雑草の生命力ー1
「なあ、お前は鈴蘭に復讐してやろうとか思ってないのか?」
俺が人目を憚らず鈴蘭の前に立った意味は少なからずあったのだろう。それからというもの、鈴蘭の方から俺や飛芽にちょっかいを出してはこなくなり、彼女の姿を見る機会もそうそうにはなかった。
俺自信は一通りの怒りをぶつけたつもりではある。しかし植物会を管理していた当の本人は悪事を働いた鈴蘭を許せているのか? 「絶対に許さない!」と憤慨していた記憶があるが、結局の所鈴蘭を咎めたのは俺だけであって、飛芽が鈴蘭を非難するどころか二人が鉢合わせした場面すら見ていない。
それとも、飛芽は鈴蘭に対してあまり憤りを感じていなかったのか。
「鈴蘭枝里華が私の植物達を死に追いやった罪は許されない。例えあの女が次期生徒会長に有望視されてたって、私は絶対に支持なんかしてやらないんだから!」
そういうわけではないらしい。
我が林原高校から最寄りの森杉駅。駅構内には最近改装されたショッピングモールがあり、華やかに彩られた店がギュウギュウに押し込められている。今はまだ下校途中の学生くらいしかいないが、日の沈み始める夕方ともなると、帰路を急ぐサラリーマンも加わって人の出入りが割と盛んになる。
駅構内から西口を出ると、ショッピングモールとは雰囲気のかけ離れた商店街が静かに佇んでいる。もちろん商店街を通って駅に向かう人はたくさんいるが、時代が進むにつれ老舗となり果てた店が立ち並ぶ商店街に用はないと、誰もが忙しなく駅へと直進していってしまう。
そんな商店街の中にある古ぼけた木造店舗に俺達はいた。
団子屋――『みったらし』
俺と飛芽は団子屋の前に置かれたベンチに座りながら、俺はあん団子を。飛芽はみったらし団子を頬張っている。
「それにしてはやけに大人しいな。俺は言ってやったつもりだけど、お前はなにも責めないんだな」
右手に食べ終えた団子の串を持ちながら隣にいる飛芽に問いかける。飛芽は二本目のみったらし団子に手をつけ始めた。
「んー。正直なとこ、私があの女に呼ばれた時に大体は言いたい事全部言っちゃったのよね。それは植物会が荒らされた今であっても、彼女に伝えたかった事は変わらないから」
飛芽が鈴蘭に伝えたかった事。飛芽はあの時、幼馴染みとして俺の隣に居続ける、そう言っていた。
だから植物会が荒らされ、自分の大切な場所がなくなってしまった今であっても、飛芽はその姿勢を崩すつもりはないらしい。
幼馴染みという繋がりは俺達二人の大切な絆だ。
それはもうとっくの昔からわかりきっているが、飛芽に自分の意志をぶつけられた今となってもやはり考えられずにはいられない。
――もし俺達に、幼馴染みという関係が最初からなかったとしたら。
――飛芽がこんなにも俺との絆を大切にしてくれなかったのだとしたら。
飛芽の大切な植物会は荒らされなかったのかもしれない。
既に平らげてしまったあん団子の串をひとしきり眺めた。俺の団子が一本と、飛芽の団子が二本入っていたプラスチックの容器にその串を置く。
俺と飛芽の間にあったプラスチックの容器から視線を上げると、飛芽の幸せそうな顔が視界に映り込む。
濃い色のどろりとした餡が存分にかけられたみったらし団子は、最後の一塊が飛芽の小さな口の中に放り込まれ、なんの変哲もないただの串になった。
「あむっ――んんんぅ! やっぱみったらし団子はおいしいわぁ。この甘ったるい餡がやみつきになるのよねぇ。みったらしのみったらし団子は世界一よ!」
「まあ、名前だけで言えば、みったらし団子なんて世界中でこの場所しか売ってないだろうからな。世界一って言ってもあながち間違いじゃないと思うが」
