320.美容師~隠蔽をたくらむ
どうしてこうなった。
それは、僕のシザーケースから伸びた黒がコアを包み込むようにして一瞬で奪い去り、シュルシュルと戻っていったからだ。
あっと思った時にはもうコアは消え去っていて……シザーケースより大きなはずで絶対に入るはずはないのに、手のひらを広げたより大きな球体のコアは何故か黒と一緒に収納されてしまった。
一応はと、そっとシザーケースの蓋を開けて覗いてみたが……ない。
やはりどこにも見当たらない。
いや、わかってはいた。
あんな大きなものが、この中に見当たるはずはないんだ。
知らない。
シザーケースをひっくり返して調べる必要はない。
何も知らないことにしよう。
「ないの?」
僕は黙って頷く。
「どうするの?」
「どうもしません」
「えー」
困ったように苦笑するフィクスさんに対して、
「そうだ! フィクスさん。今こそ僕に借りを返す時ですよ! このダンジョンのコアはフィクスさんが壁から取り外して捨ててしまったことにしましょう!! そうすれば全て解決ですよ」
立ち上がり、両手でフィクスさんの肩をつかんだ。
「それって何も解決していないよね? 何より、わたしがゴルダに怒られるし」
「それくらいなんですか! フィクスさんは僕に言いましたよね。『命をかけてこの借りを返すことをわたしは誓おう』って。今がその時です!!」
うんうんと頷く僕を、フィクスさんがジーっと見つめてくる。
「……ダメですか?」
「ダメというか、わたしはそれでもいいんだけれどね。
でもたぶん、『どこに捨てたんだ!?』ってなって、『すぐに探しに行くぞ!!』ってなって、見つかるまでわたしとソーヤ君は強制的に捨てたコアを探すクエストをやらされることになるよ? それであとから捨てたのが嘘だってゴルダとマリーにばれたら……ソーヤ君がそれでもいいなら」
「よくないです。目を閉じなくても怒り狂うマリーの顔が浮かんできます。なんだか心臓がドキドキして冷や汗が出てきて、体調が悪くなってきました」
胸を押さえ蹲る僕を見下ろし、
「とりあえず帰ろうか。大丈夫、わたしがなんとか誤魔化して見せるさ。これでもゴルダとはそれなりに長い付き合いだからね。駄目なら、わたしも一緒に謝ってあげるよ。ソーヤ君には命の借りがあるわけだしね」
なんて言っていたくせに……。
ギルドに戻るなり長期間行方がしれなかったのを心配したマリーに捕まり説明を求められたが、急ぎの要件があると横からフィクスさんが伝えてゴルダさんの執務室に移動した。
フィクスさんがゴルダさんに説明するのを僕はソファーに座り、横で黙って心の中で応援することに。
さぁ、頑張れフィクスさん。
「ニムルの森の奥で探索していたら、たまたま迷宮を見つけた」
「なんだとっ!?」
ゴルダさんが目を剥いて身を乗り出した。
「そして2人で迷宮を攻略して帰ってきた」
「あんな所に迷宮があったのか!? もちろん新しい迷宮だよな? まさか生まれたてか? いや、今はいい。マリー! とりあえず領主に連絡する奴を走らせろ! あとはすぐに冒険者を集めるぞ!! ランクはEとD。できればCもだ。10人、いや30人。この際人数制限なんていらねぇ。集められるだけ全員ロビーに集めておけ。急いで調査に向かわせるぞ!!」
興奮して叫ぶゴルダさんだが。
「けれど、コアを外してしまったので、すでに迷宮は消滅した」
淡々と告げるフィクスさんの言葉に、
「はっ?」
と大口を開けて声を漏らし、糸が切れたようにストンと腰を下ろした。
「えっ?」
立ち上がり、部屋を出ようと扉に手をかけていたマリーが振り返り声をあげた。
「えっ?」
同じように声をあげた僕の頭を、フィクスさんが見もせずにパコンと殴った。
「マリー、マリー! フィクスさんが僕の頭を叩いたよ! 髪の毛を触られました!!」
場の空気を壊そうと騒いでみたが無駄のようだ。
