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十八話 恋の熟成度

アレクはわざと艶を含んだ熱い眼差しをリリアンに向けながら、一方で冷静に彼女を見ていた。

アレクが発した男女の関係を匂わせる言葉はリリアンの胸にどう響いただろうか。

本当に自分を好きになってほしいと思うアレクは意識的にリリアンを試す言葉を発したのだ。

リリアンがアレクに寄せる好意が百合恵の代理をした恋人ごっこで作られた錯覚なら、今のアレクの言葉に嫌悪感を示すだろう。

甘やかな言葉と贅沢を与えられるだけでなく、現実的な男女の行為を求められると知れば、目を覚ますはずだ。

結婚の約束もなくそういう関係になることはリリアンにとってこの上なく危ないことだからだ。

リリアンはこの瞬間からアレクに警戒を抱き、いきなりではなくても少しずつ距離を取ろうとするだろう。

だが、もしもリリアンの中にアレクを本当に想う気持ちがあるならば、嫌悪感や危機感以外の反応を返してくれるのではないか。

アレクはそれを見極めたいと思っていた。

そしてリリアンが見せてくれた反応はアレクを喜ばせることになった。

リリアンの表情と言葉には嫌悪感は見られなかった。

見えたのは羞恥と戸惑いと不安、そして一欠片の喜びと期待。

見誤るわけにはいかない。

そうなればリリアンを傷付けてしまうことになる。

アレクはリリアンに気付かれないように浅く息を吐き、艶を纏う空気を消し去った。

焦ってはいけないと頭ではわかっているのに、赤い顔で見つめられると愛しさが膨れ上がる。

無防備なリリアンに警告を与えるだけだと自身に言い訳をしながら、リリアンの髪に口付けた。

その黒髪から漂うゼラニウムの香りを吸い込むと、これ以上はまだ駄目だとすぐに離れた。

それなのにアレクの手は彼の心を表すようにリリアンの唇に引き寄せられる。

リリアンの頬はアレクの熱を移したように火照っていた。

リリアンの瞳をひたと見つめながら彼女に触れていた指先を自身の唇に添わせたアレクは、艶やかに左の口角を上げて微笑んだ。



リリアンの恋心が錯覚ではなかったとして、現時点でどの程度まで自分のことを想ってくれているのかアレクはまだ知らない。

錯覚から本物の恋心が芽吹いたばかりなのか、それともアレクのことを愛しいと想うまでになっているのか。

リリアンの胸の内を尋ねることがアレクには出来なかった。

焦って答えを求める自分の性急さのせいでリリアンを追い詰めたくはない。

アレクがはっきりと自分の想いを告げれば、リリアンはその想いに引きずられるようにアレクを好きになるかもしれない。

だがそれはアレクの望む形ではなかった。

アレクはリリアンの心を逃したくないと思っているし、それと同じくらいリリアンの想いが育つのを待ちたいと思っている。

アレクに流されるのではなく、リリアンには自らの感覚でアレクを好きだと思ってもらいたかった。

紅茶を口に含む間に冷静さと慎重さで胸の熱を包んで冷ましたアレクは、リリアンが安心するいつも通りの振る舞いに戻すことにした。

赤くなっていたリリアンもアレクの纏う空気が変わったことに気付いたのか、戸惑いを残した瞳でちらちらとアレクに視線をやりながらも紅茶を口にした。

リリアンの視線を感じ取ったアレクは彼女が過ごしやすいように話題を振ってやった。


「あなたはいつもどうやってサボンの種類を考案しているんだ?」

「う~ん、なんとなく・・・ですかね」

「なんとなくで出来るものなのか?」

「なんとなく浮かぶんですよ。コレで作れないかなぁとか」

「閃きということか」

「あっ、そんな感じです。街を歩いてたり、食事をしてたり、色んなときに『あ、この素材はどうだろう?』とか『コレとアレの組み合わせはどうだろう?』とか浮かぶので、あとは上手くいくか実験です」

