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雑草の選ぶ道  作者: 甲野香介
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雑草の生命力ー3

『じゃあ桜耶ちゃん。お手伝いっつーかバイトはまた後日ってな事で。――おい草。リハビリがてら桜耶ちゃん送ってこいや』


 親父にそう言われて俺は今、電車の中で吊革に捕まりながらユラユラと揺れていた。

 なぜ俺が? ――なんて別に思っちゃいない。どうせ暇だ。いつもなら自分の部屋で漫画を読み漁るか、適当なゲームで延々と過ぎていく時間を潰すだけなんだから。

 だからたまにはこうして、散歩がてら誰かと言葉を交わすのも悪くはないと思う。

 ただ……。


『あー後な、桜耶ちゃん。草がバイトの面接官だ。さっき言ってたここでお手伝いをしたいっていう理由をこいつに話しておいてくれ。草は後で俺に報告な。そんじゃ、他にお客さん来てるからよ』


 自分で聞けばいいものをなんで俺に押し付ける?


「そ、それじゃあ」


 俺と同じく吊革に捕まった秋野先輩も、やはりユラユラと電車に揺られていた。


「私の名前は秋野桜耶です。現在は十八歳の大学生です」

「あの……知ってます」

「あっ、ごっ、ごめんなさい……。そーくんが面接官だって思うとなんだか緊張しちゃって」


 秋野先輩は焦って俯き、見下ろしていた俺からは表情が見えなくなった。さっき親父と話していた時も感じたが、やはり人前での内気な性格が目に見える。


「草がぶっきらぼうな顔してるから先輩が緊張しちゃうのよ」


 何故か一緒についてきた飛芽も、俺や秋野先輩と同じく電車の動きに合わせてユラユラと揺れていた。


「全く、昔はあんたも無邪気に走り回ってたのにね。『飛芽ちゃ~ん待ってよぉ~う』とか『飛芽ちゃんにいじめられたぁ~』とか言って」

「おまえはいつの話してんだっ! ……頼むからそんな恥ずかしい話しないでくれ」

「いっししー。さくりゃん先輩。こいつはこうやっておちょくってもらうのが一番嬉しいんですよー」


 飛芽は一つの吊革を両手で掴みながら、してやったりといった顔で秋野先輩に笑いかける。


「そんな事できないよぉ。飛芽ちゃん、あまりそーくんをからかったら駄目だよ」


 飛芽が変な話を持ち出すから話題がどんどん違う方向へとずれていってしまう。

 ただ、こいつがついてきてくれたのは正直言って助かった。秋野先輩とは知り合い程度だが軽い世間話を交わせるような間柄ではないし、こうして先輩との間を取り持ってくれると固い空気にならずに済む。


「はは、なんだかすみません先輩。ところでさっきの続きなんですが」

「あっ、ごめんね? えっと~私が朝霧草でお手伝いをしたいって理由なんだけど……」


 先輩はバッグを持っていた手と吊革を掴んでいた手を入れ替えると佇まいを正した。


「私は将来、店長さんみたいにお花屋さんとして店を出したいなぁって考えてて、大学に通いながら草花の勉強をしているんだけど、ただ知識だけを蓄えていくだけじゃなく、実際に花屋の空気を店側の立場から感じてみたいって思ったんだぁ」


 夢が花屋か……。まあ、親父に比べたら秋野先輩は真面目な性格してそうだし、親父なんかよりも立派な花屋を営んでくれそうだ。


「なるほど。ではなぜ朝霧草を選んだんですか?」

「私が小さい頃からお世話になっているお花屋さんなので。だから店長さんとも面識があったし、それにいつも見ていた店長さんのアレンジメント技術――花束づくりがすごく綺麗で憧れていたんです」

