幼馴染みの絆-7
『2―B』の教室は俺達のいる『2―A』の教室に比べ、やや閑散としていた。
高校生と言えど昼休みになれば席を囲んで、仲の良い友人なんかとでかい声を出して喋り合ったり、はしゃぎまわる奴が大抵二、三人位はいても別に不思議じゃない。実際俺のクラスにはうるさいのが多い。
しかしこのクラスには、弁当を机の上に並べて軽く談笑し合っている者はいても、騒いでいる者はいなかった。
そんなクラスに足を踏み入れた所為か、俺一人がこのクラスの敷居を跨いだ瞬間、いくつもの視線が俺に集中した。
「おい、あいつ隣の七種じゃね? 使い物にならなくなった……」
「ああ、ホントだ。雑草君がこんなとこになんの用があんのかねー?」
「七種君って、サッカー部辞めてからホントに気味悪くなったよねぇ? なに考えてんのかもわかんないし……」
本人たちは俺に聞こえないように喋っているつもりなのだろうが、それらの悪意ある言葉は嫌でも俺の耳まで届いてくる。そう言う事はせめて本人――要するに俺に聞えないように言って欲しいものだ。
じゃないと鈴蘭に会う前に俺の心が擦り切れてしまう……。
鈴蘭は窓際の一番前の席に座っていた。見た所書類の整理をしているようで、彼女だけは未だ昼休みの自由な時間を享受していないようだった。もしかすると、これが彼女なりの自由な時間の潰し方、なのかもしれないが。
周囲の目線に晒される中、未だ俺の存在に気付いていない鈴蘭へと歩み寄る。
「よう。鈴蘭」
「なんでしょうか? 今ちょっと忙しいので――っ!」
鈴蘭は忙しなく動かしていた両手を止め、顔を上げた。すると信じられない光景を目にしたように大きく目を開き、小さく口を開け、彼女の全てが静止してしまった。
時間の止まった鈴蘭は少しの間をおいて再び動き出す。
「そ、草様っ!」
「「「「「そうさまっ?」」」」」
教室の至る所から驚きの声が上がる。恐らく周りの連中も俺と鈴蘭の様子を窺い、聞き耳を立てていたのだろう。俺が周囲を見渡すとこちらを見ていた連中が全員、顔を伏せた。
「――んんっ! さっ七種君ですか。私になんのご用でしょう?」
自分の席の横に立ち背筋をピンと伸ばした鈴蘭は、口元に手を当てて一つ咳払いを入れると、何事もなかったかのような佇まいで改めてこちらに目を向けた。
こうして鈴蘭の顔を間近に見るのは初めてで、容姿は異性の目を惹くには十分すぎる程に綺麗だ。端正な顔立ちと、制服の上からでも見て取れる抜群のスタイルに誰もが彼女に魅了される。男子から特に人気の高い鈴蘭ではあるが、彼女の持つカリスマ性は男子のみならず女子からも人気があると言う。
しかし俺が特に目を惹いたのは、彼女の腰まで届く長い黒髪。
一本一本が繊細さを保つそれは、さながら手から零れ落ちる水を連想させた。漆黒の色はどこまでも深く、俺の目を奥へと誘う。
「……?」
凝視していると、鈴蘭に不可解な顔をした。
目をいったん閉じる。
まあ、俺はあまり色恋沙汰には興味がない。特に理由はないが……。
鈴蘭の気持ちを知っておきながらこうして知らぬ体を装うのは別に難しくもない。それに今はそんな話をしに来たのではないのだから。
「植物会を荒らしたのはお前だな? 鈴蘭」
「ええ、そうです。七種君にも見ていただけたのですね」
「あっさり認めるんだな? 誰も詳しい事はわかんないだろうし、ここで話していてもお前がしでかした、だなんて俺と飛芽以外は知り由もないだろう」
「そうですね」
「だけどよ、悪気はないのかよ?」
鈴蘭は髪を揺らし、口の端を釣り上げた。
「ありませんね。私の想いを伝える為ならば……邪魔な人間を排除する為ならば、私はなんだってして見せます」
右手を宙に躍らせ、女王のような立ち振る舞い。高飛車な鈴蘭の態度に苛立ちが募る。握った拳が自然と硬くなった。
「お前……よく委員長になれたな」
「そういう生き方をしてきたものでして。人の上に立つのであれば、それだけの器があると公に誇示して見せればいいのです。そうすれば自ずと……あの、もしかして怒ってますか?」
「当たり前だ」
こめかみが引くつく。頭が熱くなってくる。心臓を落着かせる為に息を深く吐いた。
そんな俺の様子を見てか、鈴蘭は焦り出した。
「どうしてですかっ? 七種君は植物に興味が無いのですよね? アイビーの花言葉も知らないのですよね? ならもうあんな土臭い所に縛られなくとも自由になれる筈です」
「確かに俺は花言葉なんてひとっつも知らない。花の種類なんて桜かバラかチューリップ位しかすぐに思いつかないし、観葉植物なんてただの形の違う雑草にしか見えないさ。興味があるのは飛芽だけであって、俺はあいつの幼馴染みだから引っ張り込まれただけだ」
「それならば――っ!」
――バンッ!
