幼馴染みの絆-1
机の上に置かれた植物。中心から四方に散開する緑色の葉とツタは、その土台となる土と鉢を綺麗に覆い隠してしまっていた。
「アイビー?」
「ええ。草は見た事ない?」
机の上に置かれた『アイビー』と呼ばれる植物を、俺――七種草は頬杖を突きながらなんとなく見つめている。
「なんか……あれだ。よく廃墟とかの壁にへばりついてるやつ」
「そうそう。ああいうのと似たような植物ね。これはれっきとした観葉植物だけど」
緑色に染まった葉が鉢一杯に充満しているその向こう側からは、俺の幼馴染み――菊川飛芽の陽気な声が聞える。
ここ林原高校の校舎に詰め込まれた数々の教室。その中の一つである旧北校舎に属したこの第二実験室で、俺と飛芽は机に置かれた一つの植木鉢を間に向かい合っていた。
「これはヘデラ・へリックスの『ピッツバーグ』っていう品種ね。世間一般じゃアイビーの呼び方が有名なんだけど――」
飛芽は得意げにそう言うと、赤みがかった腰まで届く長い髪。それを束ねたポニーテールをフワリと揺らした。
こうして説明し始めると止まらなくなるのが菊川飛芽だ。飛芽は昔っから花や植物が好きで、今じゃ家の庭でガーデニングに勤しんだり、自分の家に小型の温室を設置していて、それらの世話に時間を割く事が多い。
アイビーとやらの長ったらしい説明を聞いていると強烈な眠気が襲ってきた。冬の寒さはすっかりどこかへ消えてしまい、周りの空気を暖め始めた四月の気候も相俟ってその睡眠欲はどうにも避けがたい。
「くぁ~あ。要するに雑草と一緒だろ?」
――バンッ。と飛芽が机を叩く。
眠気に支配されかけていた俺の体がビクッと飛び跳ねた。
「違う……ぜんっぜん違うわよ! ほらっ! この子達を見てみなさい! この輝くような美しさの塊を!」
「はぁ……」
立ち上がった飛芽は俺に向けて憤慨を露わにし、教室の後方に身体を向けて両腕を広げた。両足の間隔も広げると、それと同時に真っ黒のプリーツスカートが見事翻る。
教室後方にある生徒達の教材を置く棚。その棚の上のスペースに敷き詰められるだけの植木鉢がずらりと置かれていて、棚以外にも小さな植木鉢に加え、苗の詰まった育苗用のポリポットが教室の窓台に並んでいる。
俺は幼馴染みと言う事もあって飛芽がどれだけ植物好きなのかというのは嫌でも把握している。しかし他の誰かがこの教室に足を踏み入れれば、どこぞの庭師が酔狂で教室を装飾してしまったのではないかと思うに違いない。
それほどまでにこの教室は植物だらけだ。
「はぁ……じゃないでしょ! それしか言えないわけ? この華麗な植物達を見てなんとも思わないなんて、あんたの目もどうかしてるわね」
「お前には言われたくない。植物以外になんの興味も持たないお前にはな」
「植物達が華麗すぎるからよ。だから私も他の事に目を奪われないだけ。ああ……愛しのザミーフォリア……。今日も葉の輝きが神々しいわぁ……」
窓際まで近づいてき、陽光の反射する葉の輝きを見て眩しそうな仕草をする飛芽は、そばに置いてあった霧吹きでそのザミーフォリアとか言う比較的大きな植物の葉を丁寧に湿らせていく。
「草もせっかくこの『植物会』に入ったんだから少しは植物を愛でてみなさいよ」
飛芽は薄目で俺を見た。
『植物会』とは通称で正式名称は植物観賞同好会。飛芽が一年生の頃に部活を探していたところ、一人でこの植物会を管理していた三年生の先輩がいて、もちろん飛芽はその存在を知ってから一目散に駆けつけた。精力的に活動している――例えば園芸部など――部活があれば飛芽的には良かったのかもしれないが、この学校には存在しなかった。
でも飛芽はこの植物会で満足しているらしい。その先輩も植物好きという事もあって、息もあっていたみたいだから居心地もよかったのだろう。
俺達は二年生となり管理をしていた先輩が卒業してしまった事で、今は飛芽が一人でこの植物会を管理している。
俺は一年の頃サッカー部に所属していたがとある事情があって辞めてしまい、今はこの植物会に籍を置いている。サッカー部を辞めて幼馴染みである飛芽に引っ張り込まれた、という形だ。別に植物が好きだとか花が好きだとかいう感情は一切芽生えていない。
と言うより植物なんか見ていて退屈だ。
「いや……土臭いだけだろ? 花やら葉っぱやらに心を奪われる趣味は俺にはない」
「あんた……本当に花屋の息子なの?」
飛芽は花や植物に世話をしながら、訝しんだ目を俺に向けた。
飛芽の言ったように俺の両親は花屋を経営している。だがしかし、親が生業としている事に息子である俺が興味を持つかというと、まあそれはなかった。俺が興味を持ったのはサッカーだ。
そのサッカーも今は全くやっていないが……。
「あっそ。べっつにいいんじゃないんですかー? 草にはこの子らの美しさがわかんなくてもー」
「……っていうか。これなんだけど」
「え? あー、アイビーの中に入ってた手紙?」
俺は葉とツタの間に挟まっていた封筒を取り出した。
放課後に俺と飛芽がこの第二実験室に来てみると、教室の中央にポツンと置かれている机の上に、このアイビーの植えられた鉢が置かれていたのだ。
ある程度水をまき終えた飛芽が、座っている俺の後ろに寄り顔を近づけてくる。
「ねえねえ! 開けて読んでみよ!」
「わかったから、ちょっと近いって」
土の匂いに混じって飛芽の香りが鼻をくすぐる。背中に柔らかな二つの感触があるが、それは大きすぎもせず小さくもない。……まあ普通だな。
俺は淡いピンク色の封筒を開けて一枚の紙を取りだした。折りたたまれていたそれは白い便箋のようで、水色の罫線の間に文字が書かれていた。
【七種草様 永遠の愛をあなたに】
「…………」
「……ねぇ、あんたこれラブレターじゃないの?」
「い、いやいや。それにしては雑過ぎるんじゃないか? 悪戯だってこんなの」
便せんに書かれた簡素な一文が俺に重たすぎる愛を伝えてくる。はっきり言って少し怖い。見た瞬間思わず鳥肌が立ってしまった。封筒に差出人の名前が書かれていない事からも、この手紙は悪戯だという可能性が高い。いや、悪戯であって欲しい……。
「ん? 下の方にもなんか書いてあるな」
「ホントね。って――」
俺宛の文章から下へと視線を下げていくと、一番下の欄に赤ペンでこう書かれていた。
【菊川飛芽 今日の放課後、校舎裏へ来い】
「…………」
「……なぁ、お前呼び出しくらってんぞ?」
この植物だらけの第二実験室にアイビーを置き、差出人不明の怪しい手紙を添え、他でもない俺に永遠の愛を誓う奇怪な人物。
「わ、私……」
そんな姿形もわからない奴に呼び出されたら俺だって――いや、誰だってこんな反応をしてしまうかもしれない。
「なにか……悪い事でもしたのかな……?」
飛芽は悲愴な面持ちで、自分の頭を抱えていた。




