雑草の生命力ー6
「えっ? 植物会が荒らされたって……本当なの?」
「はい……私が植物会の管理を怠った所為です。申し訳ありません」
ショックの見え隠れする秋野先輩の反応に罪悪感を感じたのか、飛芽が深々と頭を下げる。
俺と飛芽は秋野先輩に連れられ社務所の裏口から先輩の部屋へと招き入れられた。裏口といってもそこは世間一般的に見る玄関となっており、俺的にも普通に友達の家に上がるような気分で秋野家の敷居を跨いだ。
神主の娘と聞いて、先輩の部屋も質素で趣のある部屋になっているのかと思っていたがそうでもなく。また、飛芽のように部屋中を植物で埋め尽くすなどと奇抜な事もやっていない。
畳や襖、板張りの天井といった和風の造りをしてはいるものの、普通の女の子の部屋ってこんな感じなんだな、と整理されている部屋を見てそんな感想が浮かんだ。
念願でもあった秋野家のお茶を先輩が持ってきてくれて、部屋の真ん中に置かれたちゃぶ台の上に置いた。コップに口をつけ一口麦茶を頂くと、早速本題とばかりに飛芽が植物会の現状を説明し始めたのである。
「ひ、飛芽ちゃんはだいじょう――」
「私物なんかは全く置いていないという理由であの教室の施錠をしていなかった私の責任です。大事な植物会の財産を・・・・・・守れませんでした」
土下座をした飛芽は畳に向かって謝罪の言葉を口にする。俺は飛芽のその姿勢に苛立った。
「おい。人にあれだけ自分の所為にすんなとか言っといてそれはなんだよ。俺ら側に責があるとすればどう考えたって俺の責任だ。……すみません先輩。俺が植物会に来た所為で――」
俺も飛芽の隣に並んで土下座した。
「あんたは黙ってなさいよ! これはそういう事言ってんじゃないの。植物会で起きた問題の責任は植物会を管理していた私に問われるべきなのよ。あんたみたいな下っ端は黙って見てりゃいいのよ」
「下っ端ってなぁ、二人しかいないのに下っ端もクソもヘチマもあるかよ。だいたいな、別に部活でもないただの愛好会で、なんでそんな余計なプライド持ってるんだ。部長とか会長とかならともかく、植物会でそんな肩書き俺は聞いたことないぞ」
隣で膝を折る飛芽と睨み合う。目の前にある飛芽の形相は全く俺に引けを取ろうとしない。
「ふ、二人とも落ち着いて! 私の部屋で喧嘩しないでよぉ~」
俺たちと同じく正座している秋野先輩は手を振って俺と飛芽をなだめようとしていた。
「ごっ、ごめんなさい、さくりゃん先輩。でも……植物会が荒らされてしまったのは事実なんです。さくりゃん先輩が築きあげてきたものを壊されてしまいました。本当にごめんなさい」
「俺も、さっき飛芽が説明したように植物会に入って今はその一員なので、俺にも責任があります。本当にすみませんでした」
俺たち二人はお互いに膝を折り、そして腰を折る。これではまるで秋野先輩にかしずく従者だ。しかし誰から見られているわけでもないし、なりふり構ってられる場合でもない。
誠意を持って先輩に謝罪する。今はそれしかできなかった。
「ま、まあまあ。二人とも顔をあげて」
そう言われて折った腰を元に戻す。秋野先輩は聖母の微笑みを携えていた。
「二人が植物会を荒らしたわけでもないんだからそんなに謝る事ないよ」
「ですけど……」
「それにね――」
秋野先輩は目を閉じて言葉を切った。一時の間、部屋を沈黙が覆う。
そして先輩は目を薄く開けると言葉をまた紡ぎ始めた。
「一番辛いのは飛芽ちゃんだって、私はちゃんとわかってるよ?」
「さくりゃん先輩・・・・・・」
「だからね、そんなに自分を責めようとしないで、ね?」
「さ……ざぐりゃん、ぜんば~い~」
飛芽は正座をした姿勢から膝を伸ばし、秋野先輩へと飛びかかった。それを先輩は優しく抱き止め、飛芽の頭を撫で始める。
その光景を見ているとさっきまでの苛立ちも忘れ、微笑ましい気分になった。
