幼馴染みの絆-2
「おいおい。本当に行くのか? 絶対こんなの悪戯だぞ?」
飛芽は昇降口を出て校舎裏へと向かっていた。気落ちしていた飛芽ではあったが、なにかに気付いたようにすぐさま立ち上がった。教室から出ていく幼馴染みを見て、心配になった俺は飛芽の後ろを引っ付いて歩く。
「行くに決まってるじゃない。このまま放っておいてどことも知らない相手に闇討ちに遭うよりましよ」
「闇討ちってなぁ……考えすぎじゃないのか?」
中庭の硬いアスファルトを踏みしめながら、飛芽はどんどん先を行く。自慢である長いポニーテールがあいつの感情を体現するように左右にブンブンと振られていた。
「置いてあったアイビーと、それにあの手紙……あんな事書かれていたら尚更ね」
「俺宛の言葉か? あんなの冗談に決まってる」
永遠の愛をあなたに――自慢じゃないが、サッカー部にいた頃の俺ならばそんな言葉の一つや二つ貰えていたのかもしれない。ただ、今の植物会にいる俺にそんな言葉を送ってくる奴なんて絶対にいない。
それは自分が一番よくわかっている事だ。
「でも……こんな誘い方をされて、私も黙っちゃいられないわ」
「……」
やはり気落ちしていた時とは違って今の飛芽は冷静だ。というより、落着いた表情の中に怒りの感情を押し留めているように見える。
「多分この先にいる筈よ」
南校舎の端まで辿り着いた。「校舎裏」と指定され、開けた場所でなく、閉塞感のある人目につかない場所はこの南校舎の裏側しかない。地面は舗装されていない砂利道へと変わり、真っ白な校舎と背の高い植木に挟まれた狭い空間だ。植木のすぐ横には金網があってその向こうは公道となるが、間隔の狭い植木によってほとんど遮蔽されている。
「なんで草が着いて来たのか知んないけど、あんたはここで待ってなさい」
「おいちょっと待て――あ~」
ペットに指示するかのように地面を指差すと、飛芽は躊躇いもなく校舎の角を折れていった。
怪しい手紙に怯えてた癖して堂々と相手の誘いに乗ったが……なにか変な事考えてなけりゃいいんだけどな。
飛芽は小さい頃から草花が好きなのだが、いろんな植物の知識を取り入れようとする探究心が強い。その為授業にも熱心に取り組んでいるし、妙なところで真面目だ。
「さすがに喧嘩になったりはしないと思うが……」
俺はその場に座り込み校舎の壁に背を預け、飛芽の会話を聞き取れるように校舎裏の静かな空間に耳を傾けた。
「私をここに呼び出したのはあなた?」
飛芽の声が小さく聞こえる。どうやら手紙の差出人と対面したようだ。
「はい。私です」
相手の声。丁寧な言葉で品がある。上品で透き通った声音は、俺の耳にまで届くほどには張りがあった。声を聞いた限りの印象としてはしっかりとした真面目な生徒……と言う他ない。
「ちょっと見てみるか」
校舎の角から顔だけを出し、校舎裏を覗いた。
「飛芽と……あれは、鈴蘭?」
飛芽と相対して睨み合うもう片方の人物は丁寧な佇まいで凛々しい表情をしていた。
彼女は鈴蘭枝里華――隣のクラスの女子だ。一年の頃から生徒会に入っていて、律儀な生徒としてある程度には知れ渡っている。今年の生徒会選ではまず間違いなくこの鈴蘭が選ばれるであろう事は、さして興味のない俺でも予想できた。
でもどうして鈴蘭が飛芽を呼び出したんだ?
向かい合う二人の間に風が吹き抜けた。飛芽の赤茶けたポニーテールが揺れ、鈴蘭の綺麗に梳き下ろされた長い黒髪がはためく。
「鈴蘭さん……いきなりで悪いけど、はっきり言ってあなたの思惑は読めてるわよ?」
「そうでしょうね。植物に関わる集まりとして、あの程度のメッセージは読み取って貰わなければ、せっかく私の育てたアイビーが無駄になってしまいます」
「やっぱりあなたがあそこまで育てたのね。観葉植物の中でもアイビーは比較的育てやすいとは言うけれど、葉の色は健康そのもので根詰まりも起こしていない。水やりも適度な量をちゃんと与えていたようだし、植物を育てる基本はちゃんと踏んでいる。あなた植物が好きなのかしら?」
「私はそんな話をする為にあなたをここへ呼び出したのではありません!」
飛芽に冷静さをかき乱され、鈴蘭は怒りを露わにしていた。いきなり園芸能力の評価などと論点のずれた話をされれば怒りも湧く事だろう。
「わかってるわよ。でも残念ね。花言葉の一つも覚えていない草にはあなたの気持ちはこれっぽっちも伝わっちゃいないわよ? ……っていうかあいつ、花言葉自体知ってるのかしら?」
いや馬鹿にしすぎだろ……。花言葉くらいは知っている。花につけられた言葉だろ? …………深い意味は知らん。それに悔しいが、あいつの言う通り花言葉なんて一つも憶えてはいない。別に興味があるわけでもないしな。
「そ、そんな! 草様はアイビーの花言葉も知らないのですか?」
「そ、そうさま……」
手紙にも書かれていたが、鈴蘭が俺の名前につけた敬称はとんでもないもので、実際に本人の口から聞いてみると開いた口が塞がらない。
「鈴蘭さんが草の事を好きだってのはわかったけど、そこまで心酔していたなんてね」
少し引き気味にたじろいだ飛芽に鈴蘭は得意げに語り始めた。
