真実はそっと、胸の中に―6
彷徨う視界は沢木に声をかけられるまで生徒会室のあちこちを見渡していた。
「とりあえず、ここ座んなよ」
「あ、ああ。わかった」
指示されたのは長机を囲っている扉から一番近くの椅子だった。
鞄を木目を映す机の上へと置き、椅子を引いて恐る恐る腰を沈めていく。
「どうかしたの? なんだか挙動不審」
「なんでもない。それより俺に用とは一体なんなんだ? できれば早急に済ませてもらいたいんだが」
「そんなに慌てないでさ。ゆっくり私とお話ししようよ」
へらへらと笑いながら話しかけてくる沢木の態度に苛立つ。こんなやつに真面目に向き合うのも馬鹿らしく思えてきて机の上に頬杖を突いた。
大した用事でもないのか? それならなんで俺をこんなとこまで呼び出したんだ。俺としちゃ今すぐにでも植物会に行って飛芽と話し合わなくちゃいけないのに。飛芽との険悪な関係がこうやってズルズルと引き伸ばされていくのは不本意だ。ただの雰囲気というか流れでこんな場所まできてしまったが、果たして俺は正しい選択ができたのだろうか?
俺はよく考えた。飛芽との話し合い以外に大切な用事というのが一体どれだけあるのか――と。
素性もよく知らない相手と、長年付き添ってきた幼馴染を天秤にかける。
一方の皿には、支えきれない程の重みがあった――。
俺は席を立つ。
「俺は帰る」
「あー、だからちょっと待ってってば」
「お前の用とやらがどんなものかは知らないが、俺には他に大切な用事がある。こんな所で、しかもいつまで経っても明かしてこない用とやらがそこまで急を要するとはとてもじゃないが思えないな」
鞄を右肩に背負い、沢木に背を向けた。
「七種君はさぁ、真実を知りたくないの?」
沢木の言葉に後ろ襟を掴まれた気分だった。咄嗟に後ろを振り向く。
「真実? いきなりどうしたんだ。お前は中二病の気でもあるのか」
「中二病? なにそれ? よくわかんないけど……」
沢木の細長い足が交差し、艶めかしい太ももを俺へと見せつけてくる。腕を組み、先程と同じ、妖艶な笑みを再び顔に浮かばせていた。
「言葉通りの意味さ。七種草。あんたの知らないことだよ。だけど、あんたにとってとても重要であることは間違いないんじゃないか?」
「俺の知らない、俺にとって重要なこと? それはなんだ?」
勿体ぶった言い方をする沢木に遠慮なく問いかけた。
「それが知りたかったら私の話し相手になってよ。というかただの質問なんだけどね」
俺は簡単に考えた。俺にとって大切な事と、長年付き添ってきた幼馴染を天秤にかける。
結果は同じだった。
「そういうのはもっと時間がある時にでも教えてくれるか? 別に今教えてくれなくてもいいだろう? こっちはこう見えて割と忙しいんだ」
沢木に背を向ける。
「だーっ! どうしてこうせっかちなの? なんでこんな奴を気に入ってんだろね~絵里華は」
絵里華という単語に耳が疼いた。
「絵里華」と呼ぶくらいだから沢木は鈴蘭とは親しい間柄なのかもしれない。だとすると余計沢木と会話をする気が削がれていく。沢木があまり関わらない方がいい人物であるのは確かだろうから、早くこの場から退散した方がいいだろう。
生徒会室の扉に手をかけて、自分のするべき動作に自然と身を任せる。
扉を開けようと手前に引く力を入れた瞬間だった。
「その真実が、菊川飛芽に関係がある――って言ったらどうする?」
「――っ!」
不意を突かれ、扉にかけた手の力が抜けてしまう。
俺は全神経を集中させ、真剣に考えた。
俺にとってとても重要で、飛芽に関係のある真実と、長年付き添ってきた幼馴染を天秤にかける。
答えは――わからない。
自分のことだけだったなら特に興味はなかった。俺が自分自身に興味なんて持っていないのだから聞いたところで大した感想も出てこないだろう。自分のことは自分でよくわかっているし、それ以上も以下もない。
だが飛芽が関係していると言われればどうなのか。俺にとって重要で、飛芽が関係している真実。一体なんなのか全くの想像がつかない。沢木は俺と飛芽の間に、俺たちの知らないなにかが潜んでいるとでも言うのだろうか?