鈴蘭の机を思いっきり叩いた。弾けた音は教室中を駆け巡り、他の音をすべて呑み込んでしまう。誰の囁き声も聞こえない教室は静寂に満たされた。
「だけどよ……」
俺の突発的な行動に、さすがに怯んだ鈴蘭は怯えた目で俺を見る。
鈴蘭の植物会を荒らした理由が俺に想いを寄せているからだとすれば、飛芽がどれだけ鈴蘭の事を糾弾しようとも、俺は彼女の行いに酌量してやる立場の人間なのかもしれない。
しかし俺の頭の中は、荒らされた植物会を見つめながら呆然と立ち尽くす、飛芽の姿で埋め尽くされていた。
「俺の幼馴染みの……飛芽の大切な場所を壊したお前を、俺は絶対に許さない!」
目の前で怯える鈴蘭を、俺は睨み続ける。
「そ、そう、さま……」
「次期生徒会長だかなんだか知らないが、飛芽を傷つけるような奴はどんな手を使ってでも俺が潰す……。お前が植物会をぶち壊した事よりも、もっと残酷にな」
今の俺ならあいつの為にどんなことだってしてやれる。そんな気分だ。
「あ、あたなはそんなにもっ! 菊川さんを想っているのですか?」
「あいつには好きだとかそういう感情は持ってない。ただ一つだけ言える事がある」
なんの雑音も聞こえてこない教室で、机についたままだった右手を持ち上げ、親指を自分の頭へと向けた。
「あいつは俺の幼馴染みだ! だから俺はあいつを守ってやりたいって、そう思える」
「……」
「飛芽は――お前なんかより、ずっと大切だ」
「…………」
静けさに支配された教室。現在の俺と鈴蘭を遠目から眺めているであろう周りの人間が、どんな事を考えているのか。その場の空気から自然と読み取る事ができる。
なに言ってんだ? こいつ――と、そう思っているに違いない。
でも俺は、なにも役に立たない俺には、ただ一人の幼馴染をどんな悪意からも遠ざけて見せる。――そうやって虚勢を張る事しか思いつかなかった。
「――って……あんたは、なに恥ずかしい事言ってんのよ!」
スパンッ! という音と共に、後頭部からの衝撃。
「いって! なんだよ、今大事なとこ――」
俺の後頭部を叩いた人物は、自慢のポニーテールをブンブンと振り回し、俺の行動に対する憤慨を出し惜しみすることなく露わにする。そんなに頭に血が上っているのか、上気したように顔が真っ赤に染まっていた。
その人物――飛芽は仁王立ちで俺を睨みつている。
「大事ってねぇ……私に相談もせずに勝手な事してんじゃないわよ! しかも一人で暴走した挙句になんて事を口走って……。ちょっと来なさい!」
飛芽に左手を掴まれ、腕を強引に引っ張られる。
「待て! 俺はまだこいつに言い足りてねぇんだ。お前だっていろいろと言いたい事あんだろ? 大事な場所を壊されたんだ。恨み事の一つくらい言ってやれ!」
そう言って右手で鈴蘭を指差した。指の先には魂が抜け落ちたように虚空を見つめる鈴蘭がいる。
「あんたが言うな! いいっからっ! 黙ってついてきなさいよ!」
女子相応の力で引っ張られる左腕は、男の俺ならすぐにでも引き剥がす事ができるだろう。だけど、力強く掴まれた手を振り解こうとはせず、俺は飛芽に導かれるがまま、しんと静まり返る教室を見送った。




