幼馴染みの絆-3
俺はサッカーの推薦入学でこの林原高校に入った。
中学の頃からエースストライカーとして先陣を切り、何人もの執拗につきまとうディフェンダーを交わし、大きい壁のようなゴールキーパーとの一瞬の読み合いを経て、真っ白なゴールネットを豪快に揺らす。
その瞬間が堪らなく好きだった。緊迫するフィールドの中で、立ちはだかる難敵を交わして得た一つ一つのゴールが、それぞれ違う味わいのある達成感を俺にくれた。
いつしか夢中になって、気付けば県ナンバーワンのエースストライカーなどと呼ばれていた。
自分の求めるものが自分の努力した力で手に入れる事ができる。それと同時に自分が活躍すればするだけチームが勝ち上がり、どこまでもみんなの士気は上がっていく。
ここは俺だけの場所だ。誰にも邪魔なんかさせない。俺がみんなを勝利へと導いてやる。
ただ貪欲にゴールを追い求めた俺は様々な学校に評価され、推薦が来たのはなにも林原高校だけでなく、中には地方にある遠い学校もあった。
そんな中から俺は林原高校を選んだ。周りから羨望の眼差しを受け、憧憬の立場にいた俺は多くの人間から持て囃され、もちろん女子からの黄色い声援もあった。いつも隣にいた幼馴染みから感じる視線が痛かったが……。
しかし俺がこの林原高校サッカー部のヒーローになれたのは、最初の一年だけだったのだ。
かつて俺がいた居場所は余りにも軽く、小突かれただけで自分が積み上げてきたものすべてが崩れさってしまう程に脆かった。
今日も天気の良い朝だ。例年よりも今年の森杉市は気温が高いと今朝のニュースでやっていたが、確かに四月の気候にしては肌に感じる空気が温かくも感じる。
通学途中で袖をまくり、春服の白いシャツから半分むき出た自分の腕は、最近運動や筋トレなどをしておらず、なんだか細くなってしまったような気さえする。
その腕で教室の扉を開けた。
「……」
扉が開いたら音や気配などでそちらに視線を向けるのは自然の事だとは思う。俺だってそうだ。誰かが教室に入ってきて、さして興味もないのに視線を向けてしまうのは人間だからこそであってなにもおかしい事はない。
ただ俺に視線が集まる瞬間は、どうしても堪らなく嫌だった。
一瞬だけ静まり返った教室。その瞬間クラスメイトたちがこちらを向く。
その中に、友好的な視線をくれる者など誰もいない。
「あら草。今日は遅かったじゃない」
――いや、一人だけいたみたいだ。今の俺に変わらなく接してくれる幼馴染みが。
「おお。ちょっと寝坊しちまった。なんとか足引きずりながら走ったんだけどよ」
「ちょっとちょっと! 走っちゃ駄目だって先生から言われてんでしょ? 折角まともに歩けるようになったんだから無茶しないでよ」
「ははは、わりぃわりぃ」
「あんたホントにわかってんの? 全く……」
俺は軽く脚を引きずりながら自分の席へと向かい、椅子に腰を下ろした。飛芽は俺の軽い態度が気に食わないのか、腕を組んでむくれてしまっている。
一年生の頃、丁度夏ぐらいだっただろうか? 試合中の出来事で、相手選手と接触プレーがあり、着地に失敗した俺は膝を抱えてその場に蹲った。
検査を受けた結果、全治六カ月との宣告を受け俺は絶望した。
しかしまだ完治の見込みがある。あの俺だけが輝ける場所に帰り咲く事ができる。不屈の精神で俺は手術を受け、辛いリハビリに努めた。
俺の努力が実ったのか、早々に歩けるようにはなった。それは飛芽が自分の事のように俺につき添ってくれて、がむしゃらにリハビリをする俺を支えてくれたおかげだろう。
ただ、歩けるようにはなっても、まともに走る事が今もできないでいる。
「その内ちゃんと走れるようになるんだから、それまでは大人しくしてなさいよ。またサッカーやりたいんでしょ?」
「……ああ、そうだな」
怪我をしてから病院の先生に言われた半年はもうとっくの昔に過ぎている。なかなか復帰しない俺に、復活の期待を寄せる目線など既に一つもない。
「もうサッカーなんてできねぇだろ。なんの為に学校きてんだ? あいつ」
どこからかそんな声が聞こえた。
「ねえ? なんか言った?」
飛芽はその声がした方を怒りの形相で睨みつけた。