多分先輩だって傷ついてる筈だ。あの植物には植物会の、決して長くはないけれど先輩と飛芽が積み上げてきた歴史のような、それだけ大切なものが詰まっているから。
でも先輩は飛芽から話を聞いて最初から分かっていたんだと思う。植物会が荒らされた事で誰が一番心に傷を負ったのかを。
「ごべんなざぁい・・・・・・ごべんなざぁあい!」
「よしよし。もぉ、謝りすぎだよ飛芽ちゃん」
秋野先輩は飛芽の頭を撫で続ける。でも飛芽の頭に手を乗せる先輩は全く困った表情を見せず、というよりも、飛芽が泣きついてきた事にどこか嬉しそうな温かい表情を浮かべていた。
飛芽が甘えてきて、先輩はきっと嬉しいんだろうな。
俺は二人を眺めたまま麦茶の入ったコップに手をつけ、口をつける。淡く、透き通った色の麦茶をちびちびと吸い上げ喉を潤した。幼馴染の嗚咽はまだまだ止みそうにない。
秋野先輩への現状報告が終わり、飛芽も泣き止んだ所で俺は足を崩して胡坐をかいた。
堅苦しい空気も消え去り、ようやく温和な雰囲気に変わった先輩の部屋。造りが和室だからか、女子の部屋だが妙に居心地がいい。
「そーくんは植物会に入ったって言ってたけど、確かサッカー部じゃなかったっけ?」
部屋の壁に背を預け、そろそろ帰った方がいいか? なんて思っていた。もう日も暮れている頃だろう。
しかしベッドに腰かけている秋野先輩はまだ俺に聞きたい事があるらしい。
「サッカー部は辞めてしまいました。怪我をしてしまいましたので」
「あっ、さっき言ってたよね? でも、そんなにひどい怪我だったの?」
先輩の不安そうな瞳から目を逸らし、自分の足を見つめて膝をさすった。
「怪我自体はとっくの昔に治っていてもおかしくはないんですが、どうも膝の違和感が拭いきれなくって……」
「そっかぁ、そーくん、サッカー部で活躍してたみたいだったから植物会に入ったって聞いて少し驚いちゃった。でも、植物会に人が増えたのは私も嬉しいです」
「サッカー部辞めてからやる事がなかったんですよ。そんな時に飛芽に引っ張り込まれたんです」
先輩の隣で先輩と同じくベットに腰かけている飛芽を指さした。飛芽が俺を植物会に誘った理由については先日聞いたばかりだが、引っ張り込まれた事には違いない。
「相当暇そうだったからねーあんたは。まあ、元々そんなに忙しい所でもないんだけど……」
飛芽はベッドの下に投げ出していた自分の両足を折り、抱きかかえた。
真向いに座っている俺の位置から飛芽のスカートの中が見えそうであったが、足がその先を遮っていてよく見えなかった。
いや、別に見たいわけでもないのだが。
「でも……もうやる事もなくなっちゃった。はぁ~、さくりゃん先輩、私これからどうすればいいですか?」
飛芽は声に溜息を混じらせ、秋野先輩に問いかける。視線は一体どこを見つめているのか。黒いソックスに覆われた自分の足先を指で弄りながら、ただ一点だけを見つめていた。
元気のない幼馴染を見られるのは珍しいが、今現在植物会に置かれているのは鈴蘭枝里華が持ってきたアイビーのみ。その他に自ら生命力を宿しているものは、あの教室には存在しないのだから途方に暮れるのも仕方がない。
ふと頭の中に植物たちの幻影が浮かんだ。
教室中を埋め尽くす緑の葉や多彩な花弁は、陽の光を浴びて生命の光を灯していた。土や肥料、花の香りが開いた窓から吹き込む風に連れられて、どこか遠くへと運ばれていく。
そして植物に囲まれた、俺の幼馴染。
生き生きとして植物の世話に励み、一つ一つ丁寧に手入れをしていく幼馴染は、教室の中で一番の生命力を持っている。対して植物も主人の指先を待っているかのように葉を揺らす。
俺の記憶の中にある植物会。まだ荒らされる前の光景。
飛芽の楽園が失われた今、あの頃の生命力がこいつから感じられない。
飛芽が落ち込んでいるこんな時に、俺にできる事って一体なんだ? サッカーを辞めてなんの取り柄もなくなってしまった俺になにができる?
