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十七話 黄色いゼラニウム

アレクから伝えられていた通り、翌週の火曜日に彼の名前で侯爵家からリリアンの元に手紙が届いた。

内容のほとんどがリリアンのその後の体調を気遣う言葉で埋め尽くされており、おまけのようにアレク自身のことが一文、いつも通りに過ごしているとだけ書かれていた。

明日は体調が悪ければ無理をしてほしくないことが念を押して書いてあり、もし会えないならお見舞いに行くことを許してほしいと添えられていた。

流れるような美しい文字が並んでいるが文体は男性らしく硬質で、それがなんともアレクらしいとリリアンは微笑んだ。

すぐに返事を書くからと言って侯爵家からの使いの者に待ってもらい、リリアンは端に花の模様が入った便箋に先日のお礼と体調はすっかり良くなったこと、明日は必ず伺うことを書くと筆を置いた。

文章をざっと見直し、少しためらった後もう一度筆をとると、会えるのを楽しみにしていると書き加え、愛を込めてと記し封を閉じた。


「お待たせしました。この手紙を侯爵にお渡しください」

「かしこまりました。明日はお越しになれそうですか?」

「はい」

「それではお迎えに参ります。さきにお届けに回る場所はありますか?」

「いいえ。明日は侯爵邸だけです」

「それでは奥様とのお約束の時間に間に合うように伺います」

「よろしくお願いします」



侯爵家からの使いと娘のやり取りを見守っていた父親は、急いで手紙を渡しに行ったリリアンが机に置いたままにしている侯爵からの手紙に目を向けた。

これは娘を心配する親心だと言い訳しつつも、微妙な加減で手紙を手繰り寄せこっそりと盗み見る。


「・・・・・・」


あの侯爵はうちの娘をどこぞのお姫様と勘違いしているのではないだろうか。

そう父親が疑いたくなるほど娘への思いやりに満ちた文章がそこには並んでいた。

誘惑に満ちた甘い言葉が並んでいるのではないかと少し心配もしたが、どれも娘の体調を気にかけたものばかりだったので、父親として侯爵に対し合格点を出してもいいと思った。

それにしても侯爵は娘のどこを気に入ったのだろうか。

確かに娘は親の贔屓目を除いても美人の部類に入ると思うが、せいぜい中の上くらいの出来である。

この辺りでは美人で通るが、王都に行けばもっと美しい娘たちがわんさか居て、その中に埋もれてしまうだろう。

もしかして侯爵は美人に見飽きていて、容姿にはたいして関心が薄いのかもしれない。

だとすると、リリアンは性格で選ばれたということか。

特に際立った所のある性格ではないが、何かが侯爵の琴線に触れたのかもしれない。

勝手に結論づけた父親は、とにかく酷い振り方をしてくれるなよと願った。

侯爵が娘を現時点で大切にしてくれていることはわかったが、身分の違いもあり結婚相手に娘が選ばれるなどという夢は抱いていない。

侯爵がどこぞの令嬢と結婚するときに娘が泣くことになるのは確実だが、せめて愛人として関係を引きずることなくスッパリと、だが傷が酷くならないようやんわりと別れてほしいものだと思う複雑な心境の父親だった。




水曜日になるとリリアンはアレクにもらったベイビーブルーのリボンを髪に結び、侯爵家からの馬車を待った。

やがて馬車が店の前の通りに姿を現すとリリアンは商品が入った手提げを持って外に出た。

この辺りではすでにリリアンは侯爵のお気に入りだと知れ渡っており、ご近所さんやお店のお客様や友人から興味と羨望の眼差しを受けることもしばしばで、直接質問攻めにされることもあった。

その度にリリアンは、アレクとどこに行って何を話したかや何をプレゼントされたかよりも、アレクがどんなに優しいかや気遣いのある人かを話した。

声を掛けてくる人たちは、お金持ちに貢がれて羨ましいとか格好良い侯爵を間近で見れて羨ましいとか自分たちの日常では味わえない贅沢を受けているリリアンに、その内実を聞きたいと関心を寄せてくる。

もちろんリリアンにとっても、アレクから施される贅沢は驚きもするが楽しくも嬉しくもあるので素直に受け取っているが、一番大切で愛しく思っているのはアレクがリリアンに向けてくれる気遣いの心であり優しい眼差しである。

