82.美容師~魔法の修業を始める
マリーと別れて、イリスさんの店に逆戻り。
リンダさんとメェちゃんはすでに帰ったようだが、店番の男がいたので声をかけようとすると、黙って顎をくいっと動かした。
入っていいということだろう。
軽く会釈をし、イリスさんのいた部屋へ。
「おや、ソーヤさん。リンダならついさっき帰ったよ」
ソファに座ったイリスさんが、微笑みながらお茶をすする。
「いえ、リンダさんではなくイリスさんに会いに来ました」
「そうかい。明日まで待てなくて、今日から修行を始めるかい?」
それもいい。
魅力的な提案にのってしまいそうになるが、とりあえずはマリーからの宿題を終わらせなければ。
「実は、イリスさんに紹介したい人がいるのですが」
「紹介したい人かい? どんな人だい?」
「その人は冒険者ギルドで受付嬢をやっています」
冒険者ギルドの名前を出した瞬間、イリスさんの目が細くなり部屋の温度が何℃か下がったような錯覚に陥る。
「冒険者ギルドの人間が、わたしなんかになんのようだい?」
声にも険しさが含まれていて、好々爺な印象だったのに、まるで人が変わったようだ。
「わかりません。ただ彼女は悪い人間ではありません。イリスさんの不都合になることはしないと約束してくれましたし、それは僕が保証します。あと彼女から伝言が1つ。『秘密は守ります』です」
「……ソーヤさんにとって、その人はどんな存在だい?」
マリーが僕にとってどんな存在か?
この世界に、トリーティアに来てから文句なしに一番お世話になった人だろう。
冒険者ギルドの登録から武器や防具の購入。
依頼の受け方に討伐する魔物の情報……教えてもらったことはきりがない。
マリーがいなければ、今の僕はなかっただろう。
だから僕は正直に答える。
「彼女は、マリーは僕にとって大事な人です」
嘘は許さない! イリスさんはそんな眼差しで僕を見つめていたが、僕が目を逸らさないでいると瞼を閉じてソファーの背もたれに体を預けた。
次に目を開けた時には、いつもの優しいおばあちゃん。
「ソーヤさんの言葉を信じるとしようかね。ソーヤさんの大事な人なら、いつかは会うことになりそうだし」
「無理を言ってすみません」
「いいんだよ。可愛い弟子の頼みだ。師匠として無碍にはできない」
そうだ。
僕はこの人の弟子で、この人は僕の師匠になるんだった。
だとしたら……、
「これからは、師匠とお呼びしてもいいでしょうか?」
「かまいませんよ。好きに呼んでくだされ」
にっこりと頷かれた。
なら次は、
「師匠、弟子である僕にそんな丁寧な言葉遣いは必要ありません。いつもの話し方でお願いします」
最初は取引相手としてここに訪れたから、丁寧な余所行き用の言葉遣いだったのだろう。
リンダさんに対してはもっと砕けた話し方だったし、弟子になる事を決めてからは、ちょこちょこ素の話し方が出ているようだった。
「そうかい? ならお言葉に甘えさせてもらおうかね。お客さん相手ではなくなるが、いいのかい?」
「元より、師匠と弟子ではそんな関係でしょう。遠慮せず、ソーヤと呼び捨てにしてください。師匠に敬語を使われるのはおかしなことですから」
「わかった。ならソーヤ、あんた他の職業で誰かに師事したことがあるのかい?」
「はい。師匠と弟子の関係とはちょっと違いますが、手に職を付ける為に、何人かの先輩に教えを受けたことがあります」
説明の仕方が難しいけれど、間違ってはいないと思う。
「そうかい。だからソーヤは礼儀正しいんだね。師匠を敬う態度としては合格をあげよう」
「ありがとうございます」
「ソーヤ、今日はこの後の予定はあるのかい?」
「いえ……特にはありませんが」
「なら、早速修行を始めるとするかね。その前に少しお勉強といこうか。ソーヤは魔法についてどの位知識がある?」
魔法についてか……日本にいた頃の漫画やアニメ、小説で読んだ知識ならそれなりにはあるが、ゼロからのスタートで学んだ方がいいだろう。
「まったくありません。基礎的なことから教えて下さい」
「なら魔法を見たことは?」
「穴掘りモグラの使う魔法なら見たことがあります。とは言っても、一度きりでよくわかりませんでしたが」
「そうかい。穴掘りモグラの魔法を見た時、何かを感じたかい?」
何か……?
