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雑草の選ぶ道  作者: 甲野香介
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幼馴染みの絆-9

 第二実験室という教室の存在を知っている生徒が、この学校に果たしてどれくらいいるのだろうか? 

 五年ほど前に新校舎の設立が行われた。俺達生徒の集う普通教室は、眩い太陽の光に映えた白い外装の新校舎に敷き詰められている。未だ色褪せないその外装は、建物の外観から滲み出る学校の歴史をあまり見せてはくれない。

 その新校舎とは対照的に、旧校舎の外装は黄ばんだコンクリートでできていて、汚らしくも見えるが、見ようによってはこの林原高校の歴史を感じられるくらいには風情がある。

 旧北校舎の一階。授業としてもあまり使われなくなり、閑散として並ぶ特別教室の中に第二実験室はひっそりと存在している。今はこうして植物会が居を構える場所となってはいるものの、誰からも存在を忘れ去られてしまったこの教室達は、いつか誰からも関知されないまま消えていってしまう空しい運命を辿るのだろうか?

 ――この教室達は、俺と似ている。

 第二実験室の埃の溜まった窓枠を見て、物思いに耽る。


「あれ? ヒメの大好きな植物は片付けちゃったのかな?」


 俺より先に第二実験室に入った楠の第一声は、疑問の響きを帯びていた。


「ん~まぁ私が片付けた……っていうより、片付けられた……っていうより、始末されたって感じよね?」

「そうなるな。植物馬鹿のこいつがこんな一斉に片付けるわけがないだろう? 涙を流しながら片付けたとして大体一日一鉢がせいぜいってところじゃないか? いや……二、三か月はかかるな」


 植物会が荒らされた中で、未だ不変の形を保っている真ん中に置かれた一つの机。その机の上には緑のツタを吐き出した茶色い植木鉢。

 机に向かい合った二つの椅子の一つに座る。


「二、三カ月もかかるわけないじゃない! 一カ月くらいかかるかもしれないけど……」


 飛芽は口を尖らせながらもう一つの椅子に座った。


「で、でも。やっぱりそうだよね? じゃあどうして?」

「まぁ、いろいろとあってだな。結論から言うと、原因は俺――」


 飛芽の眉根に皺が一気に寄る。


「ん? なんて?」


 原因は俺にあると言おうとしたが、飛芽の鬼のような形相に睨みつけられた。「あれだけ言ったのにまだわかんないの?」と言外に聞えてくるようである。


「あ~いや、えっと、原因は鈴蘭にある……んだと思うんだが、飛芽さんもそう思いますか?」

「あったり前じゃない! あの女にこの植物会を荒らされたの。別にあんたの所為じゃないって何度言えばわかんのかしら?」

「え? 荒らされたって、この場所が?」

「ええそう。まあある意味では、結構単純な話ではあるんだけどね」


 飛芽は楠に昨日のあらましを話した。この植物会に手紙の添えられたアイビーが送られてきた事。鈴蘭と対峙し、口論になった事。そして植物会を荒らされた事。

 端的なあらましを飛芽から聞いた楠は、ドングリを咀嚼するリスのように両頬を膨らませた。


「なにそれっ! 鈴蘭さんが七種君の事を好きだけど、仲良くしてるヒメが邪魔だから植物会を荒らしたってことだよね? ヒメは関係ないのに。そんなのただのとばっちりだよー!」


 楠は座っている飛芽の肩を掴むと前後に揺らし始める。


「あーははーはー。っていっても、鈴蘭枝里華の怒りを買っちゃったのは私なんだけどねー」

「んー、でもそれはどうして? 鈴蘭さんと口論なんかせずに、私は関係ないって言い張っておけば、鈴蘭さんの怒りの矛先がヒメに向く事もなかったんじゃないかって思うよ?」


 飛芽は自分の肩に置かれた腕をがっしり掴むと、涼しげな目で楠を見た。


「それはできなかったわね。草を引き合いにだされたら、私が引くわけないじゃないの」


 そしてさも当然のように飛芽は言う。


「だって草は……私の幼馴染みなんだから」


 飛芽は心地よさそうに笑って目を閉じた。

 飛芽がそう言うセリフを平気で口にできる奴だと俺は知っていた。だから飛芽がこんなに心地よさげでも、俺はそれこそが当たり前なんだとすぐに飛芽の心情を察する事ができる。

 だから俺だって鈴蘭に立ち向えた。この幼馴染みの存在があったから。


「いやいや……幼馴染みってそんな親密な関係でもないよね?」


 楠は困惑顔になっていた。


「……? そうでもないだろ? なあ?」

「ええ。私が今一番近しい存在であると感じているのは間違いなく草よ。まあ、一番世話のかかる存在でもあるんだけど?」

「悪かったな。世話のかかる奴で。悔しいが否定できん」


 得意げな顔をする飛芽を見ながら、俺は机の上に頬杖をついた。なんだか癪ではあるのだが、事実飛芽には世話になっているし反論もできない。


「む~。ヒメヒメ! 私はっ? 私はヒメの近しい存在?」


 楠は机の上に身を乗り出し、飛芽に詰め寄る。


「当たり前よ。というより、学校では草よりもあんたの方が一緒にいる気がするし。私は蓮花を特別な親友だと思ってるわ」

「あはぁ……し、ん、ゆ、う……」


 身を起こした楠は額に手を当てると、安っぽい居酒屋から出てきた酔っ払いのようにふらつき始める。しかしはっとなにかに気付くと、俺に敵意ある睨みを向けてきた。


「でも、七種君よりは遠いんだよね? 納得いかないけど」

「私が草と辿ってきたたくさんの時間は、私にとってかけがえのないものだから」

 飛芽は俺と過ごしてきた数ある場面を回顧しているのか、やたらと黄ばんでしまった白い天井を仰いだ。

「はぁ、幼馴染みの壁はそんなにも分厚いのかぁ……」

「そうね。だから鈴蘭枝里華に草を渡すなんて以ての外よ! あんなぽっと出の女に大切な幼馴染みを渡すもんですかっての!」

「まあ俺だってあいつに貰われる位ならお前に世話焼かれてる方がいいな」


 生徒会委員である鈴蘭枝里華。彼女は危うすぎる。

 恋は盲目などと聞いた事があるが、俺の存在は優等生である鈴蘭にとってそんなにも大きなものなのだろうか? 