だからリリアンがアレクとの関係について語るときは、どうしてもアレクの為人の話になってしまい、気付かないうちに惚気になっているのだった。

なかには「遊ばれているのにも気付かないでイイ気になって」「いずれは捨てられるのに」と嫉妬と蔑みの眼差しと言葉を投げかけてくる者もいた。

それには心が痛むリリアンだったが、その中傷を気にしてアレクと会うのを止めるという選択肢はなかった。

中傷に痛む心とアレクと過ごす喜びを比べれば、後者の方が大事なのは明らかだったからだ。

そんなリリアンを両親も応援してくれているようで、アレクと会うことを反対されることはなかった。

迎えに来た馬車に乗り込み、リリアンは今日も笑顔で侯爵邸へ向かうのだった。






侯爵邸へ着き、いつものように応接室でローザに商品を渡し雑談をしていると扉が叩かれた。

部屋へ入って来たのはリリアンをアレクの部屋へといつも案内してくれる家令のネイラーだった。


「ローザ大奥様。そろそろお時間かと」

「あら、もうそんな時間?」

「はい。あまり遅くなるとアレクシス様が乗り込んで来るやもしれません」

「あり得るわね。今までは年齢以上に妙に落ち着いたところがあると思っていたけど、最近は顔に感情が出るようになってきたものね。恋の力かしら?」

「そうやもしれません。喜ばしいことです・・・。噂をすれば、ですな」


ローザと話していた家令の最後の言葉に重なるようにアレクが扉から姿を現した。

ローザと家令が暗に自分たちの関係を語っているとわかったリリアンは頬を染めて視線を彷徨わせていたところに、もう一人の当事者が現れたため助けを求めるような視線を投げかけてしまった。

その視線を受けたアレクは眉を上げて母親と家令を見た。


「母上、ネイラー。何の話を?」

「そんなに睨まないで、アレク。そろそろ時間ねって話していただけよ」

「さようでございます。そろそろアレクシス様が痺れを切らしてリリアンお嬢様をお迎えに来る時間ではないかと話していただけでございます」

「・・・もういい。リリアン、おいで」


余計なことを言うなと言わんばかりの顔つきで二人を一瞥したアレクは、リリアンに向き直って手を差し出した。

二人に見せた態度とは違うアレクが発した語尾の優しい響きにリリアンの頬がさらに朱に染まる。

赤い頬を隠すように俯きアレクの手を借りて席を立ったリリアンは、ローザと家令に挨拶をして、その手を繋いだまま部屋から連れ出された。


「聞いた?あの子もあんな声が出せるのね」

「はい。恋の力かと」


隠す気のない音量で語られた会話はしっかりとアレクとリリアンの耳にも届いていた。

アレクは振り返り普通の者なら身も凍るような冷たい視線を投げかけてから、ますます赤くなって俯くリリアンの手をしっかり握ると足早に立ち去った。


アレクがリリアンを連れてきたさきは、以前彼女が来たときに気に入っていた裏庭だった。

リリアンが裏庭の草花を眺めている間にお茶の準備が整い、木陰のテーブルに二人で座った。


「元気そうで安心した」

「ご心配をおかけしてすみませんでした。いつもはあんなに酷くないんです。あの時は、その・・・何故かあんなで・・・」

「そうか。疲れが溜まっていたのかもしれないな。酷くないからと言って無理はしないようにな」

「はい。・・・そうだ。あの、これをお渡ししたくて・・・」


リリアンは家から持ってきた手提げの中から白い包みを取り出した。

お店にある贈答用のリボンの中からアレクの瞳に近い薄い水色を選んで飾りを付けたものだ。

初めは驚きの表情を見せたアレクだが、リリアンから包みを受け取ると嬉しさを滲ませた。

リボンをほどき包みを開くと、小さめの固形サボンと、ボトルに入ったサボンの二種類が出てきた。

固形のサボンには黄色い花びらが入っており見た目も美しい品物で優しい香りを放っていた。


「この前、たくさんお世話になったお礼に何かしたくて・・・」

「ありがとう。あなたの香りと似ている気がする」

「えっ。わかるんですか?」

「ああ、強くはないが風向きでたまに香っていたから。バラに似ていると思っていたが、実際は何の香りかまではわからなかった」

「ゼラニウムです。お店にはピンクの花びらで作った商品を出しているんですけど、今回は珍しく黄色い花が手に入ったからそれで作ってみたんです。固形の方はサシェにしてクローゼットに入れてもらえるかなと思って。アレクの好きなミントとゼラニウムの香りは相性が良いから、ボトルの方はその二つをブレンドして作ったんです。気分転換にでも使ってもらえると嬉しいんですけど・・・」

