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十五話  一方通行

カーテンから漏れる朝陽で室内が徐々に明るさを増してきた頃、アレクは自然に目を覚ました。

アレクの横にはリリアンがぴったりとくっついて眠っている。

どうやらアレクはリリアンを抱え込んだまま眠っていたようだ。

穏やかに眠るリリアンの黒髪を一撫でするが、リリアンは身じろぎひとつしない。

痛みに悩まされず、ぐっすり眠っている姿にアレクは安心して頬を緩めた。


隣で眠るリリアンを見つめながら、アレクは胸に沸く愛しさを自覚していた。

恋ではないと思っていた。

リリアンに抱く思いは信頼であり、親友に向けるものと同じ感情だと思っていた。

だが昨日一日で自分の感情を誤魔化していたことにアレクは気付いた。

リリアンが見当たらないと探し回ったときの焦燥感と不安感も、その姿を見つけたときの言いようのない安堵と歓喜も、アレクの胸に湧き上がる感情は彼女が親友だからではない。

リリアンが愛しい人だからだ。

彼女の冷えた体を抱えたとき、離したくないと思った。

誰にも触れさせたくないと思ったのだ。

それなのにアレクの頭はその感情を否定する。

これは単なる厚意だと。

彼女が見当たらず驚いただけ、弱っている彼女に親切にしたいと思っただけ。

親友のままでいいじゃないかとアレクに囁きかける。

また恋に傷つきたいのかと。

彼女はおまえのことを好きだと錯覚しているにすぎないんだと。

自分で自分の感情を誤魔化して、親友以上の想いはないと思い込もうとしていた。

だが今ならわかる。

誤魔化そうとしている時点で、すでに恋だったのだ。

想いは自然に沸き上がり、抑えきれるはずもなく、アレクの自覚の有無にに拘らず、リリアンへの想いはアレクの中にすでに存在していたのだ。


「しばらくは片思いだな・・・」


アレクは浅く息を吐いた。

自分の想いを自覚したはいいが、昨夜のようにリリアンに強引に迫ることは避けねばならない。

リリアンから向けられる好意は、彼女が百合恵の代わりをするという、いわば恋人ごっこから生まれた錯覚なのだから。

リリアンはアレクから囁かれる甘言に惑わされて、アレクを好きだと勘違いしているにすぎない。

今後はリリアンが本当の意味で自分を好きだと思ってくれるように努力していこうと思うアレクだった。




リリアンはいつもと同じ時間に目を覚ました。

だが生理中は怠くて直ぐには起き上がれず、ベッドの中でゴロゴロしながら一日を始めるためのやる気が起こるのを待つのだ。

今日はそこまで怠くないものの、ベッドの心地良さは離れ難い。

顔を伏せたまま枕を抱え込み「う〜」と唸りながら、もぞもぞと起き上がる体勢に持っていく。

なんだか枕がいつもよりフワフワな気がするとリリアンがぼんやり思っていると、頭上から笑い声が聞こえた。

お父さんが起こしに来たのだろうかと訝しがりつつも、枕を抱えたまま顔だけ声のした方に向けると、笑いを含んだアイスブルーの瞳と目が合った。


「怠いなら、ゆっくり寝ていてもいいぞ」


リリアンの黒髪を梳く手が優しくて、また目を閉じてしまいそうになる。

アレクの手は気持ち良い。

そう、アレクの・・・。


「アレク?!」


枕を抱えていた両手をベッドにつき、勢いよく上半身を起こしたリリアンは目を見開いた。

ベッドに腰掛けたアレクはリリアンの乱れた髪を手櫛で整えてやる。

その動作があまりに自然でリリアンはアレクの手を受け入れたまま固まっていた。

ぼんやりとしていた頭がはっきりしてくると、昨夜のことが思い出されリリアンの顔に朱が走る。

今のリリアンの体勢だと、ちょうどアレクの唇が目線の前にあり、見ないでおこうと視線を彷徨わせるのに最後にはそこに戻ってきてしまう。

どうしていいかわからずリリアンがぎこちなく身じろぎすると、アレクの手が髪から離れていった。


「もう起きるか?」

「はい・・・」

「あちらに着替えと洗面用の湯が用意してある。まだ温かいはずだから使うといい」


リリアンは身支度を整えながら昨夜のアレクを想った。

昨夜アレクが口にした異世界の物語は、きっと彼自身が体験したものだろう。

普段なら異世界なんて話をされても俄かには信じられないが、あの話は以前聞いていたアレクと百合恵の話に被るのだ。

弟と結婚してしまったことと言い、話の辻褄が合い過ぎる。

アレクは異世界へ渡ったなどという突拍子もない冗談を言う性格ではないし、昨夜の話はアレクの身に起きた本当の話だろうとリリアンは信じた。

あの寝物語はアレク自身の物語であると思うと、ズクリと胸が痛む。

アレクがあのとき泣いたわけを、今になって深く理解したリリアンは、アレクが百合恵に対して抱いていた切ない想いに胸が苦しい。

リリアンがいくらアレクを想っても、アレクの中から百合恵への想いが消えることはないように思えるのだ。

あの寝物語のことを昇華された心の話だと、アレクは言った。

本当にそうだろうか。