「名前だけじゃないっての! 普通のみたらし団子をこのみったらし団子は全て凌駕しているわ!」
飛芽は食べ終えた串を天へと掲げた。
「しかも一本七十円! お金のない学生の私達でもお買い得過ぎる値段ね。……なんで人気が出ないのかしら?」
「さあな。でもこうしてゆっくり団子食えるんだしいいんじゃないか? 店が繁盛しだしたらこうしてゆっくり食う事も出来なくなるぞ?」
「それもそうかもねぇ~。おっと、おばあちゃぁん! お茶頂戴!」
「おい飛芽。ここは喫茶店じゃねぇんだぞ……」
飛芽は立ち上がり、暖簾を掻きわけ店の中に顔を突っ込んでは茶をねだる。
俺と飛芽の行きつけの店となっているこの団子屋『みったらし』の店主であるばあさんは飛芽を昔っから甘やかす。その厚意に飛芽は大層甘えていて、今となってはタダでお茶が出てきてしまう始末だ。
暖簾を潜り、背の低い腰の曲がったおばあさんがお茶を二つ運んできた。
「はいよぉ。ゆっくりしていきなさいなぁ」
「ありがとーおばあちゃん!」
「あっどうも、いつもすみません……」
しかし、なんだかんだ言いながら俺もその厚意を受けているのだから強くは言えない。美味い団子が食えて、温かいお茶が無償で出てくる。このような至高のひと時を自ら奪ってしまおうなどとはさすがに思わない。
うまい団子で腹を満たし、温かいお茶で心が癒される。
「っくはぁ~。なんかここの茶飲むとさぁ、常日頃考えてる悩みとかが、ホントどうでもよくなってくるんだよなぁ~。勉強とかぁ人間関係とかさぁ~」
「そうねぇ~。私も自分の心がどこにあるのか、わからなくなってしまいそうだわぁ~」
お茶をちびちびと啜っていると、自分の中にある不純物が抜け出ていってしまうような、そんな感覚で満たされていく。
一生こうして茶を飲んで暮らせていればどれだけ幸せなんだろうか……。
「そ~言えばぁ~なんの話してたかしらぁ~」
「あぁ~? えっとさぁ~。……なんの話してたっけ~? よく思い出せねぇ~、というか思いだそうとする気力が湧いてこねぇ~」
「はぁ~。じゃあもういいわね~」
俺の心と身体は完全にかけ離れてしまっていた。目の前の大通りを行き交う人々の喧騒や足音もどこか遠くに聞こえてくる。
身体は抜け殻に、心は宙を彷徨う。
どうやら飛芽も俺と同じような状況に陥ってしまっているようで、自慢のポニーテールにもまるで生気がない。いつもなら生きているのかと思う程振り回っているというのに。
心の安らぎに余韻を感じたまま、俺と飛芽は団子屋『みったらし』を後にした。
駅に向かう人間と駅から出てくる人間の出入りが忙しくなり始めていた。俺たちはその雑踏の中へと潜り込み、歩く人の流れに呑み込まれていく。
「おまえも本当に好きだよな」
肩がぶつかりそうな程、近い距離を歩く飛芽を横目に見た。
「いいじゃないの。もう既に日課みたいなもんなんだし、なんか新しい花とか仕入れてないか気になるじゃない」
飛芽はさも当然というように澄ました顔をしていた。飛芽のポニーテールと両手に提げた学生鞄が、歩調に合わせてユラユラと揺れている。
「いや、いいんだけどな。おまえが来ると親父も母さんも喜ぶし」
駅方向へと向かう途中、『みったらし』から徒歩三十秒という近さに、多彩な花が店先にちりばめられたこぢんまりとする花屋があった。
軒先から突き出たオーニングテントには『朝霧草』と書かれてある。
この花屋『朝霧草』が正真正銘、俺の家だ。
「こんにちわー。今日もおじゃましまーす!」
