十三話 最悪だけど甘やかなこと
体が温まり下腹部痛が和らいだところでリリアンは湯船から出た。
扉にかけてあったタオルで体を拭いてそっと扉を開けると脱衣所があり、そこにリリアンの着替えが置いてあった。
リリアンはほっとして脱衣所においてある着替えの前まで歩いた。
ここが安宿なら浴室を出たら、すぐに部屋という間取りだってありえるのだ。
ここに来たときは痛みを堪えるのに精一杯で室内を観察する余裕はなかったが、今まで使用していた浴室や脱衣所を見てかなり高級な宿ではないかとリリアンは思った。
リリアンが痛がる様子を見かねて自宅よりも近いこの宿に運んでくれたのだろうと思うと、自分の生理痛のためにこんな高価な宿を取ってもらって申し訳なく感じる。
着替えの服に手を伸ばすと、それは柔らかな肌触りのネグリジェだった。
その下には下着と生理中に使用する当て布まで数枚置いてあるのを見てリリアンは驚いた。
リリアンが着ていた服も下着も血で汚れていたため、それに着替えるのが無理なのことはわかっていた。
そしてアレクもそれに気付いている。
だからここにあるものはアレクが用意してくれたものだと思う。
今のリリアンにはどれも無いと困るもののため本当に有り難いのだが、今は感謝の念よりも羞恥のほうが勝りリリアンは身悶えた。
だがいつまでもこうしている訳にもいかない。
このままでは折角温めた体が冷えてしまうし、部屋ではきっとアレクが心配しながら待っているはずである。
リリアンは気を取り直し着替えを終えると、そろりと扉を開けた。
扉が開く音に気が付いたアレクと目が合うと、リリアンは恥ずかしさに俯いた。
アレクが側まで来る気配を感じつつもリリアンは顔を上げれない。
するとアレクがさっとリリアンを抱き上げてしまった。
「アッ、アレク?!」
「大丈夫か?」
驚くリリアンの顔をアイスブルーの瞳が心配そうに見ている。
リリアンはアレクを心配させたままだったことを思い出し、しっかりとアレクの目を見て返事をした。
「はい。温まったおかげで随分ラクになりました。あの、色々とすみません・・・」
「気にするな。ベッドで横になるか?それともソファでお茶を?」
「喉が渇いたのでお茶を飲みたいです」
リリアンの返事を受け、アレクはリリアンを抱えたままソファへ移動した。
アレクは優しくリリアンをソファに降ろすと、ラクな姿勢を取れるようにクッションを置いてやる。
テーブルに用意されていたお茶を注ぐとリリアンに渡した。
「月の巡りに効くというハーブティーを用意してもらった。体が少しでもラクになるといいが」
その言葉を聞いてリリアンは手にしていたお茶を零しそうになった。
ちらりとアレクを見ると彼はいたって真面目そうで、心底リリアンを心配してくれているに違いなかった。
ここで羞恥心に負けては気遣ってくれているアレクに失礼だと思い、リリアンは何でもない風に声を発した。
「ありがとうございます。着替えまで用意していただいて・・・」
「私ではわからないから、女性の従業員にお願いして揃えてもらったんだ。足りないものがあったら言ってくれ」
「十分です」
「それからご両親には容体を伝えて、こちらに泊まると連絡しておいた」
「わざわざありがとうございます。あっ、そうだ・・・。アレクのお屋敷に商品をお届けしてない・・・」
「それも連絡を入れているから気にしなくていい。今日はゆっくり休むことを考えろ。食欲があれば何か用意させるが」
「いえ、まだ平気です」
アレクの優しい目を見て話しているとリリアンは安心して全てを委ねたくなってしまう。
温まったのと安心して気が緩んだのとで眠気を感じるようになったリリアンは腰やお腹を擦りながらうつらうつらしてしまった。
アレクはそっと微笑むとリリアンの頭を自分の胸にもたれさせ、彼女のお腹を擦ってやった。
リリアンはアレクの胸の中で気持ち良さそうに吐息を零すと、そのまま寝息を立て始めた。
うたた寝をしたリリアンが目覚めたのは一時間程経ったあとだった。
ソファにいたはずのリリアンが目を覚ますと、そこは柔らかなベッドの上だった。
上半身だけ起こし部屋を見渡すと、アレクは一人掛けのソファに長い脚を組んでゆったりと座り、肘掛に頬杖をつき本を読んでいた。
そんな寛いだ姿のアレクを見たのは初めてで、その姿も様になっているとリリアンは声を掛けるのも忘れ見入っていた。
やがて視線に気付いたアレクが顔を上げ、起きているリリアンに気付くとゆるりと微笑んだ。
その顔があまりに優しくてリリアンは胸が苦しくなった。
このままずっとアレクのそばでこうしていられたらいいのにと願ってしまった。
「気分はどうだ?」
「・・・幸せなような、切ないような・・・」
「?」
困惑気味のアレクの顔を見て、リリアンは自分で何を言っているんだと焦った。
