89.美容師~着信音に呼び出される
その後、なんとなく修行を続けるような雰囲気ではなくなってしまい、師匠の店をあとにした。
メェちゃんと遊んで気分を切り替えたかったのに、生憎リンダさんと一緒にお出かけし、しばらくは帰ってこないと言われてしまった。
時刻は15時過ぎ。
狩りに行くにも宿に戻るにも中途半端な時間だ。
グラリスさんの工房にでも行こうかと思ったが、シャワーを受け取ったあとにしばらくは来ないでくれと言われていたので、ここにも行きづらい。
改めて、自分の知り合いの少なさに悲しくなってしまった。
こういう時にこそ、リリエンデール様に会いたいのにな、なんて都合のいいことを考えていると、頭の中に音が響いてきた。
プルルルル、プルルルル、プルルルル……聞き覚えのある音だ。
この音は電話か?
携帯電話なんて持っていたっけ?
ポケットを探るが、当然持っていない。
そのうち、腰の辺りに振動が。
いつから僕のシザーケースにバイブレーション機能がついたんだ?
頭の中ではまだ着信音のようなものが続いている。
このまま待っていれば、留守電に切り替わるのだろうか?
道の真ん中に立ち止っていると邪魔なので、とりあえず路地に足を進める。
シザーケースの中に手を入れ、震えている物を取り出してみると……アンジェリーナ、音源は君なのか?
よく見れば、唇が小刻みに動いているのがわかる。
試しに指で口を押さえると、頭の中で鳴る音が止まった。
かわりに手の平から落としそうなほど動きが激しくなったので、慌てて指を放した。
さて、どうやってこの電話にでればいいのだろうか?
そもそも相手は誰だ?
それはもちろん、アンジェリーナだ!!
やっと僕の愛が届いたのか!
こうしてはいられない。
早く電話に出てあげなくては。
えーと……どうやって出ればいいのだろう。
押す場所が他に見当たらないので、鼻を押して耳元に話しかけてみた。
「……もしもし」
「やっと出てくれたわね。もしかして取り込み中だったかしら?」
繋がった!
アンジェリーナってば、こんな声だったんだ。
小鳥が囀るような、聴き心地の良い声だ。
ついにアンジェリーナと会話を楽しめる時が来た。
何から話そう。
毎日のように一緒にいたけれど、まずは改めて挨拶から始めるべきか。
「こうやって話すのは初めてだね。嬉しいよ」
「……そうね。確かにこうやって話すのは初めてね。嬉しいよなんて言われると、ちょっと恥ずかしく感じてしまうけれど」
恥ずかしいだなんて、やっぱり僕のアンジェリーナは奥ゆかしい娘だ。
「とにかく今日は僕と君の記念すべき日だ。どこか2人で盛大にお祝いをしようじゃないか!」
「お祝いって言ってもね……まぁ、とりあえずこちらに来てもらってもいいかしら?」
「こちらってどこだい? もちろん君が行きたい場所になら、僕が断る理由なんてないよ」
「えーと……わたしが今話しているのはソーヤ君よね? なんだかわたしの知っているソーヤ君とは違いすぎて……わたしが戸惑っているのは感じ取ってもらえるかしら?」
アンジェリーナの知っている僕か……彼女の言うように、少しテンションが上がり過ぎているかもしれない。
「君が戸惑うのも仕方ないかもしれないね。
ただそれだけ僕がこうして君と話せるのを喜んでいるんだとわかってほしい。どれだけ僕がこの日を待ち望んでいたか、君にわかるかい?」
「えーと……えーと……ソーヤ君、わたしが誰だかわかっているわよね?」
「それはもちろん! アンジェ――」
「違います!!」
目眩、暗転……目を開けるとそこにはリリエンデール様の姿が。
胸の前で腕を組み、無表情で佇んでいる。
「ソーヤ君」
「はい」
「気持ち悪いわ」
「はい……」
「心底気持ち悪いわ」
「……ちょっと言い過ぎじゃないですか?」
「そうかしら?」
蔑むような視線が、僕の心を弱くする。
「ちょっとした冗談ですよ、冗談」
「そうかしら?」
「……」
「……」
「で、ご用件はなんでしょうか?」
アンジェリーナをシザーケースに戻し、数分間分の記憶も一緒にしまいこんだ。
だから僕はもう大丈夫だ。
何も怖がることはない。
「で、ご用件はなんでしょうか?」
笑顔を浮かべて問いかける。
「ま、いいわ。今回は不問にしましょう」
ありがとうございます、と言いそうになり、首を軽く傾げて、なんのことだかわからないと表現しておく。
リリエンデール様はそんな僕にわざとらしくため息をついて見せ、
「前回はごめんなさいね」
と呟いた。
前回?
記憶を手繰り寄せてみるが、アレしか思い浮かばないので、また小首を傾げておく。
「まさか着替え中だとは思わなくて、急に呼びだして悪かったと思っているわ」
「いえいえ、僕はなんとも思ってませんよ。むしろお目汚しをしてしまって、こちらこそ申し訳ありませんでした」
あの一件から呼び出しがなかったので、嫌われてしまったかと思っていたんだ。
「だからね、今後は今回の様にその人形を使って状況を確認してから呼びだすようにするわ。それでいいかしら?」
「はい、僕としてもその方が助かります」
「では、そういうことで。ただし、次はないわよ?」
首を傾けようとしたら、リリエンデール様の指がこちらを向いていた。
小さくクルクルと回っているので、僕の首がピクリとも動かないのはこのせいだろう。
「次は、ないわよ?」
諦めた僕は、「はい」と素直に返事をしました。
いつも読んでいただきありがとうございます。




