304.美容師~迷宮を探索する5
「さてさて、何が出るかな? この瞬間ときたら、わくわくがとまらないよね」
「訳のわからない僕は、どきどきがとまりませんよ」
「そうかい、ソーヤ君も楽しみで待ちきれないんだね! なんだったら初手を譲ってもいいけど?」
「いえいえ、そんなお気をつかわなくても大丈夫ですよ。どうぞどうぞ、お好きなようにボス戦をお楽しみください」
漫才のような掛け合いで譲り合う僕らの前方で、ボスと呼ばれる魔物が現れた。
何度も倒してきた小鬼を二回り程大きくした感じで、体の色は緑ではなく青みがかっている。
武器も小さなナイフではなく鉄の塊……棍棒? もしくはメイスっていうのかな?
とにかくあれで殴られたら痛そうではすまないような凶悪な武器に変わっている。
「ほうほう、1階層は小鬼でボスは中鬼ね。まぁ、教科書通りの一般的な感じではあるよね。どうする、ソーヤ君? 行っとくかい?」
「行っとかないです。フィクスさんの方で行っといてください」
「そうかい? では遠慮なくわたしがやらせてもらおうかね。あ、サポートなしで大丈夫だから気楽に観戦しといておくれ」
鼻歌交じりにレイピアを一振りし、中鬼と呼ばれた魔物にフィクスさんが近づいていく。
「中鬼と戦うのは、久しぶりだ、なっ!」
ブラブラと下向きに垂らしていた剣先を、斜め左上に向けて切り上げる。
中鬼は鉄の棒で上から叩きつけるように迎撃したかったのだろうが、フィクスさんは途中で手首を捻りレイピアの軌道を変えてすかすように対処したので、中鬼は地面に力いっぱい武器を叩きつけることになった。
腕が痺れているのだろう。
中鬼は「ぐがぁ」と声を漏らしながらも鉄の棒を持ち上げて構えようとするが、その時にはすでにフィクスさんはすべるように背後に移動していてレイピアの切っ先を中鬼の首に差し込んでいた。
口から青い血を吐き出しながら、中鬼は痙攣して武器を取り落とし、遅れて自らも倒れこんでいく。
「心配する気もおきないほど流石ですね」
レイピアを振って付着した血を落とし、
「まぁ、これくらいはね。所詮格下相手だし」
そう言いつつも自慢げな素振りで微笑むフィクスさんに賛辞を送る。
「この中鬼ってのは、Dランクですか?」
「そうだね。Eランクの小鬼、Dランクの中鬼、Bランクの大鬼って感じかな」
「E,DときたらCランクではなく?」
「うん、大鬼はCではなくBランクに分類されているよ。中鬼なんかとは比べ物にならないくらいにヤバい相手さ。
ソーヤ君は小鬼と中鬼を見てきたわけだけど、中鬼は小鬼より体が大きく力と素早さが増している感じなんだよね。
それに比べて大鬼になると、全ての身体能力が段違いに上がる。わたしやソーヤ君と同じくらいすばやく動くし、力も数倍は上だね。しかも、ちょっとくらいの傷なら戦闘中に治ってしまうという反則みたいな能力がやっかいでさ……できればわたしも相手はしたくないような魔物だよ」
過去に戦ったことがあるのだろう。
思い出すのも嫌そうに顔をしかめている。
「ほらっ、わたしの武器はレイピアだろう? 突いても突いても肉が盛り上がって出血が止まるしさぁ、やっとの思いで腕の腱や筋を切り裂いて使えなくしたのに、しばらくしたら普通にその腕で殴りかかってくるんだもん。まったく嫌になっちゃうよ、ほんと」
干し肉を食べた時よりも不味そうに、舌をべぇと突き出した。
こんな仕草もフィクスさんのように顔が良い人がやると様になるからうらやましい。
「そんな反則じみた相手をどうやって倒したんですか?」
「んー? その時はわたしも一人ではなくパーティーを組んでいたからねぇ。みんなで協力して仲良くなんとか倒したさ。
まぁ、仲間で囲んでいたから巻き込むのが怖くて、本気で魔法を使いずらかった、って言い訳はさせてもらいたいけどねぇ」
「なら、もしフィクスさんが一人で大鬼と戦うことになったとしたら?」
「その時は魔法一択だね! 全力前回のエアハンマーを叩きこむよ!」
「それで勝てますか?」
「……勝てないかなぁ。だから叩き込んだら、即逃げるね。離脱、退却、退避、撤退だね」
「撤退ですか」
「うん、勝てない相手と無理して戦って死ぬのはわたしだってごめんだしね。
だからソーヤ君も、自分が勝てないと思ったら逃げるんだよ。なりふり構わず逃げる時は逃げる。そこに関与するものは何もないのさ。大切なのは自分の命なんだから」
意味深に何度も逃げろと告げてくるフィクスさんの過去に何があったのかはわからないけれど、僕はどうしても聞いてみたくなってそれを口に出してしまう。
「じゃあもし、勝てない相手と戦っていて逃げられない状況だったら? もしくは、自分が逃げることで仲間を見捨てることになったとしたら?」
「それは……その時に考えればいいことだよ。そんな場面に遭遇した時に、自分の気持ちに沿って動けばいい。
少なくともわたしはそうしてきたから。そうやって生き延びてきたんだよ。長い間ずっとね」
遠くを見つめるようにして呟くフィクスさんに、僕はそれ以上詳しく尋ねることはできなかった。
言えないことや言いたくないこと。
普通の人よりも長く生きてきたフィクスさんには、きっとたくさんの色々な過去があるのだろうけど。