「楽しんでいるようだな」

「はい、あれこれ試すのは楽しいですよ。思ったより香りが出なかったり長続きしなかったりすると、納得できるものが作れるまで食事も忘れて没頭することもありますし」

「そこまでするのか。見た目に寄らず職人気質だな」

「食事だけはちゃんと取りなさいって両親に叱られるんですけど、ハマるとずっとやっちゃうタイプなんです。でも最近はちっとも良いものが出来なくて・・・」

「納得するものが出来ないのか」

「閃いて作り始めても、途中でなんか違うって思って進まないんです。色とか形とかデザインも含めてどうにかしたいのに思い浮かばないっていうか」

「そうか」

「上手くいかないことが続くと全部投げ出して旅にでも出たくなります。現実逃避だとわかってるんですけどね。だから毎週水曜日にアレクと会えるのは、私の世界がいつもと変わって気分転換になるから楽しいです」

「それは良かった」


そう言ったアレクは少し考えるような面持ちで視線を庭へ向けた。

その隣でリリアンはお喋りで乾いた喉を紅茶で潤していた。

庭からリリアンに視線を戻したアレクは、彼女を真っ直ぐに見つめて話を切り出した。


「リリアン、私は来月になれば王都へ戻ることになる」

「・・・そうですか。もうそんな時期なんですね」


軽く伏せられたリリアンの目にどんな感情が浮かんでいるのかアレクには見えなかったが、寂しがってくれているのは声音でわかった。

アレクはリリアンの肩を抱き寄せたくなる想いを抑えて、次の言葉を発した。


「一緒に王都へ行かないか?」

「・・・私も?」

「ああ。あなたさえ良ければ。商品作りが上手くいかないと旅に出たくなると言っていただろう。王都へ行けば初めての場所で新しい発想が生まれるかもしれないし、ちょうどいいのではないか?」

「私・・・行ってみたいけど、でも・・・」

「店のこともあるだろうから、すぐに決められないことはわかっている。ご両親との相談もあるだろう。王都までの旅路や滞在中のことは全て私に任せてくれ。あなたには私と共に王都へ行きたいかどうかだけ考えてほしい」

「アレク・・・」

「私の気持ちを言えば、一緒に来てほしいと思っている。だがあなたにはあなたの想いがあるだろう。無理をして私に合わせなくてもいい。もし王都へは行かないという選択をしても、数か月後にはまた会える。私たちの関係は変わらない。ゆっくり考えてみてくれ」

