318.美容師~迷宮を攻略する19
大きくひとつ深呼吸し、両手の孤影を腰に戻す。
空いた手にアクアブーメランを、と魔言紡ぎはじめた僕の隣によろよろとふらつきながらもフィクスさんが並んだ。
そして、ゆっくりと右手上げ地面と水平に真っすぐに伸ばした。
その指先は立ち上がりこちらを見据えるレッドオーガに向けられている。
行け、ということなのだろうか?
その瞳は垂れさがる金髪に隠れて見えないが、たぶんそう。
ならば、僕は行こう。
右手にアクアブーメラン、左手には孤影を持って。
走り出すとともに右手のアクアブーメランを投擲。
振りぬいた手で孤影を抜いて、前傾姿勢で駆ける。
後頭部をかすめるようにして、風の弾丸が追い越していく。
これはたぶん合図だ。
あと5歩、3歩、2歩、大きく左に飛んだ。
ほらね、顔を上げた視界には、右腕1本を顔の前にかざして耐えるレッドオーガの姿。
マシンガンのように連射されたエアーバレットの衝撃で、身動きが取れないようだ。
完全に僕を見失っている。
ブラリと下げていた右手の孤影に並ぶように、もう一本も添える。
1本で足りないならば、2本重ねればいい作戦だ。
両手を大きく左後ろに捻り、腰を回しながら斜めに振り上げる。
曲げた膝も伸ばし、全ての力を剣先に集中させた。
先に右手の孤影。
次に同じ軌道になるように左手の孤影。
1撃目で骨まで達し、2撃目で右腕ごとぶった切ることに成功。
ただし、ここで問題がひとつ。
両手を振り上げた僕の腹部が完全に無防備になってしまった。
痛みに悶えてくれるくらいのかわいさがレッドオーガにあればよかったのだが、残念ながら折れた左腕を振りかぶり僕の体に叩きつけようとしているのが見える。
ああ、これは……避けられない。
諦めるわけではないが、全力で孤影を振るったのがあだとなった。
振り上げた力を急に戻すことは難しい。
せめて、少しでもダメージを抑えようと全身に力を入れて歯を食いしばり、その瞬間を待った。
けれど、思い描いていた衝撃はずいぶんと優しいものだった。
そのかわりに、何故だか僕は真っ黒いモノに覆われていて、自分の体がボールにでもなったかのようにぼんぼん、と転がりながら跳ねている感覚がある。
不思議と怖いという気持ちはない。
すん、と鼻を鳴らすと、懐かしい匂いが肺を満たした。
そして、しゅるしゅると黒い帯が収納されていく。
どこに?
それはもちろん、シザーケースにだ。
晴れた視界には、驚いたように目を見開き僕を見るフィクスさんがいた。
コキコキと首を鳴らしながら立ち上がり、「見ました?」と訊ねると、
「見た。けれどわたしに説明を求めるのはやめておくれよ」
とのこと。
「ですか……あ、ちなみにですけど、僕に説明を求めるのもやめてくださいね」
すかさずそれだけは言っておいた。
さて、なんだかよくわからないけれど、たぶんこのコが守ってくれたのだろう。
助けてくれたのだろう。
何度もイタズラというか大変な目に合わせてくれたけれど、大切な僕の相棒。
この世界に来る前からも、この世界に来てからもいつも一緒にいてくれた大切な存在。
そんなこのコが自分の身を挺して? 助けてくれたのだ、僕がここで諦めるわけにはいかないだろう。
さて、もうひと頑張りするとしますか。
レッドオーガの回復力は剥ぎ取られたまま。
先程の攻撃もなけなしの力を振り絞ったものだったのか、その場に立ち尽くしこちらを睨みつけるだけ。
首からも大量の青い血が、止まることなく流れ続けている。
あと一息というところだ。
ただし、それはこちらも同じで。
「フィクスさん、いけますか?」
「逝けるか? と聞かれればいつでも逝けそうではあるけれど違う意味で聞かれているのなら次で最後と答えよう。正直、今すでにぶっ倒れそうさ」
「気が合いますね。僕もたぶん次で最後です。これで駄目なら二人でオーガの餌になるしかないですね」
魔力がほぼ空なので頭痛がするし胃液がこみ上げてきて吐きそうだったりする。
身体中が痛くて思うように力が入らない。
剣を握ることすら難しくて、それを振るのはもっと難しそう。
きっとそんなところもフィクスさんと同じ。
けれど僕にはまだこいつらがいる。
右手で優しくシザーケースを叩いた。
「頼むよ、力を貸してくれ」
呟いて右手を差し入れた。
自然と薬指がするりと入る。
何千、何万、それ以上にしてきたこと。
これならできる。
「では、ソーヤ、いきます」
上体を前に倒すようにし、その惰性で足を動かす。
その背中を斜め下からふわっと風が押した。
芸が細かいなぁ、なんて思い口元に笑みが浮かんだ。
きっとない魔力を絞り出しての助力でこれが限界なんだろう。
その想いを糧にして、少しずつ足の動きを速めていく。
ブラリと下がる右手にはシザー7。
シアンが輝き、その光がシザー7に移動していく。
その狙いは首元。
一撃で決めるしかない。
けれど、何かを感じ取ったのかはたまた生存本能なのか、レッドオーガが折れた左腕で首を守るように構えた。
さて困った。
あの太い腕の上から首を狙うのは不可能だ。
それに、僕はもう止まれない。
その時、体の横を鋭い風が追い越していった。
レイピアがレッドオーガの顔目掛けて飛んでいく。
これに驚いたレッドオーガは反射的に腕でレイピアを振り払い、あっけなく弾き飛ばした。
でも、僕にはそれで十分だ。
道が開いた。
「カット」
右腕を伸ばす、そして親指を動かし刃を開いて閉じる。
碧い光の刃が伸び、シャキンッ、と音が響いた。
その光は、レッドオーガの首をコロリと落とす。
遅れて、ズシンッと重く響く音が。