飛芽が商店街の喧騒に負けない声量で、店の中に呼び掛ける。
「おーう、飛芽ちゃんじゃないかぁ。今日も当店までご足労ありがとうございます」
飛芽の声に呼応し店から出てきたのは俺の親父である『七種朝治』(さえぐさともはる)。まだ三十代という事もあって顔は若づくりに見えるが、最近皺が増えてきたようにも見えた。
今年は例年よりも暖かいとはいえ、まだ四月の下旬だ。そんな時期に親父は、白地の半袖ティーシャツにジーパンという服装。とても正気の沙汰とは思えない……。そしてその上にかわいらしい花柄のデザインの入ったエプロンをかけている。母さんの買って来たエプロンで、つり目で目つきの悪い親父がかけているとあまり……というか全く似合わない。
「いえいえー。こちらこそ毎日毎日お邪魔してすみません。今日はおばさまはいらっしゃらないのですか?」
「ああ、霧菜は買い出しだ。今は俺一人でこの店を支えているってところか?」
「要するに母さんがいなくてもいいくらいに繁盛してないんだろ?」
そもそも商店街の店舗全体にあまり人が立ち寄らないという事態であるからして、我が家の『朝霧草』も同様であった。駅構内にも大きな花屋があり、そちらの店に人が取られているというのも要因ではある。
しかし『朝霧草』を厚意にしてくれる近所のお年寄りなどもいるにはいる。その人達のお陰でこの店もなんとか体裁を保っていられるようだ。
「こんくらいが丁度いいんだよ。切羽詰まって仕事してたって心も身体もついてこねぇ。仕事なんざ気楽にやるのが一番さ」
「だからって気を抜きすぎなんじゃないのか? 全く……」
働く社会人とはこうも気楽なものなのだろうか? 職種によってそれぞれ違うとは思うのだが、俺の両親を見ている限りとてもじゃないが大変そうには見えない。むしろ楽しんで……楽観的なようにも見える。
へらへらと笑う親父に頭をぐしゃぐしゃと掻き回された。
「まあよ、おまえが俺たち大人に小言を挟むなんざまだはえーよ。それよりだな……」
親父が俺の頭から手を離すと、土臭い鼻をつく匂いが遠ざかった。
そして皺をつくりながら微笑んでいた両目が真剣みを帯びる。
「おまえ、足の具合はどうだ?」
「ああ、別に問題ないよ。走れないのが問題って言うなら問題だらけだが」
「そんなこたぁ知ってるよ。足が痛みだしたりしてねぇか? って聞いてんだ。……そっか、問題ねぇなら上等よ。無理すんじゃねぇぞ?」
「わかってるよ……。じゃあ俺は上がっとくから」
「おう」
親父は芳香が充満する店内へと戻っていった。
飛芽は……あの調子じゃ当分時間かかりそうだ。
店内のショーケースにへばりつくようにして、中に押し込められた花を見回している飛芽。ウチの店の花なんか毎日見ているだろうに。よく飽きないものだ。
一応だが飛芽の様子を確認し、店の裏手側にある玄関に向かおうとした。
「こ、こんにちは!」
「ん?」
足を止めて振り返ると、淡い青色のデニムワンピースを着た女性が立っていた。ウエストには茶色のベルトをつけていて彼女の線の細さが強調されている。両手で白いトートバッグをギュッと握りしめていた。
女性の全体像を把握した後、俺は頭一つ分くらい背の低い彼女と目線を合わせた。
「あれ? 秋野先輩じゃないですか。お久しぶりです」
「え? あれっ? そーくん? お、お久しぶりだね」
この二つの目とは俺も視線を交わした経験がある。
目の前の女性はかつて林原高校に在籍していた『秋野桜耶』(あきのさくや)先輩だ。飛芽から聞いた話だと、林原高校を卒業後は近くの大学に通っているらしい。
