恥じた。
リリアンが王都での生活に慣れるまでは、そしてアレクを本当に好きになってくれるまでは、手を出すようなことはしないと決めたはずなのに、嫉妬に駆られて揺らいでしまった。
「すまなかった」
「いえ・・・」
「・・・・・・踊ろうか」
「え?」
このままこのバルコニーにいるよりは雰囲気を変えたほうがいいだろうとアレクは思った。
今宵のリリアンを誰にも見せたくないと思う反面、自分との仲睦まじさを見せつけたいとも思う。
そして何よりダンスの時はリリアンが不安や警戒の感情を見せることなく、アレクを寄り添わせてくれる唯一の時間なのだ。
我ながら打算的だと苦笑しながらも、アレクはそれらしい理由を述べてリリアンを誘う。
「物語のように楽しむのだろう?憧れの夜会で踊らないヒロインはいたか?」
「・・・いいえ、みんな踊ってました」
「それでは私と踊ってくださいますか?」
「はい、喜んで」
はにかみながらも嬉しそうに返事をしたリリアンを愛おしく思いながら、アレクはリリアンをホールへと誘った。




