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二話 遅すぎた約束

弟と百合恵の挙式準備や東館を住みやすい空間に整えるための作業で屋敷内は活気づいていた。

アレクの弟ラルフは侯爵家の人間でありながら、貴族が嫌う商売に手を出し自ら経営もしている。

王都と領地に一店舗ずつ店を持っており、領地に帰ってきてからも仕事をしていた。

その上で自分たちの挙式や住まいのことに追われ忙しそうにしている。

百合恵は王都ではラルフの店で一緒に働いていたが、こちらでは挙式後落ち着いてからどうするか考えることになっていた。

百合恵のいた世界と違い、こちらでは屋敷勤め以外女性が働くことは珍しい。

貴族女性はもちろん、一般女性も家業を手伝う程度のものだ。

だがラルフは自ら商売をしていることもあり、そういった偏見からは自由だった。

アレクは爵位や身分制度に囚われながらも、自分の意志で自由に挑戦していく人たちに対して男女問わず敬意を持っている。

アレクが爵位と領地を継いだとき、ラルフは騎士を辞め商売を始めた。

ラルフはアレクの領地経営を助けたいと言ってくれたが、アレクもまたそんなラルフを助けたいと思った。

貴族の次男以下は相続権がないため、自らを養う手段として騎士、医者、学者といった限られた職に就くことが多い。

貴族の枠から離れ偏見と蔑みを受けながらも楽し気に働くラルフをアレクは応援し続けた。

そんなアレクを批判してくる輩もいたが、アレクは冷たい視線で跳ね返してきた。

そのうちアレクやラルフに共感、賛同してくれる人たちが現れるようになった。

ラルフと同じように貴族の枠にはまったままでは息苦しさを感じていた子弟たちがグランヴィル侯爵領に集まるようになり、もともと港町で賑やかだった領地はさらに活気づいた。

息子たちの行く末を案じていた彼らの両親たちは、初めこそ対面を気にしていたが彼らの生き生きした様子を知るうちにアレクたちに感謝する者も出てきた。

豊かで自由な風が流れるこの領地はアレクの誇りになった。

百合恵の世界にアレクがいたとき、いつかこの地を百合恵に見せたいと思っていた。

あちらの世界で百合恵が自分にしてくれた多くのことを、アレクはこの地に連れてくることで返したいと思った。

この地で百合恵を幸せにしたいと思っていた。

その願いはある意味叶ったと言える。

百合恵はこの地で幸せになる。

ただそれは自分ではない、ラルフの手によって。

それでもいい、百合恵が幸せならそれで構わない。

アレクは百合恵の幸せに焦点を当て、自分の役割を全うすることにした。

それは影ながら百合恵を助けることである。

ラルフでは手が回らないところをアレクが助けるのだ。

例えば、王都の有名店に頼んでおいたウェディングドレスのデザインが百合恵の好みと合わなかったとき。

百合恵のイメージを聞き、すぐに領地の店に手配しなおすのは商人にツテのあるラルフに任せておいたほうがいいだろう。

だがプライドの高い王都の店に断りを入れるのは侯爵であるアレクの名を使ったほうが良い。

東館の家具や庭を整えるときも、最終的にはアレクが許可を出してやった。

屋敷内でとる食事も百合恵の世界にいた時を思い出しながら、それに近い味付けのメニューを出せるように指示を出していた。

本来ならアレクが細かく気にすることではないのだが、自分の知らないところで百合恵が諦めることのないようにしたかった。

それは今のアレクに許される精一杯の愛情表現であり、罪滅ぼしでもあった。

アレクはかつて百合恵の世界にいたとき、彼女と約束をしていた。


『もし私がアレクの世界に行くことがあれば、その時は私のことを助けてね』


こう言った百合恵に対し、アレクは「必ず助けるよ」と答えた。

だがアレクは助けなかった。

不安に震える百合恵をあろうことか冷たく突き放した。

百合恵に対する記憶がなかったとはいえ、他にやりようがあったはずなのに。

現にラルフは優しく手を差し伸べていたのだから。

必ず助けると約束したはずの恋人から冷たくされた百合恵はどう思っただろう。

百合恵は冷たくされてもなおアレクに近づこうと努力していた。

それを知りながら距離を置いたのはアレク自身だ。

それがどれほど百合恵を傷つけることになっただろうか。

なぜあのとき自分は百合恵に優しくすることが出来なかったのか。

あのとき百合恵の好意に応えられなくても、せめて優しく接することが出来ていたなら、もう少し違った現実が待っていただろうか。

自分と百合恵が一緒に過ごせる未来が・・・。

そこまで考えてアレクは頭を振った。

現実逃避をしても意味がない。

アレクは今自分が出来ることをするだけだ。

それがたとえ遅すぎた約束の果たし方だとしても。


アレクは港が見渡せるあの公園に行くため執務室を出た。

暗くなりがちな思考を変えたい。

屋敷を出るとき東館のほうをちらりと見たが誰の姿も見えなかった。

ラルフが仕事に出かけているのであれば、百合恵は一人で退屈しているかもしれない。

公園に誘ってみようか。

頭に浮かんだ想いをアレクは慌てて取り消した。

いくら気持ちを抑えているとはいえ自分は百合恵を想い過ぎている。

それは結婚を控えた百合恵のためにはならない。

アレクは息を一つ吐きだすと、公園へ足を向けた。


小道を抜け公園のベンチが姿を現すと、すでに先客がいた。

先日もいた黒髪の女性だ。

足音で気配に気づいた女性が振り返ってアレクを見る。

彼女は一瞬目を瞠ったがアレクに会釈をするとすぐに目を逸らした。

アレクも何も言わず同じベンチの端に腰掛ける。

その女性はたまにこのベンチにいる。

週に一度か、二週に一度か、頻繁ではないが忘れるほど少なくもない回数をここで会っていた。

だが会釈をするだけでそれ以上の挨拶や言葉を交わすことはなく、ただ隣に座っているだけだった。

不思議な女性だとアレクは思う。

まるで花のようだ。

その存在を確かに感じるのに、ここで過ごすアレクの時間を邪魔することはなく、周囲に溶け込んでいる。

風が吹くと彼女の髪が揺れる。

そこからアレクのほうへ薄甘い香りが漂ってきた。

彼女の香りだろうか、花のようなその香りは薔薇に似ているが違う気もする。

香りに釣られるように顔を向けると、黒髪の彼女もこちらを見ていた。

会うときはいつも真っ直ぐ海を見ているマリンブルーの瞳が珍しくアレクを見ていた。

たいていアレクを見つめる女性の目には好意か媚が含まれているが、彼女の瞳はただ真っ直ぐにアレクを見ている。

まるでアレクの為人を探るような不躾とも思える視線だが、不思議と不快感は覚えずアレクは戸惑った。

ふいに彼女が目を細める。


「また」


そう言うと彼女はベンチから立ち上がり去っていった。

その後姿を見送りながらアレクは彼女の言葉を反芻した。

「また」とはどういう意味だろうか。

「また会いましたね」という意味なのか、「また会いましょう」という意味なのか。

彼女は誰なのだろうか。

アレクの髪を揺らす風が吹いたが、彼女の残り香はもうなかった。



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