273.美容師~成り行きを見守る
「はいはい、お呼びですかバリスタイン様」
「遅いぞゴルダ! 吾輩が呼んでいるのだから、駆け足で来んか!!」
「はぁ、それはすいませんね。なんというか、もう歳なので足腰が痛くて走ると辛いのですわ」
わざとらしく拳で腰の辺りをトントンと叩くゴルダさんは、ついさっきまで浮かべていたニヤニヤとした笑いを隠しながら、普段からは想像もつかないような丁寧な態度で男に接している。
そうだった、この男は貴族の息子で名前はバリスタインだった。
脳内ではずっと小太りの男でしかなかったし、常に気が立っていてしっかりと名前を憶えていなかった。
これを機に、小声でバリスタインと呟いて覚えておくことにする。
いや、貴族の息子だってことだし、一応バリスタイン様と呼んだ方がいいのだろうか。
なんて考えていると、バリスタインが癇癪を起したように叫ぶ。
ああ、「様」が抜けてしまった。
まぁ、いいか。
こいつのことは嫌いだし、誰にも聴こえない脳内だし、呼び捨てのままで。
「くそっ、もういい! さっさとそこの男を拘束しろ!! あとお前の後ろの男と女もだ!!!
ああ待て、とりあえず三人とも片腕を切り落とせ。吾輩だけ痛い思いをしているのは気にいらん!」
まだ接着しきっていない血だらけの自分の腕を睨みながらも、バリスタインが悔しそうに言い放った。
「いえ、わたしにはそれは無理ですな」
「何故だ? ふんっ、なんだ武器を持ってきていないのか。ほら、特別に吾輩の剣を貸してやる。それならいいだろう」
と、バリスタインが自分の剣を投げ渡す。
けれどゴルダさんはその剣を受け取ることなく、剣が放物線を描いて切っ先から地面に落ちるのを見つめ、
「いやいや、勘弁してもらえますか。わたしには到底無理なことでございます」
再度、慇懃に否定した。
「なんだと!? 吾輩の言うことが聞けんのか? こうなったらお前も同罪だ!! 父上に報告して、お前らみんな死罪にしてくれるわ!!」
バリスタインは興奮してきたのか、ブルブルと身体を揺らすものだから、せっかく繋がりかけていた右腕の接合部分から出血が多くなった。
「すみません。あまり動かないでください」
門番の男が泣きそうな声で注意しているが、興奮しているバリスタインには聞こえていないようだ。
もしかしてアドレナリンとやらが出ていて、痛みを感じていないのだろうか?
だとすれば、バリスタインにとっては幸せなことなのだろうが。
「死罪だ、死罪だ!」
叫ぶバリスタインを眺めていたフィクスさんが、「はぁ」と大きくため息をついた。
そして、にっこりと笑ってバリスタインに言った。
「死罪になるのはあなたの方だよ」と。
「はぁ」
と、言われたバリスタインもため息をついた。
「何を馬鹿なことを言っている。
どうしてマキシード子爵家の次期後継者たる吾輩が死罪になるのだ? これだから無知な下賤な輩は困る。なぁ、そうは思わんかゴルダ」
この場では自分の味方はゴルダさんしかいないと思っているのか、つい数秒前まで「死罪だ!」と叫んでいた相手でもあるのにゴルダさんに同意を求めた。
けれどゴルダさんの回答はこうだった。
「そうは思いませんな、バリスタイン様。残念ながらあなた様は死罪になると思います」
その言葉によって、この場に沈黙が訪れた。
僕とマリーは成り行きに身を任せて無言で眺めているだけの存在だし、フィクスさんは微笑みを浮かべたままゴルダさんを見ているし、バリスタインは何を言われたのか理解できなかったのか、黙って首を傾げていた。
「何を馬鹿な――」
再起動したバリスタインが叫ぶのを遮り、ゴルダさんがより大きな声で話しだした。
「バリスタイン様、先程からあなた様が『下賤だ、下賤だ』とおっしゃり、剣を抜いて斬りかかったこのお方、どなたかご存知でしょうか?」
「なんだと!? この男のことなど知らん! この男がなんだというのだ!!」
「このお方は……フィント国の第三王子であるフィクス様でございます」
「ぬっ、王子だと!?」
「はい、ちなみに王位継承権で言えば、確か……第5位でしたでしょうか?」
尋ねるゴルダさんに、
「うーん、確かそうだったような気がするねー」
と頬に指をあてて頷くフィクスさん。
なんと金色の髪の毛を持つエルフのフィクスさんは、妖精種の国フィントの王子様だったわけで……。
となると、
「いくらラルーカ王国の子爵家の跡取りであるバリスタイン様といえど、他国の王族であるフィクス様に向かって『下賤な輩!』と言うのはまずいどころではないというか……しかも剣を抜いて斬りつけていることもありますし……たぶん、死罪になるかと」
絶対に思ってもいない癖に、ゴルダさんは、
「おかわいそうですが」
と呟き、涙を拭う真似をする。
やっと理解が追い付いたのか、バリスタインの顔色はどんどんと青くなっていき、身体中の血液が全て流れ出してしまったのかと思うくらいに白く染まっていった。
「とりあえず、御父上にはわたしから連絡を取ります。なので、どうか抵抗はせずに、おとなしく牢に入ってお待ちください」
剣を手放しているので、抵抗するといっても精々手足を振り回して暴れるくらいしかできないだろう。
ただ、千切れかけた腕を門番が抱きかかえている状態ではそれすらもまともにはできないし、する元気もないようだ。
バリスタインは茫然とした表情で、門から駆けてきた男達に囲まれて連行されていく。
≪聴覚拡張≫スキルが拾って僕に届けてくれたのは、「そんな」とか、「馬鹿な」とか、「こんなはずでは」とか、どうでもいい呟きばかりで。
だから僕はそっとスキルをオフにした。
なんというか、よくわからないが一件落着? でいいのだろうか。
そんな不安を感じながら。