「は? なんも言ってねぇけど~?」
声を発した張本人であるサッカー部の藤井は、しらばっくれてそっぽを向いた。
こんな事は日常茶飯事だ。黄色い声を上げて俺の周りに群がっていた女子も、羨望の眼差しを俺に向けていた同じサッカー部員も、クラスメイト達ですら俺に興味を持たなくなった。
なにもできない俺は、いつのまにか孤独になっていたのだ。
飛芽には正直に話していないが、既にサッカー部に復帰する事を諦めている。だから飛芽が所属している植物会とやらに入ってもいいか、などと気楽に考えたのだ。なにもしないよりかはマシだとなにもできない自分にそう言い聞かせながら。
「みんな揃ってるか~? 朝礼始めるよ―」
朝っぱらから快活な声を教室中に走らせる先生が軽快な足取りで教壇に上がる。
今日も俺にとってなんの意味もない退屈な一日が、始まろうとしている。
「ふぅ。やっと終わったか」
退屈な授業の連続は俺になにも与えちゃくれない。なに気ない授業を俺自身が真面目に受けようとしていないからなのだろうけど、授業と真面目に向かい合ってみた所で学力が向上するとは到底思えず、やはり頭の出来――という才能のようなものが勉学において重要な役割を担っているのは間違いようもない。
つまりは、授業がめんどくさいのだ。
「なに一息ついてんの。早く実験室行くわよー。この間やっとストックの花が咲いたんだし、ちゃんとかわいがってあげないとね~」
まるで子供が産まれたような喜び方だ……。まあ植物好きの飛芽からしたら自分が育てている植物の全てが子供みたいなもんなのか。
ちなみにストックとは、アラセイトウという和名でも呼ばれる草花だ。基本切り花で人気の草花らしいが、矮性種という比較的小型の苗も出回っているらしく、飛芽はその矮性種のストックを小さな鉢に植えていた。
飛芽のながったらしい説明をよく覚えていられるものだと、自分で自分に感心してしまう。いや、別になにも嬉しくないが。
「はいはい、行きますよっと」
自分の席から腰を上げ、軽やかなステップを踏みながら教室を出ていく飛芽を追いかけようとした。
「あーあ。雑草くんは、女子にお世話されて良い御身分だね~」
「……」
教室後方の扉を潜ろうとした瞬間、ボソッとはしていたけれど確実に俺の耳に届いた悪意ある掠れた声が俺の歩みを止めた。
声の主は扉の一番近くの席に座っている藤井だ。朝の遠慮のない悪態もこいつが出所だったし、俺の悪評を周りにばら撒く筆頭と言えよう。制服のシャツを着崩し、エンジ色のネクタイを緩ませて胸元をはだけさせていた。目元を隠す長い髪をめんどくさそうに掻き上げながら再び掠れた声で俺に悪態を吐く。
「こちとら毎日練習してぇ、少ないレギュラーの座を狙ってるってのによぉ。てめぇは菊川とイチャイチャすんのに忙しいってか? 雑草は気楽でいいよな~」
「もう……サッカーは無理だ。復帰したところで前の感覚なんて取り戻せない。お前らの足を引っ張るだけだ」
「だったら学校辞めちまえよー。てめぇ推薦枠だったよなぁ? サッカーしねぇんじゃこんなとこ用ねぇだろ? てめぇみてぇな奴欲しがるとこなんてもうねーだろぉけどな」
「はは、そうだな」
なにも反論なんて出来ない。藤井の言う通りだ。サッカーを諦めて生きている俺に存在価値なんてあるのか? この学校はもう俺の事なんて必要としちゃいないのに俺はいつまでこの学校に居座っているつもりなのか。
俺はどうして今、ここにいる?
「なあ、なんでお前生きてんだよ?」
「……さぁ、な」
藤井はもしかして頭が悪い体を装っているだけで実は頭がいいんじゃないのか? そんな的を得た言葉をこんな男から聞けるなんて思っても見なかった。
藤井の言う通り、俺の存在価値を見出す以前に問わなければならない事がある。
俺の存在理由って――なんなんだろう?
俺は無視するように、藤井の言ってる事に興味がない振りをして教室を出た。なるべく平然を装っていたつもりだが、周りからは俺が逃げ出したように見えただろうか?
鈴蘭はこんな俺の一体どこを愛しているというのだろう?
廊下に出る。先に行った飛芽を追いかける為、そう自分に言い聞かせながら俺は早足で歩いた。