「草様は私のヒーローなのです。サッカー部を辞めてしまい、例え孤高のお方となってしまいましても、私は今でも陰ながらお慕いしております。サッカー部を辞めた事によって草様の悪評を流すクズ共がいるようですが……私の心はそんなものでは揺らぎません。ですから草様が現在いらっしゃる植物会に私の気持ちを送らせていただきました」
「なんか物騒な単語が聞えたんだけど、私の気のせいかしら?」
言っている事が不穏でも、飽くまでで礼儀正しい姿勢を貫き通す鈴蘭に押され気味の飛芽。鈴蘭の俺に対する愛が想像以上だったようだ。
しかし俺は今、見てはいけない場面を見ているのではないだろうか? 人事のように考えているものの鈴蘭が好意を抱いている相手がまごう事なき俺自身なのだ。正直盗み聞きしていて罪悪感が湧いてくる。
鈴蘭は右手の人差し指を飛芽へと向け、左手を腰に当てた。
「そんな事はどうでもいいです。私は草様を愛しています! 草様の周りでうろちょろと這いまわっているあなたが視界にあると、この私に迷惑です。草様から離れては頂けませんでしょうか?」
「……」
まるで王者の……いや、王女の風格を纏っている鈴蘭は高らかにそう言いきった。これが鈴蘭の飛芽に対する訴えなのだろう。俺に対する愛の情動と、真面目な性格が合わさり合った結果がこれなのだとすると、学年一の優等生である鈴蘭がなんだかアホっぽく見えた。
「嫌よ」
飛芽はその一言で鈴蘭の言葉を一蹴した。
……まあそう言うだろうな。
俺と飛芽は幼馴染みだ。それ故にこれまでこいつと過ごしてきた時間は決して短くはない。今までも何度か俺が飛芽を支えてきたつもりだし、そして飛芽も俺を支えてくれた。お互いに相手の事をわかっているんだと、俺はそう思っている。
だから飛芽は鈴蘭の要求を否定してくれるんじゃないかと予想出来た。
「なんですって?」
「嫌だって言ったのよ。私はいつも草の隣にいた。そしてこれからもそのつもりよ。あなたにこの大切な居場所を譲る気なんてないから」
「――っく。別にあなた方は付き合っているわけでもないのでしょう?」
「ええ、そうね」
「だったら私の愛の邪魔をしないでくれませんか? 目障りですよ」
段々と鈴蘭の口調に棘が立ち始める。凛々しく整っていた顔はいつのまにか歪んでいた。
しかし飛芽は素知らぬ体で鈴蘭を否定し続ける。
「私はあなたがどう思おうが構わないわ。私は草の隣に居続けるだけよ」
「ど、どうしてそこまでして――」
「幼馴染みだから。あなたも言ってたけど、草の周りに集っているゴミ共があいつの事を見放たとしても、幼馴染みである私だけはあいつの苦しみをわかってやりたい。私は絶対にあいつの隣にいる。……そう自分に誓ってるから」
「……」
木陰の中にいる飛芽の立ち姿は勇ましい。そんな飛芽を前にして鈴蘭は一言も言葉を発せず、驚きを隠せてはいなかった。
「私は草の隣にいられれば、それでいい。そして……草の隣は誰にも譲らない」
俺の位置からは飛芽の表情が見えない。しかし、飛芽が確固たる意志を持ってその場に立っていると、後ろ姿から見て取れた。
「…………私の邪魔をするなんて、言い度胸です」
鈴蘭は少し俯くと、黒髪とスカートを翻し、飛芽に背を向けた。
「どんな手を使ってでも……菊川さん、あなたから草様をお救いします」
鈴蘭はそう言い残し、俺が覗いている場所とは反対側の、校舎の端へと歩いて行った。
「ふぅ……」
「おい、大丈夫か?」
「あーそう言えばあんたいたのね」
溜息をついて肩の荷を下ろす飛芽に後ろから声を掛けた。
どうやら一難は去ったみたいだが、鈴蘭は未だに何か企んでいる様子であった。飛芽が落ち込んでいないか気配りはしてみたものの、余計な心配だったらしい。
「なんのこれしき――って感じね。あんたの幼馴染みとしての義務を果たしただけよ」
「そうか……でもあいつ、鈴蘭はまだなにか企んでるみたいだったぞ? どんな手を使ってでも、とか言ってたしな。……鈴蘭にとって俺はそんなに価値のある人間なのか?」
「実際に話してみた感触では本気であんたが好き――って言うか崇拝しているようにも感じたわね。まあ、ゴミ共に比べれば鈴蘭さんの方がよっぽどマシだけど」
鈴蘭もそうだったが、ゴミやらクズやら……まあ俺としては学校内での二人の姿勢には感謝せざるを得ないだろう。
俺をちゃんとした目で見てくれるのはもう……この二人だけなのかもしれないから。
「今日はもう帰るわよ。鈴蘭さん相手にして疲れちゃったし、なんだかお腹空いちゃった。どこかでなんかつまんで帰るわよー」
「つまんでって、お前おっさんみたいだな」
「おっさん言うな。とにかく、さっさと帰るわよー」
アイビーを植物会へと送りつけてきた鈴蘭との一戦を終え、樹木の葉の間から降り注ぐ木漏れ日が赤く染まり始めた校舎裏を歩きだす。
『どんな手を使ってでも……菊川さん、あなたから草様をお救いします』
鈴蘭の最後に残した言葉。彼女が今後なにをしてくるかわからない。生徒会長を有望視されるだけあって、あまり大仰な事はしてこないと思うが、警戒だけはしておいた方がいいだろう。
気だるげに歩く飛芽の背中を追いかける。二人で会話もせずに歩いていると、校舎裏に撒かれた砂利を踏む音がとても大きく聞えた。