「親父のですか? んー俺は見たことないな」

「あんた見たことないの? 一番おじさんの近くにいるのに、もったいないわ……」


 飛芽が明らかに落胆した表情をする。信じられないといったように電車の天井を仰ぎ、額に掌を当てた。


「興味なかったんだから別にいいだろ? ……今度隙を見て親父の仕事っぷりでも見てみるとするよ」


 めんどくさい――という体を装い、空いている右手をポケットに突っ込んだ。


「ふふっ。まあそういう事でして、店長さんの近くでお手伝いをして自分もあんな素敵な花束をつくってみたいと思い、私は朝霧草を選びました」


 クスリと笑い口元を綻ばせると、先輩は綺麗に話を締めくくった。その直後に「まもなく、次の停車駅に止まります」というアナウンスが流れだし、座席に座っていた人たちがちらほらと立ち始める。


「そろそろついちゃうけど、あの……送ってくれるのは嬉しいんだけど、私の家までは駅についてからももう少し歩くよ?」

「そうですね……本当に先輩の家まで押しかけるのも迷惑だと思うんで、俺たちは駅周辺をブラブラしたら帰りますよ。――飛芽もそれでいいよな?」


 本当に足のリハビリのつもりならこうして電車に揺らされるだけじゃなんの意味もない。しかし、親父は多分秋野先輩から話を聞いてほしくて俺を送りだしたんだと思う。

 まだ大した話も聞いていないが、まあ先輩のバイトをする動機が聞けただけでも良しとしよう。


「あ、えっと……。さくりゃん先輩。もう少しだけ時間を貰ってもいいですか?」


 幼馴染みの口からは珍しく、消極的な声が聞こえた。飛芽は秋野先輩の様子を窺うように首を傾ける。

 飛芽と秋野先輩。二人で支えていたかつての植物会を回顧しながら歓談でもするのかと思ったが、しかしそれは間違いであるとすぐに思考が入れ替わる。

 荒らされた植物会――葉や花弁で色とりどりに埋め尽くされていた空間は既になく、今となってはただ一つだけの植物を残す、簡素で古ぼけた教室となり果てている。

 植物会は秋野先輩が立ち上げた愛好会だ。歴史や伝統なんて大層なものはない。

 だが俺の知らない、二人で過ごしてきた植物会での一年間はなにものにも代えがたい思い出が残っている筈だ。

 その思い出と共に実らせていた植物会の現状を秋野先輩に知らせておかなければと思うのは、飛芽でなくとも俺だって思い立つ。それを言いたいが為にこうして俺のリハビリについてきたってのもあるのだろう。


「そうだよな……。先輩、俺からもお願いします。もう少しだけお話しさせて貰えませんか?」

「え? うん。私はいいよ? この後は真っ直ぐ帰ろうかなって思ってたし、私も飛芽ちゃんたちとお話しできるなら嬉しいなぁ」


 一転した俺の意見に多少の戸惑いを見せた秋野先輩であったが、なにも詳しい事情を聞いてくる事もなく、すぐ朗らかな笑顔を返してくれた。そういう辺り、先輩は飛芽を信頼しているからだろう。元から穏やかな人柄をしている――というのももちろんあるが、そんな先輩の天使のような笑顔を間近に見て、俺も飛芽も感謝せずにはいられない。


「ありがとうございます。さくりゃん先輩」


 秋野先輩に後ろめたさでも感じ始めているのか、さっきまでの飛芽の快活な響きを持つ声は聞こえてこない。


「草も……付き合わせちゃうけど、いい?」

「気にするな。というか俺だって植物会の一員なんだ。一人で背負おうとか思うな――よっと」


 柄にもなく萎れている飛芽の肩を拳で小突いた。

 すると飛芽は幾分か調子を取り戻したようで、頬を緩ませて笑った。


「ん……サンキュ」

「……?」


 秋野先輩は俺と飛芽の会話を聞きながら無垢な瞳を俺たちに向けていた。

 電車の扉が機械的な音を立て左右に開かれる。生ぬるい風が吹き込んでくるその隙間から乗客が吸い込まれていくように、そして外へと吐き出されていく。


「とりあえず出よっか」


 秋野先輩が先導し、電車から外へと出る。俺と飛芽もその後へと続き、電車から駅のホームへと降り立った。


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