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二十三話 扉の向こう

リリアンは浴室から出るときょろきょろと辺りを見回した。

脱衣所で先ほど脱いだ服が消えており、代わりにその場所にはバスローブが置かれている。

とりあえずバスローブを羽織ったリリアンは脱衣所を出て自分の服を探すが、脱いだ服も自宅から持ってきたトランクケースも見当たらず途方に暮れた。

本来なら侍女が入浴から服を着せるまで世話をするのだが、リリアンはそういったことに慣れておらず余計に気を遣ってしまうだろうと、侯爵家の暮らしに慣れるまではリリアンのやり方を優先してやるようにと事前にアレクからメイリー夫人に通達されており、メイリー夫人はその通り侍女たちを下がらせリリアンを一人で入浴させたのだった。

もちろん何かあればいつでも手伝えるように侍女を待機させているのだが、リリアンは使用人のいる暮らしに慣れていないため侍女を呼ぶという発想はない。

リリアンは部屋のあちこちを探すが部屋のキャビネットの中にもリリアンの服は入っておらず、寝室に移動するが衣装が入っていそうな場所は見当たらなかった。

困り果てたリリアンの目にアレクの部屋へと続く扉が映る。

ここは恥を忍んでアレクに聞くしかないと思ったリリアンは扉の方へ足を向けた。

まさかこんなに早くこの扉を使うときが来るとは・・・。

一旦廊下に出てからアレクの部屋を訪ねるのが正式なのだろうが、バスローブ姿で廊下に出て屋敷の人たちに見られでもしたら恥ずかし過ぎる。

扉の前に立ち内鍵を回すとガチャリと重い音が響いた。

その重々しく感じる音に本当にこの扉を使っていいのかとリリアンは一瞬躊躇ったが、ずっとバスローブ姿でいるわけにもいかないと思い直し、扉を軽く叩いた。


「アレク?扉を開けてもいいですか?」

「・・・どうぞ」


扉の向こうからくぐもったアレクの声が聞こえたのにホッとしたリリアンは扉を開いた。

扉の向こうはどうやらアレクの書斎らしく、重厚な机と揃いの立派な椅子に腰を下ろているアレクが少し驚いたような表情でリリアンを振り返っていた。

リリアンはアレクの方に一歩踏み出そうとしたが、アレクの机の前には先ほど紹介された執事のウィルフレッドが立っていることに気付くと、慌てて扉の影に身を隠した。

初対面に近い男性の前に危うくバスローブ姿で出るところだったリリアンは頬を染めながらも扉から顔だけ覗かせた。


「すみません!お仕事中とは知らずに・・・」

「いや、構わない・・・どうした?」


アレクはリリアンの恰好に気付き動揺しつつも席を立つと、ウィルの視界から自分の背でリリアンを隠せるように移動した。

リリアンの恰好と彼女のいる場所がまだ寝室だということもあり、アレクはリリアンの側まで近づくことを遠慮して中途半端な位置に立つことになってしまった。


「あの・・・服が見当たらなくて」

「服?」

「部屋中探してみたんですけど、さっきまで来てた服も、持ってきた私の荷物も見当たらないんです」


まだ少し赤い頬をしたまま眉尻を下げて心細げに見上げてくるリリアンにアレクは思わず手を伸ばしそうになったが、部屋にもう一人いたことを思い出して持ち上がりかけた腕を下げた。