 鈴蘭は生徒達を先導していくべき立場の人間であり、最も周りに気を配らなければならない。それが他人の目を欺く為に演じられたものであるのなら、尚更容易なことじゃない。

 鈴蘭は言った。

『そういう生き方をしてきたものでして』

 目的のためにはどんな手段を用いる事さえ厭わない、そういう意味だろう。しかし今回のように事件とも見てとれるような行動であっても鈴蘭はそれを計画し、実行してしまう。

 意図的に人の上に立つ事を可能とする手腕を持ちながら、荒唐無稽な手段を取る大胆な行動力も併せ持っている。

 一応は釘を刺したつもりだが、あれで鈴蘭が大人しくなるとは到底思えない。


「でもあの女の気持ちは本物だと思うわ。このアイビーを見ればわかると思うんだけど」

「アイビーってこれ?」


 楠は机の上に置いてあるアイビーを指差す。


「そういや俺もよくわかってなかったんだが。なんで鈴蘭はアイビーを送りつけてきたんだ?」

「やっぱり草も知らないわよね。アイビーにはね『永遠の愛』って花言葉があるのよ」

「「永遠の愛?」」


 俺と楠の言葉が重なる。しかし、俺も楠もなんのリアクションを起こす事なく飛芽の次の言葉を待ち続ける。


「あんたら息ピッタリね……。これは草に向けられたメッセージ。永遠の愛を愛しの草様に捧げます――って所かしらね? あーでも、『死んでも離れない』って花言葉もあるから、愛とか関係なしに、一生あんたに纏わりつくつもりなのかも?」

「おいおいおいおい。重たすぎるぞ。俺は自分の知らない間にそんな物騒なものを向けられてたのか?」


 鈴蘭からそんな重々しい愛情を向けられる程の繋がりを思い出せない。何度か目を合わせる事はあっても、多分それだけの筈だ。それ以上の彼女と交わした出来事があっただろうか?

 ただ――鈴蘭の黒髪に長い間見惚れてしまったのは迂闊だった。

 どうしてだろう? まるで吸い寄せられるような力が鈴蘭の髪にはあったのだ。

 俺が鈴蘭に惚れた? ――そんなわけがない。あんな状況だったからこそ鈴蘭と対峙できたようなものの、俺が普段まともに会話できるのなんて飛芽以外に思い当たらないからな。


「でも普通愛なんて相思相愛の二人がいてこそだと思うんだけどな? 片想いだったらやっぱり恋なんじゃないかな? 鈴蘭さんって結構早とちりさんだったり?」

「アイビーは結婚式でウェディングブーケなんかによく使われるわね。白いバラなんかに添えるとそれだけで雰囲気があるし、普通に考えたら片想いの相手に送る植物ではないわ。でも自分の気持ちを伝えるにはそれぐらい率直じゃないと彼女自身が不安だったんじゃないかしら?」

「不安? なにがだ?」

「あんたにどれだけ自分の気持ちが伝えられるかって事よ。あの手紙にも永遠の愛を――って書いてあったけど、それでも心許ないって思ったのよ」

「そうだったのか。まあ……あのツタだらけの植物になんの意味があるかなんて、俺にはさっぱりだったが」

 植物会が荒らされた事によって鈴蘭への心証は大きく変わってしまったが、ただ単に鈴蘭が俺を好いてくれる女子生徒であったならば、少しは申し訳ないなどと心を痛めていたのかもしれない。

 ただ、まあ――。


「俺は別に恋愛沙汰には興味ないからな」

「ふーん。でも実際鈴蘭さんって美人だし、結構モテるらしいよ」

「そうか。なら鈴蘭と釣り合うような男が貰ってくれるんじゃないか?」


 楠から疑いの眼差しを受ける。しかしそれに動じる俺ではない。


「……そうなんだ」

「そうだ」

「実は飛芽とも、幼馴染みだとか言ってもしかしたら……とか思ってたけど違うの?」

「違う。なぁ飛芽?」

「…………」


 飛芽は机越しに俺を睨みつけていた。その目はなにも冗談で怒っている風ではなく、鈴蘭と相対していた時のように相手を見据える真っ直ぐな眼差し。

 飛芽はもしかして……キレている?


「な、なぁ?」

「……ええ、そうね。それよりそろそろ戻らない? 結局お昼もまだ食べてないし、騒ぎも収まってると思うわ」


 冷淡な声でそう言うと、飛芽は椅子から腰を上げ、第二実験室から出ていこうとする。


「……あっ! そう言えばそうだ! たっははー、お腹空いて来たなぁ。まっ待ってよ! ひめぇ」


 その後を楠が追いかけていく。楠はいつでも飛芽を追いかけているような気がするな。

 それにしても――。


「なんだよ、あいつ……」


 飛芽の真剣な目を前にして、俺は不可解に思いながら二人が出ていくのを見送った。

 第二実験室に取り残され、未だ飛芽の心の内を読み解こうと必死に考えを巡らせてみたが、手がかりすら掴む事も出来ず、ただ椅子に腰かけたまま目の前のアイビーを眺め続けた。

 土と葉と花の芳香が消えてしまったこの空間は、もう俺になにも与えてはくれない。


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