「特に何も感じませんでした」
「そうかい……」
イリスさんは数秒目を閉じ、
「ソーヤ、そこの棚にある箱を取っておくれ」
「これですか?」
壁に設置された棚から50センチ程の木の箱を取りテーブルに置いた。
「開けてごらん」
蓋を開けると、ビー玉サイズの透明な球が箱いっぱいに詰まっていた。
「これはなんですか? 魔核結晶? でも色が透明だし」
「1つをここに」
言われるままに1個手渡すと、イリスさんは手のひらに握りこんだ。
そして、次に手が開いた時には、透明だった球は青色に変わっていた。
「青色に変わった?」
「中を見てみるといい」
恐る恐る指先で摘まんで球を覗きこむと、ゆっくりと中の青が動いている。
「それが魔素だよ」
「魔素ですか?」
「そう。青色の魔素は水を司る魔素。水属性の魔法を使う時に必要なものだね」
青色の魔素は水属性の魔法に使う……。
「その球は魔核結晶と似ているけど、法玉というものさ。魔素を込められるように魔核結晶を加工したものだよ」
「魔核結晶を加工すると透明になるのですか?」
「そうだよ。錬金術師や一部の魔法使い、魔導師なんかは自分で加工するのさ。予め魔素を詰めた法玉があれば、少ない魔素で魔法が使えるからね。いわば補助的な役割を果たすものだよ」
「師匠、そもそも魔素とはなんなのでしょうか?」
この世界に来てから初めて聞いた言葉だ。
「魔素とはマナとも呼ばれていて、魔法を使う為に必要な燃料とでも言えばいいのかね。遥か昔の偉大な魔導師の残した言葉にはこうある。
『魔素は生あるものの体内に宿り、大気に宿り、この世界のありとあらゆる場所にある』と」
「ということは人の体の中にも魔素がある?」
「人だけじゃなく、魔物の中にも魔素はある。逆に魔素がなければ魔法は使えない」
「魔力とは違うものなんですか?」
「魔力とも言えるし、違うとも言える」
禅問答みたいになってきた。
「正直、はっきりとはわかっていないんだよ。わかっているのは、人の体内に魔素があり、それを用いて魔法を使うことができる。
魔力が高い者は魔法の威力も大きいことが多い。けれど魔力が高いのに、魔法を使えない人も中にはいる。
だから魔素=魔力というのは否定できないが肯定もできない。魔力の中に魔素が宿るとも言われているね」
「それなら僕が魔法を使えるかどうかもわからない?」
「そうだね。もしかしたら使えないかもしれない。だからこれからそれを調べてみるとするかね」
せっかく魔法使いの職業になったのに、魔法を使えない可能性があるのか。
どうか僕の中に魔素がたくさんありますように。
リリエンデール様に祈りを捧げておこう。
「そこの法玉を1つ手のひらに握りな」
「こうですか?」
「それで自分の中の魔素をその玉に移動させるイメージをするんだ」
自分の中の魔素を移動させる……どうやるんだろう?
とりあえず力を込めてみる。
魔素ー魔素ー、移動しろー。
念じて手を開いてみた。
無色透明。
変わりなし。
「ダメかい?」
「ダメみたいです」
「やり方は人それぞれだから、教えるのが一苦労なんだよ。できる人は簡単にできてしまうから、ソーヤならできるかもと思ったんだが」
どうやらあてが外れたみたい。
期待を裏切ってしまったようで、申し訳ない気持ちになる。
再度頑張ってみるとしよう。
そうだ、スキルを使ってみたらどうだろう。
《集中》発動。
……ポーン、
【スキル 集中のレベルが上がりました】
スキルが上がった。
ということは……玉は無色のままだ。
がっかり感が半端ない。
読んでいただきありがとうございます。




