39.美容師~幼女と秘密の約束をする
『……シザーは、引きながら切る!』
手首をすばやく手前に引き指を動かすと、
シャキン! と清んだ音が鳴り、
「グガァァァァ!」
マッドウルフが叫び声をあげた。
血をばらまきながら、マッドウルフの手首から先がポトリと落ちる。
……切れた。
切れちゃったよ。
『ほらっ、切れただろ?』
懐かしい父の声が聴こえた気がした。
そして、
リィィィィン、と音がする。
【女神リリエンデールの加護により、シザー7の経験値取得を確認……レベルが上がり、テクニカルスキル《カット》を取得しました】
テクニカルスキル?
さっきから意味不明の言葉が多すぎる。
右手に持つシザーの光が一層強くなった。
マッドウルフは木に刺さった爪を抜く為に、左腕に自分の鼻先を勢いよくぶつけ、大きく後ろに飛んで距離をとったが、手首から先が無いので右腕を地面につけず、バランスを崩すようによろめいた。
今だ!
僕は緑色に光る7号シザーの刃を開き、右目を狙って突き出した。
プスリ、と柔らかい感触が伝わり、
「グォォーン」
マッドウルフが暴れるので、黒曜の籠手を鼻先に叩き付け、シザーを引きながら閉じた。
シャキンッ、
マッドウルフの顔が切り裂かれ、のけ反るように顔を上げたので、目の前に無防備な首が晒された。
そこに再びシザーを突き入れすばやく開閉させると、血を吹き出させ、マッドウルフは力無くたわった。
今度は警戒を忘れずに、気になりますレーダーを……魔物は近くにいないようだ。
ようやく一息つけるか。
メェちゃんは木の根本でペタリとしゃがみ込んでいる。
シザーの手入れ……なんてこんな所ではできないか。
とりあえず、短剣を回収しないと。
最初に倒したマッドウルフの口を両手で開き、短剣を抜き取った。
ついでに討伐証明の耳を剥ぎ取り、牙も4本切り取った。
ナイフはと……投擲して落ちていたナイフも拾って腰に戻すと、メェちゃんのそばに座った。
ちょっとだけ休憩。
なんか、疲れたなぁ。
いろんなことが一気にありすぎて、正直思考がストップしている。
体力も気力も使い果たしていたし、背中や肩に腕、至る所が思い出したかのように痛みを主張し始めた。
「いてててっ」
短剣を地面に置いて、右手で左肩を押さえた。
「だっ、大丈夫?」
メェちゃんが縋り付くように聞いてきたので、
「大丈夫だよ」
と頭を撫でた。
安心させたくて、無意識の行動だった。
いつもしてきてように自然と手が動いてしまったんだ。
連続の戦闘を終えて、僕の気が緩んでいたのもあるだろう。
だから僕は気がつかなかった。
「お、お兄ちゃん……あの……」
「ん? 何かな? 大丈夫だよ、もう怖い魔物は倒したからね。心配かけてごめんね」
微笑みかける僕に、メェちゃんは申し訳なさそうに言ったんだ。
「手を……どけてほしいんだけど」
「手……?」
手……僕の手は……メェちゃんの頭を撫で続けている。
「あぁぁぁ!? ごめん、ごめんね! またやっちゃった。頭を撫でちゃダメなのに!」
僕はすばやくメェちゃんから距離を取り、謝罪した。
もちろん、最大限の謝罪である土下座だ。
まさか幼女に土下座をする日がくるとは思わなかった。
「ごめんなさい!」
正座で深く頭を下げた。
オデコが地面について、ゴンッと鈍い音がした。
そのまま数秒固まり、また泣かしてしまったのではないかと恐る恐る顔を上げた。
メェちゃんはキョトンと大きな目を丸くして、
「それ、なぁに?」
「これ? これはお兄ちゃんの住んでいた所では、物凄く悪いことをして謝る時にはこうするんだ、ごめんなさいって」
再び頭を下げた。
「ふーん、変な動きだね。ちょっと面白いけど」
クスクスと笑っているので、泣かしていなかったことに安堵していると、
「ねぇ、お兄ちゃん。お兄ちゃんはどうしてメェの頭を撫でるの? そーゆーのが好きな人なの? 悪い人なの?」
「それは……」
これまた直球すぎてなんと返せばいいものかと悩むが、直球には直球で返すことにして、正直に答えた。
「お兄ちゃんの住んでいた所ではね、大人は小さい子供の頭を撫でてもよかったんだ。
良いことをしたら、偉いねって褒めて撫でる。
怖いことや悲しいことがあったら、大丈夫だよ、心配いらないよって安心させる為に撫でるんだ。だからついメェちゃんの頭を撫ででしまった。
本当にごめんね。もう触らないように気をつけるから」
「そっか……なら、お兄ちゃんはメェのことを褒めてくれて、安心させてくれようとしたんだね。そっか……お兄ちゃん、手を出して」
メェちゃんは、うんうんと頷いて、僕の手を取り自分の頭に僕の手の平が当たるようにのせた。
慌てて引っ込めようとする僕の腕を両手で掴み、
「メェ、嫌じゃないよ。お兄ちゃんに頭を触られるの、撫で撫でされるの嫌じゃない。
だから、触ってもいいよ。もっとして」
花が開くような、満面の笑顔を向けてくれた。
とても嬉しいことを言ってくれた。
言ってくれたのだが……、
「でもねメェちゃん、周りの人が見たら大変な騒ぎになるし、メェちゃんのお母さんが怒るというか、心配するというか」
しどろもどろになりながらも、僕の手はメェちゃんの頭を撫でている。
言動と行動が完全に一致していないのが自分でも嫌になるが、チャンスは今しかないとも思えてしまうのだ。
足りない髪の毛に触れる成分を補充しようと体は必死というか……。
「ここなら、誰も見てないよ。それにメェが誰にも言わなきゃいいんでしょ?
メェ、お母さんにも言わないよ。黙っててあげる。それなら、いいでしょ?」
子供ながらの理屈というか、なんというか、良いのだろうか?
決してやましい気持ちはないと言える。
幼女を愛する性癖など皆無だと断言はできる。
ただ、この世界の禁忌と照らし合わせると、僕は許されないことをしているわけで……幼女の胸を触りつづけている!?
あー、頭が混乱してきた。
とりあえず、すでに触ってしまったわけだし、触り続けているわけだし、ここはメェちゃんの提案を受け入れて黙っていてもらおう。
「ふふ……ふふふ。なんだか気持ち良くて……眠くなってきちゃった」
僕に頭を撫でられ続け安心したのか、メェちゃんは眠ってしまったようだ。
髪の毛を触られていると、大人でも気持ちが良くて眠ってしまう人がいる。
美容室ではよくカットやドライヤーをかけている最中に寝てしまう人がいたなぁ。
何人かの常連客が頭の中に浮かんできて、まだ数日しか経っていないのに懐かしかった。
一応スキル《気配察知》を意識して魔物が近くにいないことを確かめ、短剣を黒曜の籠手に収納して、メェちゃんを起こしてしまわないように注意しながら抱き上げた。
眠ってしまった子供の体温はどうしてこんなに高いのか、ポカポカと温かい。
あまりのんびりしていると、血の臭いに惹かれてまた魔物が寄ってきそうだ。
小走りに僕は泉を目指して移動を開始した。
胸に抱えたメェちゃんからは、優しい日だまりの匂いがした。