まるで無視で、誰一人僕に付き合ってはくれないようだ。
「俺の聞き間違いよな? フィクス、今お前なんて言ったんだ?」
「すでに迷宮は消滅した」
ふぅぅぅぅー、と大きく息を吐き、ゴルダさんが低い声で言った。
「どういうことか、もう一度ゆっくり説明してくれんか?」
フィクスさんに向けられるその目は酷く剣呑で、猛禽類のように鋭い光を発しているように見えた。
「迷宮見つけた。最終階層まで行ってボスを倒した。コアを取り外した。以上」
フィクスさんはロボットのような無機質な声で要点だけを話した。
「まて、フィクス。この際、前半はいい。いや、よくないが今はいい。後半だ。特に最後のところ。そこを詳しく話せ」
同じく、感情を抑え込むようにゆっくりと話すゴルダさんに対して、
「い、以上?」
ちょっとどもったのは、フィクスさんにも思うところがあったのだろう。
そっと目を逸らして呟くと、
ダァーンッと音がして、目の前のテーブルが砕け散った。
ゴルダさんが拳を振り下ろした姿勢で、下からギロリと睨みつけてきて、
「そこじゃねぇ! てめぇ、わかってやってんだろ!! どうしてコアを外した? 迷宮を知らないソーヤだけならともかく、お前がいてどうしてそうなったんだ? 新たな迷宮の有用性くらい、お前なら嫌って程わかってんだろうが! そのランクは飾りか? Bランク様がよぉ!! 俺は領主になんて説明すればいいんだよ、おいっ!!」
「そこはまぁ、のっぴきならない事情があって、とか?」
フィクスさん、「ねぇ」って優しい笑みで僕にふってくるのはやめてください。
僕は無視して少しずつ顔をフィクスさんとは反対側に向けていく。
「だったらその、『のっぴきならない事情』とやらを話してもらおうじゃねぇか。なぁに、時間ならいくらでもある。きっちりかっちり、俺を納得させてくれるまで付き合ってもらうからな」
血走った目でフィクスさんを睨みつけ、くくくっと低い声で笑いながらゴルダさんが手をグーパーしている。
絶対、お話ではすまなそうな気がする。
微かに体を震わせていると、ゴルダさんはふいに重大なことに気がついたかのように顔をしかめ、
「いや……待て」
と呟いた。
「取り外した迷宮のコアはどうした? 持ってるんだろ? どこにある?」
「……」
「おい、何故黙っている? あるんだろ? ないはずないよな? お前、もしかして俺をからかって遊んでいるつもりか? 迷宮の話自体が作り話だったとかだったら……殺すぞ?」
オーラ?
これが強者の持つべきオーラなのか?
目に見えない力が、僕とフィクスさんに向けて突き刺さってきて、流石のフィクスさんも、ひきつった笑みを浮かべている。
フィクスさん、僕の脇腹を指でツンツンしてくるのはやめてください。
その手を避けるように横に移動するが、たいして広くないソファでは逃げ切ることはかなわない。
「何を二人で遊んでいるんだ? コアだよコア、さっさと出せ。作り話じゃないなら、せめてその証拠を出せよ」
ゴルダさんが満面の笑みで手のひらを上にして右手を差し出してきた。
僕とフィクスさんは、まったく同じ動きで顔を90度逆方向に動かし、その手から視線を逸らす。
「おい、コアを出せ。早く出せ。さっさと出せ。今すぐ出せ。嘘か? 嘘なのか? お前は嘘つきなのか? 誇り高きエルフの国の王子が、こんな程度の低い嘘をつくのか?」
ゴルダさんの言葉が煩わしくなったのか、はたまた面倒になったのか、ついにフィクスさんは禁断の言葉を口にした。
「うるさいなぁ。嘘じゃないよ! でも、ないものはないんだよ。邪魔だったから捨てたのさ。ぽーいとね。だからコアはもうないよ」
ふんっ、と鼻を鳴らしてそっぽを向くフィクスさん。
ああ、言ってしまった。
ゴルダさんの反応は、と思った瞬間、
「この馬鹿垂れがぁー!!」
叫びながら、フィクスさんに飛び掛かっていくのが、まるでスローモーションのように見えたのだった。