昨夜の口付けは、本当は百合恵に贈りたかったものではなかったのか。

アレクの唇を想うとリリアンの胸は甘く疼くのに、それも百合恵の代わりだったかもしれないと思った途端、痛みに変わる。

これが片思いの痛みというものなら、なんて辛いんだろうとリリアンはそっと目を伏せた。




衝立の向こうから朝食が運ばれてきた音と焼き立てのパンの香ばしい香りが漂ってきた。

リリアンは鏡に映る自分を見て気分を立て直した。

鏡に映る自分はアレクが用意してくれた花の地柄が入った紺色のワンピースを着て澄ましている。

光の加減で浮き出る地柄とレース飾りのおかげで、清楚で上品なお嬢様の出来上がりだ。

美しいうえに着心地がよく、しかも安心できる。

今日みたいな生理中は万が一ということもあるため、血が付いても目立たない濃い色の服が安心なのだ。

綺麗なだけの服を着て不安な気持ちで過ごすことにならずに済んで良かった。

昨日の甲斐甲斐しいアレクの様子から見て、そこまで考えて選んだのかもしれないとリリアンは確信に近い思いを抱いた。

それを思うと気恥ずかしくもあり、嬉しくもある。

鏡に向かってリリアンはにっこり微笑んだ。

大丈夫、アレクは自分のこともしっかりと見てくれている。

リリアンは鏡の中の自分の心にそう確認してから朝食の席へを向かった。




テーブルには、トーストに丸パン、数種類のジャムに蜂蜜とバター、トマトと野菜のスープ、大ぶりのハムが数枚乗ったサラダ、オムレツ、ヨーグルト、カットフルーツがずらりと並んでいた。

朝は簡単に済ませることが多いリリアンだが、この料理を見ると急に食欲がわいてきた。


「すごい!美味しそう!」

「食欲があって良かった。食べれるだけどうぞ」


リリアンはどれから食べようか目移りするが、温かいものは温かいうちに食べようとパン、スープ、オムレツを平らげていくことにした。

美味しい美味しいと食べるリリアンにアレクは目を細める。

そんなアレクと目が合い照れながらも微笑み返したリリアンは意外なことに気が付いた。


「アレクはトーストをそのまま食べるんですね」

「?」

「ほら、高貴な方はテーブルマナーとかでパンは一口サイズに小さくちぎってから食べるでしょ?」

「・・・ああ、そうだな。ふつうのパンは私もちぎるんだが、トーストだけはそのままかぶりついているな・・・」

「へえ、トーストだけ。でもわかります。トーストは小さくちぎって食べるより、かぶりついた方が断然美味しいですもんね」


アレクはリリアンに指摘されるまで自分がトーストだけはかぶりついていることに気が付いていなかった。

アレクは昔からトーストにかぶりついていたわけではない。

そうなったのは百合恵と暮らしてからだ。

あのときトーストをちぎって食べるアレクとかぶりついた方が美味しいという百合恵とで軽く口論になり、結局百合恵の意思を尊重してアレクもかぶりついて食べることにしたのだ。

そのときだけだと思っていたが、知らないうちに染みついてしまっていたらしい。

これは百合恵との思い出だと浸ることもなく、自然と自分の生活の中に同化していたことにアレクは驚いた。

百合恵と過ごした日々がアレクの中で同化し、これからは思い出すことも少なくなっていくだろう。

それは忘れたのではなく、昇華されたということだ。

そう思い至るとアレクは静かに目を閉じた。

そして目を開けると、アレクの目の前には楽しそうに食事をするリリアンが居る。

その幸せにアレクの胸は自然と温かくなった。

アレクの視線に気付かないリリアンは、丸パンの腹を割って中にオムレツを詰め込もうとしている。


「何をしているんだ?」

「サンドウィッチを作ろうと思って・・・」


オムレツを詰め終わったリリアンは、さらにハムを挟み込んで満面の笑みを浮かべた。

詰め込み過ぎて零れそうな具を手で押さえながら、大きく口を開けて頬張る姿を見てアレクは吹き出した。

口いっぱいに頬張ったリリアンは、笑ったアレクに抗議の視線を送り咀嚼を続ける。


「美味しいか?」

「・・・はい。とっても。アレクもやってみたらどうですか?私のはちょっと詰め込み過ぎちゃったけど・・・」


リリアンの言葉に頷き返し、アレクもオムレツとハムを挟んだサンドウィッチを作った。


「自分で作って食べるのは始めてだ。意外と楽しいものだな」

「でしょう?好きな具を挟めるし、作り立てって美味しく感じるんですよね。ちょっとお行儀が悪いですけど」

「二人で食べる食卓なら問題ないだろう」


そう言って、自分で作ったサンドウィッチを頬張るアレクを見て、リリアンは可笑しくなった。

笑うリリアンに今度はアレクが抗議の視線を送る。

しかしその視線が交わると、お互いに可笑しくなり二人とも笑い出してしまった。

アレクとリリアンにとって二人でとる初めての朝食は笑いに包まれた明るい記憶となるのだ。

二人は言葉にせずとも互いに同じことを思っていた。



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