「はい・・・。ありがとうございます」


リリアンはアレクの心遣いに胸が熱くなり、彼に触れたいという想いが湧き上がってきて戸惑った。

涙腺が緩みそうになるのを抑えるようにリリアンは側にあるアレクの手を握りしめた。

アレクはゆるりと左の口角を上げるとリリアンの手にもう片方の手を重ね、彼女の返事を待つ意思があると伝えるようにそれ以上は何もしなかった。






その日の夜、リリアンは自室でずっとアレクの言葉を考えていた。

王都に一緒に来てほしいと言われたが、それは百合恵の代わりとしてだろうか。

それとも純粋にリリアン自身に来てほしいと思っているのだろうか。

その二つがリリアンの頭にぐるぐると回って答えを出すのを迷わせている。

机の上に置いてある小瓶が目に留まると、リリアンはそれを手に取った。

蓋を開けるとゼラニウムとミントの香りが広がってくる。

アレクに渡したものと同じものを自分用に作っていた。

商品化するつもりはなく、二人だけの香りにするつもりで作ったものだ。

これを作る間はアレクのことを好きなだけ考えて過ごせて楽しかった。

出来上がった液体サボンを実用の瓶とは別に、掌に収まるほどの小さな瓶に詰めたのは、どこにでも持ち歩けるようにしたかったからだった。

好きな時にアレクと同じ香りを感じていたい。

そんな純粋な想いからだった。

そう、純粋な・・・。

昼間のアレクの言葉がリリアンの胸に甦る。


『あなたには私と共に王都へ行きたいかどうかだけ考えてほしい』


ただ純粋にアレクと一緒に王都へ行きたいかどうか。

それだけを考えるなら、答えはすでに出ていた。

一緒に行きたい。

いや、行きたいのではないかもしれない。

一緒に居たいのだ。

リリアンはアレクと一緒に居たい、だからアレクが王都へ行くなら付いて行きたい。

アレクの胸の内を探ろうとするから迷うのだろう。

アレクはリリアンに一緒に来てほしいと言ってくれた。

それで十分ではないか。

今までもそうやって迷ってきたけど、アレクはいつもリリアンを見てくれているのだ。

それを忘れなければ大丈夫だとリリアンは思う。

アレクが言うように王都に行き見知らぬものに触れればサボン作りにも新しい感覚が生まれるかもしれない。

そう思うと胸が躍るリリアンだった。

アレクにはゆっくり考えてほしいと言われたが、たった一日で結論を出すのは早計だろうか。

一度思いつくとリリアンは居ても立っても居られず、まだ両親が起きているだろうダイニングへと向かった。

リリアンの予想通り扉から明かりが漏れており、部屋に入るとテーブルを囲んで両親はホットワインを飲んでいた。

部屋に入って来たリリアンを見て母親は驚きつつも椅子を引いてくれた。


「珍しいわね、眠れないの?」

「ううん。ちょっと相談したいことがあって」

「何かあったの?」

「うん・・・。今日ね、アレ・・・侯爵に一緒に王都に行かないかって誘われたの」

「「え?!」」

「それでね・・・私も色々考えたんだけど、行きたいと思うの。行ってもいい?」


リリアンの相談内容に驚き、両親は目を丸くして顔を見合わせている。

いち早く我に返ったのは母親の方で、リリアンを優しい瞳で見つめた。


「もしかして求婚された?」

「「え?!」」


母親の言葉に今度はリリアンと父親が驚く番だった。

リリアンは慌てて首を振りながらも否定の言葉を口にした。


「ない!それはないよ」

「そうなの?それなのに侯爵はリリアンを王都へ連れていきたいの?せっかちなのかノンビリなのかわからない人ね」

「おまえ、侯爵に対してその言葉は・・・。いや、でも侯爵はどういうつもりでリリアンを誘っているんだ?」

「・・・私がサボン作りのアイデアが生まれなくて困ってるって話をしたから。王都に行けば新しい発想が生まれるんじゃないかって言ってくれて。それで私も行ってみたいと思ったの」

「リリアン。それだけじゃないでしょう?あなたの隠れた本音はなあに?」

「・・・」

「隠さないといけないようなこと?」

「・・・アレクが好きだから一緒に居たいの。だから王都にも一緒に行きたい」

「やっぱりそうよね。そうこなくっちゃ。私は付いて行くことに賛成よ」

「おい、おまえ。待ってくれ。リリアン、侯爵は他に何か言ってなかったのか?」

「王都までの旅路とか滞在中のこととかは全部自分に任せてほしいって。だから行きたいか行きたくないかだけゆっくり考えてくれればいいって」

「あなた、良かったわね。旅費も滞在費も全部侯爵持ちよ。リリアン、楽しんでらっしゃい」

「だから待てって。侯爵はゆっくり考えろと言っているんだろう。何もその日のうちに決めなくてもいいじゃないか」

「でもアレクを好きな気持ちはこのあと一週間考えたとしても変わらないから、今決めても同じだと思うの」

「リリアン、侯爵が王都へ戻るのは社交が目的の一つなんだぞ。王都にはグランヴィル侯爵以外にも貴族がたくさんいて、その中には美しいご令嬢も含まれる。・・・傷つくことになるかもしれないぞ」

「うん・・・。でも、離れたところからヤキモキして、風の噂でアレクとどこかのご令嬢の話を聞かされるよりもずっといいから」

「・・・わかったよ。リリアンがそこまで覚悟しているのなら反対しない。嫌なことがあれば侯爵なんか捨てて、すぐにでも帰ってくればいいしな」

「お父さん・・・ありがとう」


リリアンと母親は喜びの笑みを浮かべ抱き合っている。

父親はグランヴィル侯爵邸の方角を睨み付けながら、花嫁の父にでもなった気分でホットワインを飲み干した。



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