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十四話 寝物語

夕食はリリアンの体調に合わせ軽めの物を部屋まで運んでもらい、アレクと二人向かい合って食べた。

リリアンはこれまで宿に泊まったことは数えるほどしかないが、部屋まで食事が運ばれてきたのは今回が初めてだ。

一階にある食堂に食べに行くのがおそらく普通だろう。

腹痛は治まってきたものの腰の怠さは増しており、食堂まで出向くのが億劫に思えるほどだったので、部屋に食事が運ばれてきたときには助かったと思った。

特別な部屋の特別な客だけのサービスに違いなく、自分の生理痛のためにアレクにいくらお金を使わせてしまったんだと怖くなるが、ここでリリアンがその話をしてもアレクがはぐらかすことは目に見えている。

いずれうちの商品を通して恩返ししていこうとリリアンは心に決め、アレクが自分に向けてくれる心遣いを遠慮せずに受け入れることにした。


食事が終わり食器が下げられる中、アレクとリリアンはソファに隣同士に座りハーブティーを飲んでいた。

人が働いているのを横目で見ながら寛ぐというのはリリアンにとってはなかなか難しい。

だが隣に座るアレクはまるで気にした様子もなくリリアンの腰を擦っている。

アレクは周りに人が居ようが居まいが関係なく、常にリリアンの体調を優先に振る舞っていた。

アレクがリリアンに気持ちを集中してくれていると思うと、リリアンの心は熱を帯びる。

腰を擦るアレクの掌の温もりを感じれば、アレクしか目に入らなくなってしましそうだ。

そこでハタとリリアンは気が付いた。

余計なことを考えるから周りが気になるのだということに。

宿の人が自分が食べた食器を片付けてくれているのに、自分は休んでいて申し訳ないとか。

アレクに甘えているところを宿の人に見られたらどう思われるだろうとか。

だらしない?ふしだら?身の程知らず?

リリアンが気にしているのは全部他人の目を気にした余計なことだ。

アレクがそうしてくれているように、自分もアレクに集中して余計なことを考えなければいいと思う。

そうすれば、こんな時でも寛げるし、アレクに甘えられるし、リリアンにとって気持ちの良いことだらけだった。

急に体の力を抜いてソファにもたれかかったリリアンにアレクが優しく声を掛けた。


「疲れたか?」

「いいえ。人目を気にして寛げないのは勿体ないなと思っただけです」

「・・・そうか」


アレクは一度手の動きを止めたが、すぐにリリアンの腰を擦り始めた。

リリアンはその心情を詳しく話したわけではないが、人目にさらされることの多いアレクは彼女の言いたいことを察したようで穏やかに目を細めた。

その表情にリリアンが見惚れていると、客室係から声を掛けられた。


「失礼します。お湯の準備はいかがなさいますか?」

「お願いしよう」

「かしこまりました」


躊躇いなく答えたアレクにリリアンは首を傾げた。


「あの・・・アレクは帰らなくても大丈夫なんですか?」

「ここに一人残されては不安だろう?」

「・・・いえ、私は・・・大丈夫です」


慣れない高級宿に一人で泊まることを考えた途端に緊張した面持ちになったリリアンを見てアレクは苦笑した。

リリアンのマリンブルーの瞳は不安と人恋しさを如実に表していて言葉よりも正直だった。

アレクはその瞳を見つめながら、今日はもう結っていないリリアンの黒髪を梳いた。


「そうか。だがあなたを残していくのは私が心配だ。今日は私も泊まらせてくれ」

「はい・・・。ありがとうございます」


リリアンの返事にアレクは満足そうに頷いてみせた。

そうしているうちに湯の準備が整ったと声が掛けられ、アレクからもう一度湯に浸かるかと聞かれたリリアンは首を横に振った。

アレクは心配そうにしたが、あれから汗を掻いたわけでも体を冷やしたわけでもないので大丈夫だとリリアンは答え、結局温石を持って来てもらうことでアレクは納得し浴室へ向かった。