「私が使っている香りとの相性まで考えてくれたのか。嬉しいよ」


アレクはまず固形サボンの香りを確かめた後、ボトルの蓋を開け、その香りを確かめた。

その様子をリリアンは神妙な面持ちで見守っている。

不安と期待を瞳に隠しているリリアンを安心させるようにアレクは微笑んだ。


「とてもいい香りだ。気に入ったよ。特にボトルの方は興味深い発見があった」

「発見ですか?」


リリアンの疑問に答えてやるために、アレクは彼女の耳元に口を近づける。

秘密の発見なのかと思い、リリアンは内緒話を聞くようにアレクの言葉を待った。


「あなたと私の香りが混ざるとこうなるのかと思って。誘われている気分だ」

「!」


リリアンは思わず身を離し、アレクを見た。

アレクは乗り出していた身を椅子に戻すと、艶やかな瞳でリリアンを見つめた。

ここが昼の庭だということを忘れるほどに妖艶な空気が流れている。

二人の香りが混ざるというのは滅多になく、余程近くにいて同じ時を過ごさなければ混ざったりはしない。

つまりは一晩中肌を重ね合わせるということを意味する。


「ちっ、違うんです!そういう意味じゃなくて。ただ純粋にアレクと同じ香りが纏えたらいいなって思って。ゼラニウムだけだとアレクが好きかわからないし、ミントだけだと私には男性っぽい香りになっちゃうから・・・だから、その・・・」

「私とそういう関係になるのは嫌か?」

「え?!いえ・・・そんな、嫌だなんて・・・」

「ではその可能性を考えられるか?」

「はい・・・えと・・・でも、その・・・」


アレクはいつも通り優雅に椅子に腰かけているのに、その視線だけは熱っぽくリリアンを見つめていて逃さない。

優しい口調なのに答えないことは許されないような雰囲気があり、リリアンは赤い顔で必死に言葉を探すが何と言っていいのか上手い言葉が見つからなかった。

アレクと関係を持ってもいいかと聞かれたとき、すぐに嬉しいと思った。

リリアンはアレクのことを愛しく想っているし、純粋にアレクに求められる喜びを感じたのだ。

でもすぐに、それが百合恵の代わりだったらイヤだとか、結婚もしないのに求めに応じたらいけないとか、色々なことが頭に浮かんで素直な気持ちが何だったのかわからなくなってしまった。

リリアンの瞳が戸惑いに揺れていると、アレクが困ったように笑い、妖艶さを纏ったアイスブルーの瞳はいつもの穏やかな色に戻った。


「すまない。急すぎる話だったな」

「え・・・」

「今すぐ取って食べたりしないから安心してくれ」

「・・・はい」

「あなたを傷つけるようなことをするつもりはない。ただ無意識のうちにでも、あまりに可愛らしいことをすると危ないということは知っておいてくれ」

「はい・・・?」

「わかっていない顔だな」


アレクはリリアンの黒髪に手を伸ばすと結われたベイビーブルーのリボンに触れて微笑んだ。


「よく似合っている」


その黒髪を一房手に取ると、そこに口づけを贈った。

アレクが顔を上げると、未だに赤い顔のままのリリアンと目が合った。


「次は髪だけでは済まない」


顔を離した代わりにアレクの手はリリアンの唇をなぞった。

名残惜しそうにリリアンの唇から手を離したアレクは、自分の唇にその手を持って行った。

その間もアイスブルーの瞳を逸らさないアレクに、リリアンはこの人に本当に食べられてしまうかもしれない未来を垣間見せられた気がした。



黄色いゼラニウムの花言葉は「予期せぬ出会い」。

公園で出会ったアレクとリリアンに相応しいかなぁと思います。

実際黄色いゼラニウムが珍しいのかどうかはわかりませんので、そこはスルーでお願いします。

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