アレクがウィルフレッドを振り返ると、彼は机の上の資料に視線を落としたままリリアンの姿を見ないように努めていた。


「ウィル、部屋の準備は整っていないのか?」

「いえ、メイリー夫人の主導で必要なものは全て揃えております。リリアン様のお荷物もクローゼットにお運びしたはずですが・・・」


アレクはウィルフレッドやメイリー夫人をはじめ使用人の仕事ぶりを評価しており、リリアンの服の用意が未だにされていないとは思えなかった。

ということは、リリアンが見つけきれなかったということだろうか。


「リリアン、クローゼットの中は確認したか?」

「クローゼット・・・?」

「場所がわからなかったのか。ベルを鳴らせば侍女が来るはずなんだが」

「ベルを・・・?」


ますます困ったような泣きそうな顔になったリリアンにアレクは今度こそ耐えきれず手を伸ばした。

アレクはリリアンをまずは安心させようと優しく髪を撫でてやる。


「先ほどはざっとしか部屋の説明をしなかったからな。もう一度詳しく何がどこにあるのか説明させよう。部屋へ入ってもいいか?」

「はい」


リリアンの了承を得てアレクは寝室へと入ると、ウィルフレッドへ少し待つように言い置き扉を閉めた。

アレクが扉を閉めリリアンに向き直った時、アレクからふんわりミントとゼラニウムの香りがしてリリアンは頬を緩めた。

自分が側に来たことで先ほどまで見せていた心細さを和らげたリリアンにアレクは柔らかく微笑んだ。


「不安にさせて済まなかった。おそらく服はそちらの扉の中だ」


アレクが示したのは寝室にある装飾が施された扉だった。

リリアンは初めてそれを見たとき繊細な模様彫りの壁かと思い確認せずにいたのだが、よく見ると引き戸になっている。

そこを開けると中はクローゼットと呼ぶには広すぎる空間になっていた。

これはクローゼットというより衣裳部屋と呼ぶのではなかろうかとリリアンは目を丸くする。

リリアンのような中流クラスの庶民はそんなに衣装を持たないため、部屋にクローゼットはなく、小さめの衣装チェストがあるくらいだった。

しかしここで案内されたクローゼットはリリアンの部屋が丸ごと入っても余るほど広く、リリアンが持ってきたトランクケースがおもちゃのように見える。


「服はそこにかけてあるものから選んでくれ。どれが着たい?」

「え・・・と」

「あなたの好みを聞かずに揃えてしまったから選びにくいか?とりあえず今日はここから選んでもらって、明日にでもあなたの好きな服を作らせよう」

「いえ!たくさんあり過ぎて選べないだけです。・・・う~ん」


普段自分が着ることのない上質な服が並んでいるが、色やデザインはどれもリリアンの好みに合っており、正直全部着てみたいとさえ思ってしまう。

だがこのあとは夕食をとって寝るだけと思えば、そんなにお洒落をする必要もなさそうで、どのあたりの服が適当なのかリリアンは迷っていた。

アレクをちらりと見ると、彼も到着後に入浴を済ませ着替えたらしく、朝とは服装が違っていた。

濃い深緑色の服を着たアレクはとても凛々しいが、その服が普段着なのかお洒落着なのか仕事着なのか、その違いすらリリアンにはわからない。

アレクの服装に合わせて選ぼうと思ったリリアンはもうお手上げ状態だった。

迷いに迷うリリアンに気付いたアレクは並ぶ衣装群をざっと見た後、そこから一着を取り出してやった。


「これはどうだろう。今日はまだ疲れているはずだから、あまり締め付けない服がいいと思うが」


アレクが手に取ったのは明るい若草色の服で、アレクの服と同系色になるとわかりリリアンはすぐに頷いた。

嬉しそうに服を体に当ててみるリリアンにアレクが目を細める。


「侍女を呼んで着替えを手伝ってもらうか?」

「いえ・・・この服なら一人でも着れるデザインなので大丈夫です」

「では着替えが終わったらベルを鳴らして侍女を呼ぶといい。私ではあなたの部屋の何処に何があるかまではわからないから教えてやれないんだ」

「はい。ベルはどこに?」

「寝室ならサイドテーブルに、あちらの部屋なら机の上にあるはずだ。ベルを鳴らせばすぐ来るが、もし来ないときは壁際に下がっている呼び紐を引けばいい。呼び紐は使用人たちの控えの間のベルに繋がっているから、それを引けば必ず気付いてもらえる」

「わかりました。お仕事のお邪魔をしてすみませんでした」

「わからないことがあったら、いつでも声を掛けてくれ。私は大抵隣の執務室に居るから」

「ありがとうございます。・・・・・・あの・・・」

「どうした?」

「私・・・本当にこんな広いお部屋を使わせていただいていいんでしょうか・・・?」


アレクの柔らかい声に促されてそう質問してみたものの、リリアンは何だか胸がもやもやした。

本当に言いたかったことはそんなことではない気がするのだ。

でも胸の中になんとなくある気持ちを言葉に出来ずリリアンは視線を彷徨わせた。


「最近は誰も使っていない部屋だったから遠慮することはない。あなたが落ち着くように模様替えをしても構わないから、気になったら言ってくれ」

「はい・・・」


自分の中のはっきり形にならない思いのせいでアレクの時間を取っていることが申し訳なく感じるのに、会話を終わらせたくないとリリアンは思ってしまう。

本当はアレクに何を言いたいのだろうと胸の中の気持ちを追いかけながら、リリアンは口を開きかけては閉じる。

そんなリリアンの気持ちを代弁したのはアレクだった。


「寂しいか?」

「え・・・」

「この広い寝室に一人は寂しいか?」


アレクのアイスブルーの瞳がリリアンを見つめている。

穏やかな声音で問われたのにどこか危うげな気がするのはその瞳の奥の熱をリリアンが感じてしまったからだろうか。

たしかにアレクの言葉はリリアンの胸にするりと入りこみ、言葉にならずモヤモヤしていたのはそれだったのかとリリアンは納得した。

この部屋に一人は寂しいと思い、リリアンはアレクを引き留めたかったのだ。

だがここでリリアンが素直に肯定すればどうなるだろうか。

アレクは夜もこの寝室に来てくれる?

リリアンは瞳を揺らしてアレクを見上げた。


「・・・たしかにこの部屋は一人で使うには広く感じるだろう。あなたが寂しく思うのも当然だ」

「はい・・・」


リリアンは期待していたのかもしれない。

アレクが「それならば一緒に過ごそう」と言ってくれることを。

だがアレクは困ったように微笑むだけでリリアンの望む言葉をくれなかった。


「私は夜遅くまで執務室に居ることが多い。いつでも声を掛けてくれ」


風邪をひくといけないから早く着替えたほうがいいと付け加えると、アレクはリリアンの髪を一撫でして扉の向こうへ去っていった。


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