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一話 海の見える公園

グランヴィル侯爵邸は港町を見下ろせる丘の上に建っていた。

その侯爵邸から街に続く緩やかな坂を三分の一程下りたところに緑豊かな公園がある。

整えられた散歩道に小さいながらも薔薇園まである美しい公園だったが、丘の中腹にあるせいか坂道を登ってまでこの公園に来る人は少ない。

やって来る人も薔薇園で足を止めてしまい、その奥にある小道を進んでいく人は滅多にいなかった。

その小道をさらに行くと、道が二手に分かれる。

左手は薔薇園のほうへ戻る道で、海を眺めながら歩ける。

右手は芝生に飛び石が配置されているが曲がりくねっていて、その先に何があるかわからない。

ごくたまにこの奥の小道まで人が来ても、みんな見晴らしの良く歩きやすい左手の道を選ぶ。

だからグランヴィル侯爵アレクシスは、その右側の道の先に人がいるとは思ってもいなかった。

この飛び石が続く先を草木が隠しているが、鬱蒼としているようで実はそうではない。

横長い空間にベンチが置いてあり、展望台のように港町を見渡せるようになっているのだ。

この秘密基地のような場所は公園設計者の遊び心であり、それに気づいているのは自分だけではないかとアレクは今まで思っていた。

アレクがこの場所に気が付いたのは子どもの頃で、屋敷を抜け出しては冒険気分で何度もここに足を運んだ。

ここから見渡せる街と海の美しさは子どものアレクに感動を与えた。

ここが将来自分の領地になることを思えば尚更に。

弟のラルフにもこの場所を紹介し、しばらくは二人で何度も通い、将来のことを語り合ったりもした。

いつ頃からかラルフはこの場所から眺めるだけではなく近くで貿易船を見たい、活気溢れる街や店を見たいと言い出し、ここには来なくなった。

それからもアレクは一人でこの場所に通い続けた。

一人になりたいとき、気分を変えたいとき、ここで空と海に囲まれた街を見ながら風に吹かれていると心が軽くなり、行き詰ったことがあっても新たな気持ちで取り組めるようになるのだ。

静かに海を眺めたい、そう思ってこの場所を訪れたアレクは、自分がいつも座っているベンチに人がいることに驚いた。

その人物は真っ直ぐに前を見つめていて、海を眺めているのか空を眺めているのかわからなかった。

右耳の下で一つに束ねている黒髪が風に揺れている。


「ユリエ・・・?」


ユリエ・・・綿屋 百合恵。

アレクが異世界に渡ったときに一緒に暮らし恋仲になった女性。

そして今は百合恵がアレクの世界へ渡ってきた。

だが時の流れの悪戯か二人の想いはすれ違った。


アレクが思わず発した言葉に黒髪の女性が振り返る。

その瞳はかつての恋人の目の色とは全く違うマリンブルーだった。

彼女はこの場所に人がいることに驚いたのか、突然声を掛けられたことに驚いたのか、その両方か、目を丸くしてアレクをじっと見ている。


「・・・すまない、人違いだ」


アレクがそう言うと彼女はまた前を向いて静かに景色を眺め始めた。

彼女は特にアレクに関心を示すことなく、景色と同化するかのように動かない。

一人になりたかったアレクは引き返すことも考えたが、彼女の様子を見てそのまま留まることにした。

ベンチの端に腰を下ろし、アレクもまた海を眺めた。


彼女を百合恵と間違えたのは、彼女が百合恵と同じ黒髪だったからという理由だけではない。

先ほどまで百合恵にここからの景色を見せたいと思っていたからだ。

百合恵をこの場所に連れてきたいと思っていた。

領地に戻ることが決まってから、ずっと。

馬車の中で百合恵が窓に張り付いて熱心に港町の風景を眺めていた時に、強くそう思った。

だがそれは口に出来ない願いだった。

百合恵は弟であるラルフの婚約者なのだから。

いくら婚約者の兄という立場だからと言って、屋敷以外の場所で二人きりになる誘いをするべきではない。

そうわかっているのに願いは消えず、つい二人が住む東館へと足を向けてしまう。

そこで二人が庭から見える港町の眺めを仲睦まじく見下ろしている様子を見て、アレクは声を掛けることなく引き返したのだ。

ラルフも一緒に誘えばいいのだが、そういう気になれないのはアレクの想いがまだ百合恵にあるからだ。

百合恵は心のままにラルフを選び、その選択は彼女をさらに幸せにするとわかっていたから、アレクは見守ることを選んだ。

だが百合恵への想いは簡単には消えず、今も熱く彼女を想っている。

それを百合恵にぶつけてしまわないように、ラルフに気付かれ不安にさせないように、アレクは自分を抑える必要があった。

それにはこの公園が最適だとアレクは思う。

自分以外誰も知ることのない場所で、百合恵への想いを昇華させるために、穏やかな空と海を眺め風に吹かれて心を落ち着ける。

今までもそうやって対処してきたのだ。

悩み、悲しみ、苦しみ、爵位を継ぐ前も今も、抱えきれない想いに飲み込まれる前にここへ来て心を静めてきた。

アレクは目を閉じると、脳裏に浮かぶ百合恵の姿に微笑みかける。

自分だけに笑いかけていた百合恵の隣にラルフが現れ二人が寄り添う。

その姿にアレクの胸は軋むように痛むが、百合恵の笑顔に意識を集中すると痛みが和らいだ。

自分の想いを抑える対処法を見つけたアレクは目を開けた。

何においても百合恵の笑顔を優先すればいい。

百合恵の笑顔を守ることのために、自分の想いを注げばいい。

百合恵自身に想いを押し付けることなく、彼女を取り巻く環境を整えてやる。

百合恵が笑顔で居れるように、自分に出来ることはもうそれくらいしか残されていないのだ。

百合恵は初めて訪れた領地で慣れないこともたくさんあるはずだ。

それを影ながら支えてやることが出来るなら、行き場をなくしたこの想いも徐々に昇華できるだろう。

やがては本当に二人の幸せを見守ることが出来るようになるはずだ。

それまではどうか百合恵を想い続けることを許してほしい。

アレクは目線を上げ、空を流れる雲を見る。

薄い雲は風に流されゆっくりと形を変えていく。

あの雲のように自分もゆっくりと自然に百合恵への想いの形を変えていければいいとアレクは思った。

屋敷へ戻ろうと立ち上がったとき横を見ると、もうベンチには黒髪の女性の姿はなかった。



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