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雑草の選ぶ道  作者: 甲野香介
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追憶と重なる未来ー4

 この頃の飛芽は八割方くらい花壇の前でしゃがんで過ごしていた記憶がある。俺も飛芽に手を引かれ、花壇に咲く花を長々と見せられた時もあった。

 だからこの時も、きっと飛芽は花壇にいるんだろうと思っていた。


「あれ、飛芽ちゃん?」


 飛芽はいつもの花壇にいなかった。赤や黄色、紫といったカラフルな花が花壇の中を埋め尽くしているだけで、それを見ている飛芽はどこにも見当たらなかった。

 踵を返し、俺はまた走り出した。

 グラウンドを走り回る子供たちの中にも飛芽はいなかった。すれ違う誰かの顔を見回しながら中庭を通り過ぎた。昇降口で靴箱の中を見ると外には出ていないみたいだった。溜息を吐きながらまた廊下を走り始めた。

 自分の足を回転させるのと同時に、頭も同じくフル回転させていた。

 ――飛芽ちゃんが花壇にいないとすると、多分あの花をまた花瓶に飾ろうとしてるんだ。教室には戻ってないと思うし、別の教室に、誰も使わないような教室にいるのかな? でも使われていない教室なんてたくさんあるし……。


「んーもうっ! 飛芽ちゃんはどこに行っちゃったんだよ?」


 言葉とは裏腹に、俺は自分を嘆いていた。いつも一緒にいた筈なのに「どうして飛芽ちゃんがどこにいるのかわからないんだ」なんて泣きたい気持ちになっていた。

 ――他のクラスに飾らせてもらうってのもないと思うし。じゃあ、やっぱり音楽室とか理科室にいるのかな?

 怪しいくらいに静かで黒光りしたピアノが置かれた音楽室――いなかった。まず真っ白で巨大なスクリーンが目に飛び込んでくる視聴覚室――いなかった。古くて懐かしいような不思議な香りの漂う図書室――いなかった。

 薬品の匂いが鼻をつく理科室――飛芽はいた。


「飛芽ちゃん」

「そー?」


 窓の近く、陽の当たる場所にはフラスコやビーカーが乾燥させてあった。ガラス瓶が並んで横たわっている棚の前に飛芽は立っていた。

 飛芽に近づいてみると、他のものより一回り大きいメスシリンダーに水が注ぎこまれていてアスターの花がその中に刺されているのが見えた。


「いい花瓶だね」


 飛芽に反抗したのは初めての経験だった。だから「飛芽を探さなきゃ」と気持ちだけが先行し、こうして飛芽の前に立ってみるとなにを話せばいいのかわからなくなっていた。

 だから思いついた言葉しか口から出てこなかった。


「そー、ごめんなさい」


 飛芽はアスターの前で萎れていた。


「この花が床に落ちているのを見たら、つい頭がカッてなっちゃった。あんなに怒るつもりもなかったんだよ。でも一度声に出したらもうおさまらなくって」

「飛芽ちゃんは、ちゃんと反省してるんだね」

「みんなにもその、すごく悪いことしたって思ってるよ」

「うん。そうだね。僕は飛芽ちゃんが花や植物をすっごく大事にしてるって知ってるけど、みんなは知らないだろうから、多分びっくりしちゃってると思うんだ」


 飛芽は本当に反省しているようで、瞳には涙を浮かべていた。

 その瞳を見せられたこの時の俺は、そんなに悲しむ必要なんてない、そう思っていた。

 ――あんな奴らと仲直りする必要なんてあるのかな?

 飛芽がいなくなった途端悪態をつき始めるような、根の悪いクラスメイトたちと仲直りする必要性を全く感じなかった。俺だってあんな奴らと仲良くするくらいなら飛芽と二人だけで遊んでいればいいとすら思っていた。

 でも飛芽は俺なんかよりもずっと、今後の学校生活を考えていたのだろう。

 だからあんな風にクラスメイトたちと仲直りする方法を考えていたし、また同じ事を繰り返さないように理科室に花を移したんだ。


「飛芽ちゃん」


 目の前の幼馴染しか見えていなかった俺とは違って。


「飛芽ちゃんは多分、間違えちゃったんだと思うよ。飛芽ちゃんがどれだけこの花を大事にしていたか、隣にずっといた僕が一番よくわかってるつもりだよ。でも、そんな僕でも飛芽ちゃんが言ったのはひどいって思っちゃったんだ」

「うん」

「だから僕は飛芽ちゃんの前に立ったんだ。飛芽ちゃんが間違った道を進んでいかないようにって思って」

「間違った道・・・・・・」


 涙を隠すように、飛芽は瞼を閉じた。


「飛芽ちゃんはいつも一歩先を歩いてくれてるから僕は安心してついていけるけど、飛芽ちゃんは真っ暗な道をなんの目印もなしに歩いてるんだ。今日みたいに、間違った道を進んじゃう時もあるよ」


 子供の心というのは純粋で、余程過酷な経験でもしない限りは相手を疑う事すらしない。経験が少ない分、疑心という不純物が少ないのだ。それは子供が成長するにつれ、濃く、そして黒く濁っていくものだが、この時の俺たちには多分そういったものが極めて少なかったんだ。

 だからどんな道だって迷わず進んでいける。例えそれが、踏み越えてはいけない道であったとしても。


「間違った道を歩いていかないようにするには、あたしはどうすればいいの?」


 純粋な心を持つ幼小の幼馴染は不安な目で俺を見た。


「僕も飛芽ちゃんと一緒に考えるよ!」


 同じく純粋な心を持った幼小の俺は、胸をドンと叩き自分を大きく見せようとしていた。


「僕はずっと飛芽ちゃんについていくから」

「そ、それは当たり前!」


 飛芽はムスッとした表情を垣間見せた。


「あはは、だから飛芽ちゃんは振り返らずに自分の思う道を進んでいけばいいと思う。それでもし飛芽ちゃんが間違った道を歩いていこうとしたら、その時は僕が飛芽ちゃんに教えてあげる!」


 俺は自分を信じていた。

 飛芽の後ろにひっついて歩く自分を誰よりも信じていた。


「でも、もしあたしが間違った道を歩いていて、あんたが指さした先も間違った道だったらどうするの?」

「その時はね……」


 この時抱いた気持ちを、多分俺は今も持ち続けている。


「一緒に間違えた道を進んじゃおう。僕と飛芽ちゃん。二人一緒ならなにも怖くないよ!」

「……しょうがないなぁ」


 飛芽は唇を尖らせ照れくさそうに顔を背けると、メスシリンダーに生けられたアスターの花に近づいていった。花弁に小さな指を添えた飛芽の表情が段々と綻んでいって、そして無邪気な笑みで満たされた。


「よしっ。じゃああたし、みんなに謝ってくる!」


 飛芽はアスターに背を向け、薬品の匂いを吹き飛ばすように勢いよく理科室を出て行った。


「え? あっ、待ってよ飛芽ちゃん! ゆっくり歩いて帰ろうよぉ」


 先行く飛芽の後を俺はいつものみたく追いかけた。


「そー! 早く来なよー」

「ま、待ってってば飛芽ちゃーん!」


 居場所を追いやられたアスター。

 それを宝物のように撫で、微笑みかける飛芽。

 その光景はセピア色が物語る古ぼけた写真のように切り取られ、いつまでも俺の記憶の片隅に残っている。


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