植物会を立ち上げたのは他でもないこの秋野先輩である。秋野先輩も飛芽と同じく植物脳――もとい、植物好きであり、大人しいイメージを抱かせる外見と言動を持っているものの、植物会という一つの愛好会をつくってしまう程の積極性もある。
俺がまだサッカー部だった頃、飛芽に連れられて植物会へと出向いた事があった。それがきっかけで秋野先輩と知り合い、こうして顔を合わせれば挨拶を交わす程度の間柄だ。
飛芽にも先輩のような大人しさがあれば、もう少し俺も平穏な生活を送れるのかもしれないのに……。
「おや? いらっしゃいお嬢さん。我が愚息と知り合いですか?」
奥へと引っ込んだ筈の親父が、お客さんが来たとばかりに再び店先に顔を出す。
「えっ? 愚息って……ここってそーくんの家なの?」
「ええ、そうです。先輩は知りませんでしたか?」
秋野先輩は驚きを隠しきれておらず、俺と『朝霧草』を交互に見比べていた。
飛芽から少しくらい話を聞いていてもよさそうだが、どうやら本当に知らなかったらしい。世間は本当に狭いものだ。
「う、うん。飛芽ちゃんからはそーくんの家が花屋を営んでるって聞いてたんだけど、まさかここだとは思ってなかったよ」
「なるほど。そうでしたか。確かにここ以外にも花屋はたくさんありますからね。ここは正真正銘俺の家で、親父の経営する花屋『朝霧草』です」
俺がそう言うと親父は誇らしげに胸を張り、大きな腕っぷしを組み合わせた。
「そうだったんだぁ~。ここにはよくお世話になってたんだけど、それは全然知らなかったよ」
秋野先輩は感心の吐息を口から出した。小さな口をポッカリと開けたまま、オーニングテントの『朝霧草』の文字をしげしげと見つめる。
「おい草」
肘で腕を小突かれ、親父は俺に耳打ちする。
「おまえの知り合いなのか学校の先輩なのか彼女なのか知らんが、ウチの常連さんだからな? 丁重に扱ってくれよ?」
「俺の先輩だ。間違いなく彼女ではないからな? 常連って、何度もウチに来てるのか?」
「ああそうだ。ウチみたいにインパクトに欠けた店はこうして何度も来てくれる常連さんが命の綱なんだからな? 下手して機嫌損ねたりすんじゃねぇぞ」
親父の目は真剣だった。顔が近いせいか目が血走っているようにも見える。さっきまで見せつけていた余裕は一体どこへいってしまったのだろうか?
「あ、あのっ!」
「はい! なんでしょうかお嬢さん」
秋野先輩に声をかけられすぐさま親父は先輩へと振り向いた。まるでセールスマンのような親父の笑顔は正直気持ちが悪い……。他人である客から見れば愛想のいい店主――そんな風に見えるかも知れないが、家族である俺には欲望のはみ出たピエロにしか見えない。
仕事なのだろうしそれこそ親父の言った通り、俺が口を挟む事でもないのだろうが。
頭の中で親父の顔についての感想を思い浮かべていたが、秋野先輩の声によってそれらは一気に霧散した。
「今日は店長さんに、お……お願いがあってここに来ました」
「はい! なんでございましょう?」
秋野先輩は言いづらそうにモジモジと落ち着きのない動きをしていた。
先輩の次の一言を聞き逃さないよう耳を澄ましてみた。雑踏の足音と、五月を知らせる暖かな風の音が、混ざり合いながら俺の耳へと入り込んでくる。
先輩は親父に向かい、腰を折った。
「わ、私にっ、ここのお手伝いをさせてもらえないでしょうかっ!」
秋野先輩の両肩の上で結われた茶色いおさげがだらりと垂れ下がった。二つあるそれは、心地よく肌を撫でる風の所為で揺れているのか、それとも先輩の体が小刻みに震えている所為なのか。
それはもちろん、後者であった。