植物会が荒らされた時のように消極的ではない。俺自身が飛芽になにをしてやれるのか、漠然としてじゃなく、もっと具体的で現実味のある方法を考えていた。
「俺になにが・・・・・・」
「また植物を育てたりはしないのかな?」
秋野先輩は膝を抱えた飛芽の肩を、ちょんちょんと小鳥の嘴がするような強さで突いた。
「それは考えたんですけど……もし、植物を育てようとしてまたあの場所が荒らされたらって思うとなかなかモチベーションが上がらなくって」
飛芽は閉じていた足を伸ばすと、後ろに手をついて今度は天井を見上げる。
「それにかつての植物会を再現しようって考えたら、ちょっと厳しいんじゃないかなって思うんですよねぇ。私が植物会に来た時にはさくりゃん先輩が基礎をつくりあげていたし、私一人じゃあそこまでできないかなぁ……なんて思って」
「私も最初の頃は手伝って貰ってたよ?」
「あっそうなんですか?」
「うん。会員は私一人だけだったんだけど、植物会を立ち上げるにはやっぱり先生の許可がないといけないから。それでとりあえず担任の先生に相談してみたら『いいんじゃないの?』って了承してもらえたんだ」
「結構簡単に許可とれたんですね」
そんな適当な教師があの学校にいるんだろうか? いや――そういえば俺のクラスの担任は結構な放任主義だよなぁ。……まさかな。
「その先生も趣味はガーデニングだって言ってて、割と協力的だったんだ。第二実験室を手配してくれたし、自分の家から種なんかを持ってきてくれたし、あとオススメの土とか肥料とか教えてくれてすごい助かったなぁ」
「さくりゃん先輩。その先生って誰なんです?」
飛芽は少々食いつき気味で秋野先輩に顔を近づける。
「あ、えーと。風見先生だよ」
「風見先生って、私たちの新しい担任じゃん!」
唖然とした表情をする飛芽と顔を見合わせた。飛芽は予想外の名前が出てきて驚いた様子であったが、俺自身は――やっぱりな、と思うだけで別に驚きもしなかった。ただあの放任主義の風見先生にガーデニングという趣味があった事に、驚きはしないまでも意外だとは思う。
風見先生は女教師であるが、スラッとしたスーツに身を包む先生の外見からは、ガーデニングなどの長閑な趣味より、スポーツなど自分の四肢を躍動させるような、そんな趣味が似合っていそうなものだ。
「人は見かけによらないとは言うが、まさか風見先生がな」
「ええ。私もびっくりよ」
「てか飛芽は知らなかったのか? 一年間植物会にいたんだから顔を合わせた事位あっただろ?」
俺のその問いには飛芽じゃなく、秋野先輩が反応した。
「でもね、風見先生は最初の・・・・・・植物会を立ち上げる時期にはお世話になったんだけど、一通り体制が整ったら『後はがんばれよ~』って言ってそれから一度も来てくれなかったよ」
「うわぁ~。先生すごい言いそう」
飛芽の呟きには俺も同感だった。さすが放任主義者。言う事が単純で、そして乾ききっている。
「あはは、でももし困った事があったら風見先生に相談してみるといいと思うよ。きっと力になって・・・・・・くれるといいね!」
「さくりゃんせんぱ~い。そんな自信なさげに言わないでくださいよぉ」
泣きついてくる飛芽を、困った笑いを浮かべながら秋野先輩がキャッチする。しかし飛芽の勢いが強かったのか、ベッドの上に転がり込んだ。
「さくりゃん先輩は自信ないけど、この二つのお山は自己主張が激しいですね~」
「えっ? 飛芽ちゃん! だ、だめだよぉ~」
「こんなに威張り散らしているからには、ヤキを入れてやらんとですな~。ほれほれ~」
「やっ、あ、っぁああん!」
「…………」
飛芽のヤツがいらん事をやりだした。まあ、これは女子のやり取りでもあるだろうし、俺には関係ないよな。
目の前のベッドの上で入り乱れる二人の女子をあまり視界に入れないようにと、ベッドから目を逸らした。
その先に、ベッドの後方には先輩の勉強机がある。
「あの花は……」
俺が見たものは机のまたその先にあった。机の隣にはカーテンの閉められた窓があり、その窓台に置かれていたのである。
桃色の花びらには縁に細かい切れ込みが入っていて、灰味を帯びた暗い緑色の長い葉が土台となる鉢から上に向かって突き上げている。小ぶりな花に見えるがそれに比べて鉢は大きめのものが使われていた。
ベッドの上の騒々しい音は俺の耳を激しく叩いている。しかし俺は部屋に置かれた植木鉢に目を取られ、部屋が静かになるまでの間ずっと、その花を見続けていた。




