290.美容師~連行される
「それではソーヤ様。わたくしはこれからすぐにでも聖国ローゼンの大司教様の元に出発いたします」
「ええ、やっぱりどうしても行くのですね」
「当り前です。こんな素晴らしいことを大司教様にご報告できるなんて、わたくしはなんて幸せなのでしょうか」
それこそ昇天してしまいそうな表情のラルーチェは、もはや心ここにあらずと言った感じで、うっとりと微笑みを浮かべている。
「そうですか……なら、さっきの約束だけはどうかお願いしますね」
宙を見つめて恍惚としているラルーチェに僕の言葉が届いていればいいな、と願いながらも念を押すことは忘れない。
ついさっきまで、短くない時間を費やしてラルーチェとやり取りしていたのだ。
その内容と言えば、リリエンデール様を崇める全ての神殿に僕が祝福を受けたとお触れを出し、聖国ローゼンの大神殿にて大規模な祭りを執り行うので、是非僕にローゼンへ同行してほしいとのこと。
それに対する僕はといえば、とにかく目立ちたくない一心で、まず聖国ローゼンへの同行を拒否して泣かれ、それどころか神殿関係者へ知らせるのも一切やめてもらいたいとお願いしてさらに号泣された。
お互いの意見が正反対の為にどちらも引かずに『お願い』しあい、ラルーチェが自分の意見を押し通そうと再び土下座をしようとするので、それならこちらもと片膝をついた時点でラルーチェが飛び掛かって止めに来て、呼吸困難に陥りそうなほど泣き続けたが、僕の意思が固いのがわかったのか、諦めと共に折れてくれたのだ。
話し合いの結果、妥協点として決まったのは、『せめて大司教様だけにでも報告させてほしい』というラルーチェの懇願。
まぁ、それくらいならば、と僕は認めるしかなかった。
「えーと、道中はお気をつけて」
「はい。ソーヤ様も。くれぐれもお怪我や病気等にはお気をつけください。このラルーチェ、あますことなく大司教様にお伝えして、すぐにでも戻ってまいりますので」
戻ってこなくてもいいんだけどなぁ、なんてことはさすがに思っていても口には出せないので、
「大司教様にもよろしくお伝えください」
と大人な対応でこの場を濁して神殿を後にした。
「なんか、巻き込んでしまってすみませんでした」
隣を歩くフィクスさんに一応謝罪をしておく。
「いやー、どちらかといえばわたしが巻き込んだようなものだし、個人的にはすばらしい瞬間に立ち会えたことを嬉しく思うよ」
「そう言ってもらえれば幸いです。あっ、あとフィクスさんもこの件は他言無用でお願いしますよ」
「えーと、それはゴルダやマリーちゃんにもかい?」
「……言うべき時は、せめて自分の口から言わせてください」
「了解。わかったよ」
お互いに苦笑いで分かりあい、
「これからどうしますか? 結構、遅くなってしまいましたけど」
空を見上げてみれば、すでに暗くなりつつあり日は落ちようとしている。
もしかしてラルーチェ、明日の朝を待たずに出発するのかなぁ。
いや、きっとするんだろうなぁ。
まさか一人で歩いていくとか……。
どうか護衛の一人や二人を雇って馬車に乗って出かけますように。
心の中だけで祈っておいた。
「そうだねぇ、こうして聖水も手に入ったし、とりあえず必要なものはそろっているかなぁ。ソーヤ君、回復薬関係は足りているかい?」
「ええ、少し心もとないので、宿に戻る帰りに補充はしておこうと思っていますが」
「なら大丈夫かな。食料は明日街を出る前にソーヤ君の分もわたしが買っておくよ。
ということで今日は解散にしようか。明日は朝日が昇るころに門の前に集合でいいかな?」
「はい、大丈夫です」
「よし、ならまた明日」
片手を上げてウィンクを飛ばし、フィクスさんは元気にかけていった。
師匠のお店に行って、体力回復薬と魔力回復薬を買い込む。
初級を3本ずつ、中級を2本ずつ。
これだけあれば十分かと、お手伝いをしたくてうずうずしているメェちゃんに、「お願いします」と手渡した。
「ごこうにゅうありがとうございます。ただいまおつつみしますね。しょうしょうおまちください」
たどたどしくも丁寧な言葉を操り、ひとつひとつ丁寧に布の袋に回復薬を入れてくれるのをほっこりとした気持ちで見つめていると、外に出ていて不在だったリンダさんが帰ってきた。
「誰かと思えばソーヤじゃないか。久しぶりだね。
あたしらもう少しで上がりの時間なんだ。最近会えなくてメイも寂しがっていたし、どうだい? 今夜はうちで夕食でも食べていかないかい? 腕によりをかけて美味しい物を食べさせてあげるよ。ああ、もちろん、あたしもソーヤに会えなくて寂しかったんだからね」
肩に腕をのせてしなだれかかってくるので、いい匂いはするし、少しパサついてはいるがさらりと流れ落ちた髪の毛が僕の頬に触れた。
それだけでもヤバいというのに、回復薬の入った布袋を渡すものかと両手で抱きしめるように抱え持ったメェちゃんが、きらきらした瞳で見上げてくるものだから……もちろん僕には断るなんてことはできずに、メェちゃんと手を繋いだままリンダさんの家に連行されることになった。
本当は師匠に例の称号について聞きたかったのだけれど、それはまた今度にしよう。
繋いだ手を揺らしながらにっこりと笑顔で見上げてくるメェちゃんに微笑みかえしながら、僕は心の中でため息をひとつ。
素直に諦めることにした。