今の発言を無かったことにしてリリアンはベッドから降りようとする。
それを見て、足早にベッドサイドまで来たアレクはまた彼女を抱きかかえようと手を伸ばした。
「まっ、待ってアレク。もう自分で歩けます」
「しかし・・・」
「大丈夫ですから」
意外と過保護なアレクにもう一度大丈夫と微笑みかけてから、リリアンはそそくさとお手洗いに向かった。
お姫様抱っこは嬉しいが、室内での数歩だけの移動に何度も抱きかかえてもらっては恐縮してしまう。
しかも行き先がお手洗いだと恥ずかしさもあって尚更遠慮したい。
脱衣所に置いてある替えの当て布を取りに行ったリリアンは何となく浴室に目を遣って驚きに目を瞠った。
そこにはリリアンが汚してしまった服や下着が洗われ干されていた。
リリアンはそれを見なかったことにしてフラフラとお手洗いへ入った。
だが浴室の光景はしっかりと目に焼き付いている。
あのときリリアンの服を脱がせたのはアレクだが、そのあとの服の行方は気にしていなかった。
血に汚れたものを放置しておけば汚れが落ちにくくなるため、翌日うちに帰ってから洗ったところでまた着られるようになるかはわからない。
だから放置されていても捨てられていても仕方ないと思っていた。
それが浴室に干してあるということはリリアンが眠っている間に誰かが洗ってくれたのだろう。
アレクはリリアンの着替えを女性従業員に頼んだと言っていたので、その人がやってくれたのかもしれない。
母親でさえも生理の血が付いてしまったものを洗ってもらうのは恥ずかしくて頼んだことがないのに、見ず知らずの人に洗ってもらうとは。
リリアンはまたも羞恥に悶えたが、ここまでしてもらってお礼を言わないわけにはいかない。
リリアンは赤い顔をしてお手洗いから出ると、アレクの待つ部屋へ戻った。
顔が赤いリリアンにすぐに気づいたアレクは心配そうにリリアンを抱き上げると、今度はそのままソファに腰を下ろした。
アレクの膝に乗った形になったリリアンは慌てたが、アレクはますます心配そうに片手でリリアンの背を支え、もう片方の手でお腹を擦ってやる。
「少し熱があるのではないか?辛いなら医者を呼ぶから遠慮せずに言ってくれ」
「大丈夫です。本当に・・・」
生理中で気怠さがある体を撫でてもらうのはとても気持ちが良い。
アレクの手を拒めないリリアンは、恥ずかしいながらもアレクの膝の上に乗ったままでいた。
「あの・・・アレク。私が寝てる間に・・・その、服を洗ってくれた人を・・・」
「ああ。血の汚れだから早めに落とした方がいいと思って洗っておいた。血は落ちたと思うが、家に帰ってからもう一度やり直してくれ」
「え・・・。洗ったのって・・・アレク?」
「ああ」
リリアンは肯定の言葉を聞いて、アレクの膝の上で背中を硬直させて固まった。
女性従業員に洗ってもらったと思っていたのに。
それすら恥ずかしいと思っていたのに。
まさか好きな人に生理の汚れを洗ってもらうなんて。
彼は、好きな人なのに・・・侯爵なのに・・・領主なのに・・・。
恥ずかしいやら恐れ多いやらで、赤くなったり青くなったりしているリリアンの心情を察してか、アレクが励ますようにリリアンの背をゆっくり擦る。
「士官学校や隊務をしていた時にも血糊は自分たちで落としていたからこういう作業は慣れている。気にすることはないから」
「・・・・・・」
それとこれとは違う気がするとリリアンは思ったが、どこまでも善意でリリアンに尽くしてくれるアレクを前にこれ以上恥ずかしがるのも落ち込むのも悪い気がする。
恥ずかしさに顔を上げれずアレクの首筋に顔を埋めたリリアンは、お腹や腰を擦るアレクの手の優しさを感じながら気持ちを落ち着けた。
羞恥心で見えなくなっていたが、今の状況は甘い夢のようだとリリアンは感じた。
痛みに蹲るしかなかったリリアンをアレクはその手で救い出してくれたのだ。
アレクに助けられてからリリアンはお風呂に入って、お茶を飲んで、寝ていただけだ。
その間、本来なら痛むお腹を擦りながらでも自分で着替えて洗濯をして・・・とやることがあったはずだ。
自分だけだったら億劫で入浴して体を温めることもしなかったと思う。
それを全部アレクがしてくれた。
着替えや洗濯だけでなく、体にいいお茶を用意して、抱きかかえて歩き、お腹まで擦ってくれる。
好きな人にこんなに甘やかされる贅沢はないだろう。
生理を知られ、血の匂いのする服や下着まで見られ、しかも洗わせてしまった。
恥ずかしくて隠しておきたい自分を見られてしまった。
普通なら最悪だと落ち込んだり、恥ずかしくてもう顔を合わせられないと嘆くところだと思う。
それなのにアレクはいつも以上に優しくて、リリアンはアレクから離れたくないとさえ感じている。
もうこの人にならどんな自分を見せても大丈夫。
リリアンの胸にアレクに対する確固たる信頼と愛情が芽生えた。