温石をもらったリリアンは冷めないうちにベッドに入り、アレクを待つことにした。

同じベッドで眠ると思うとアレクが来る前から緊張と羞恥がリリアンを包み込む。

自分は生理中で一緒に寝るだけで何もないことはわかっているのに、こんなにも心臓が煩くてはアレクから呆れられてしましそうだとリリアンは思った。

アレクと一緒に寝ても緊張しない方法はないかとリリアンがあれこれ考えているうちに時間がかなり経ったようで、アレクはもうベッドの横まで来ていた。

ベッドに入ってくるアレクをリリアンが見上げると、半乾きの髪がこめかみに張り付いて色香を放っている。

緊張しないために何か話せばいいと考え付いたリリアンだったが、アレクの姿を見て話そうと思っていたことが全部飛んで行ってしまった。


「アレクっ・・・」

「どうした?眠れないのか?」

「はい・・・お昼寝したから・・・」

「そうだったな。・・・眠くなるまで何か話すか」


リリアンはお腹に温石を抱えたままアレクの方へ向き直った。

アレクはずれた布団を整えてから、リリアンの腰に手を伸ばし擦り始めた。


「・・・少し珍しい話をしようか」

「珍しい?」

「異世界の話だ・・・」

「物語ですか?」

「・・・そうかもしれない」

「?」

「この国とは何もかもが違う世界の話だ。言葉に限らず服装も習慣も違う場所に、この国から一人の男が紛れ込んだ。男はどうやってその場所に辿り着いたのか全くわからなかった。目が覚めたらそこにいたのだ。男が目覚めた場所は小さな部屋の中だった。家具や置物、窓から見える風景に道行く人影の全てが珍しく奇妙で、どうしたら帰れるものか思案し続ける男のもとに一人の女性が現れた。その女性はこの部屋の主だといい、男が居ることに非常に驚いていた。警戒しつつも互いの話をし、男が異世界から来たことを知ると女性は帰る方法が見つかるまで男の面倒を見ることを買って出てくれた。言語が違うはずなのに何故かその国の言葉を男は話せたため二人の意思疎通は問題がなかった。男は記憶の一部が欠けていたがそれは異世界へ渡ったせいだろうと思っていたし、生活に困ることはなかったため時折違和感を覚える程度のものだった。女性は早い段階から男に心を開いて接していた。異世界へ渡った男の心情を気にかけ温かく語りかけた。感情を抑えてしまう男に対し、彼女はあなたの感情を見せてと言った。共感することはあっても軽蔑することはないからと。普段から人に弱みを見せないようにしてきた男の心は彼女のおかげで少しずつ解れていった。いつしか互いに好意を抱くようになったのは自然なことだった。それが互いに離れがたいと思うほど強く結びついた後、悲しい出来事が起こった。男が元の世界へ戻っていったのだ。男は元の世界へ戻る直前に欠けていた記憶を取り戻していた。それは二人が別れたあとに、愛した彼女が自分の世界へ渡って来たこと。だが時の悪戯か、彼女が渡ったのは男が彼女の世界に行く数か月も前の時間だったこと。男は愛する彼女が異世界から渡って来たとも知らず冷たく接し、彼女を傷つけ、最終的に彼女は男の弟と愛し合うようになること。それらのことを愛する彼女と別れる直前に思い出した男は悲しみに暮れた。やり場のない怒りと後悔と悲しみを胸に秘め、どうしたら彼女が幸せになるか、少しでも心穏やかに過ごせるかを考えた。やがて弟と愛し合うことになる彼女に、これから自分がする冷たい態度の懺悔の代わりに、男は彼女に別れを告げた。弟を選ぶことに罪悪感を持つことのないように。誰を選んでも自分が彼女を責めることはないと。そんな思いを込めて男が彼女に告げた別れの言葉は、きちんと彼女の胸に届いたようだった。彼女が弟と結婚する日、彼女は男に言った。あの時の言葉を覚えていると。あなたが心のままにと言ってくれたから自分の心を大切に出来たと。その言葉を聞いて、男は自分の想いが報われた気がした。男にとってハッピーエンドにならなかった恋はそこで終止符を打つことが出来た」

「・・・アレク・・・それは・・・」

「ただの寝物語だ」

「でも・・・」

「余計に眠れなくさせてしまったか」


暗がりに慣れたアレクの目はリリアンの揺れる瞳を捉えていた。

片手で頭を支えて横向きに寝そべっていたアレクは、もう片方の手で撫でていたリリアンの腰を抱き寄せた。

リリアンは息を飲み、咄嗟にアレクの胸に手を置いた。

夜着越しに伝わるアレクの体温がリリアンの頬を染めさせる。


「すでに昇華された心の話だ。それでも気になるか?」

「だって・・・切ない話だったから・・・」


リリアンの頭上に微かな息がかかり、アレクが笑った気配がした。

軽く上体を起こしたアレクがリリアンの耳元で囁いた。


「おやすみの口づけをしようか」

「・・・!?」

「あなたが眠くなるまで・・・」


言葉が終わると同時にリリアンの耳朶にアレクの唇が落とされた。

そのままこめかみ、額、眉間、瞼、鼻先へとアレクの唇はするすると移動する。

リリアンはアレクの夜着を掴んだまま、どうすることもできず上擦った声を漏らした。


「アレ、ク・・・!」

「どうした?」

「これじゃ・・・眠れ、ない・・・」


リリアンが喋ろうとする間も、アレクの唇はリリアンの火照る頬を横切っていく。

再び耳朶に唇が落とされ、ようやく落ち着いたかに見えたが、耳に息を吹き込まれるようなアレクの声にリリアンの肩が震えた。


「あなたに千の口付けを贈ろうか」


再び動き出したアレクは耳裏から首筋まで唇で辿ると、また戻り輪郭沿いに唇を這わせ細い顎に軽く吸い付くように口づけた。

先ほどよりも一つ一つの場所の体温が移るまで長く口づけていく。

そこから上がり、ふっくらしたリリアンの唇の際を優しく、だがしっかりと辿っていった。

アレクが唇を離すと、リリアンはゆっくりと目を開けた。

その瞳は僅かに熱を孕みながら、うっとりと波間を漂うように揺れてぼんやりとしている。

リリアンの表情にアレクは息を一つ吐き出すと、左の口角を上げて微笑んだ。


「このまま眠ってしまえばいい」


アレクの言葉に操られるように素直に目を閉じたリリアンの瞼に口づけを落とすと、アレクも体を横たえ、リリアンを包み込むようにして目を閉じた。

リリアンの腰をゆっくり擦ってやっていると、ほどなくしてリリアンの口から寝息が漏れるようになった。

彼女の穏やかな寝顔にアレクは安心した。

それでもアレクの手はリリアンの腰を撫で続ける。


「あの苦しい想いが昇華できたのは、あなたのおかげなんだ」


アレクはリリアンの寝息がかかるほど近くに顔を寄せた。


「あなたを解放してやれないどころか、こんな風に迫るなんて許されないのに・・・」


リリアンへの抑えがたい想いの正体の片鱗を見たアレクは熱と戸惑いの狭間で揺れながら、引き込まれるように眠るリリアンの唇に己のそれを重ねた。



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