それぞれの重きを乗せた天秤の皿は水平で固定されている。自分の感情の入り乱れたこの状況で、どちらが重いのかすらわからない天秤などなんの役にも立たなかった。
「沢木、お前は俺になにが聞きたいんだ」
「おっ、やっと聞いてくれる気になったの? とりあえず座って座って。ほれほれ~」
右肩に背負った鞄を机へと放り投げ椅子へとのしかかった。苛立つ俺を見る沢木は満足そうな顔で机に身を乗り出してくる。
「まあその真実とやらは、絵里華が言うにもうすぐわかるみたいだから安心しなって」
「もうすぐ?」
沢木の引っかかる言い方に疑念を憶えたが、こちらの心境などお構いなしとばかりに沢木は言葉を紡いでいく。
「じゃあまず一つ目だ」
沢木は大きく出張った胸ポケットからメモ紙を取りだした。
「好きな食べ物は?」
「は? えと……まあカレーか」
いろいろと言いたいことはあったが、とりあえず質問に答えていく。
「ほうほう……辛いものが好きなの?」
「そういう訳じゃない。辛いものは好きだが甘いものだって普通に好きだ。チョコレートなんかも割と食べる」
「なるほどね。じゃあ趣味は? 普段はなにしてるの?」
「……昔はサッカーばかりしていたが、足を怪我してからは運動すらまともにやってないな。今は家でサッカー観戦か、後は飛芽と……菊川飛芽とどこかへ出かけたりとかか」
ペンをメモ紙へと走らせていた沢木の手が止まる。
「ねぇ、君は菊川さんと付き合ってんの?」
「付き合う? 俺たちはそういう関係じゃないんだ。俺と飛芽はただの幼馴染なんだから」
迷いなく、自信を持って俺はそう言った。
そう、俺たちの間に恋愛感情なんて一切ない。俺たちはずっと昔から一緒にいたんだ。
親友とか恋人とか、そんなものよりずっと――。
「ふーん。確かに面白いことになりそう……」
「なにがだ? 言っておくが俺はお前との会話になんの面白みも感じないぞ」
「私だってあんたと話してるだけじゃなんにも面白くないね。――まあそんなのどうでもいいから、えっと次は……」
それからも沢木の質問攻めは勢いを増していった。小学校は? 中学校は? 今まで好きな人は? どんな女子が好み? どんな花が好き? 将来の夢は? ――なかなか閉じてくれない沢木の口を塞いでやりたい気分で、半ば適当にいくつもの質問に答えていく。
「じゃあ――っと、時間だね」
着信音が鳴り、ポケットから取り出したスマホを確認する沢木。
「は? 質問はもういいのか? それじゃあ俺はこれで――」
「おっとと、どこ行くのかな?」
掴みかけた鞄は沢木に先に捕まれて動かない。
「質問はもう終わったんだろ? 俺はもうさすがに帰るぞ。丁度お前の質問攻めに飽き飽きしてきた所だったからな」
「わかってるって、だから質問はもう終了。これからまたついてきて欲しい所があるんだよね」
「もういい加減にしてくれ。これ以上は付き合いきれん」
沢木にも伝わってくれるようにと俺は少し強めに言葉を吐き出したが、沢木はいつまでも俺を苛立たせる笑みを浮かべたままだった。
「そんなに菊川さんに会いたいの?」
「……そうだ。悪いか?」
「いや別に。でもそれならあんたにも好都合だと思うんだけど」
「どういう意味だ」
滑らかな動きで席を立った沢木はゆっくり扉の方へと歩み寄っていく。まるで踊っているかのようにクネクネと曲がる沢木の細長い足が扉の前で動きを止めた。
「これから会いに行くんだよ。菊川さんにさ」
怪しい微笑みが、俺を扉の向こう側へと誘う。
自分の混乱し始めた頭は沢木が一体なにを考えているのか、その微笑みにどんな意味があるのか、必死に探ろうとしてとうとう思考を停止してしまう。そして一旦整理した頭の中で唯一、篝火のような光を放っていたのは飛芽の存在だけであった。
早く飛芽に会いたい――。
その一つの想いだけを胸に残したまま、俺は生徒会室を後にした。




