271.美容師~癒される
大量の風の塊に吹き飛ばされた僕は、男を飛び越えてニムルの街を覆う壁に激突した。
その際、弧影を手から離し、体を丸くして頭を守ることくらいしかできなかったので、かなりのダメージを負った。
立ち上がろうにも頭がクラクラして足に力が入らない。
転がる弧影を視界に収め、あともう少しだったのに、と悔しさが胸を締めつける。
そんな中、
「ずるいよ、ソーヤ君。まだ勝負はついていないじゃないか。それなのに景品に手を出そうなんて、ルール違反だよ」
ニコニコと微笑みを浮かべたフィクスさんが歩み寄ってくる。
「それにしても、水属性だけじゃなく風属性の魔法まで使えるなんて聞いていないよ?
隠していたなんて悪い子だなぁ。しかもこのタイミングで躊躇なくそれを使ってくるなんて……思わずわたしもちょっぴり本気を出しちゃったじゃないか」
やっぱり、さっきの風はフィクスさんの仕業か。
風属性の魔法で水の壁を吹き飛ばしたのだろう。
その衝撃で僕まで吹き飛ばされたということか。
僕にとっては全力の『アクアウォール』だったのに、フィクスさんにしてみれば、ちょっぴり本気で済んでしまうのか。
理不尽なものを感じるが、素直に凄いと思えた。
さすがBランク。
あそこで転がっている自称Bランクとは雲泥の差だ。
「さて、どうする? まだ続けるかい?」
レイピアを突き付けて聞いてくるフィクスさんに、僕はゆるゆると首を振る。
「僕の負けです。魔力も残り少ないですし、何より手も足も震えているし体に力が入りません」
「そっか。ならわたしの勝ちだね。わたしの言うことを、なんでも素直に聞くように」
「ええ、仕方ないですね。約束しましたし。
ただ、なんでもはやめてほしいですね。僕にも聞けるお願いと聞けないお願いくらいはありますし」
後半は小声で呟いて、震える右手を見おろした。
体の内側にあった黒いモヤモヤとしたものは、フィクスさんの魔法で吹き飛ばされた時に、衝撃と一緒にどこかに連れ去られたようだ。
あの男を許せないと感じる気持ちはまだある。
ただ、何が何でも殺してやろう、とまではすでに思えなくなっていた。
あとはフィクスさんに任せよう。
せめてこの先、僕とマリーに関わらないようにしてもらえればそれでいい。
けれど、僕はコルラを殺してしまった。
カルラを殺したのは僕ではないが、その主張はきちんと認められるのだろうか?
僕の処分はどうなるのだろう。
今更ながら怖くなってきた。
さきほどまでとは違った震えが体を揺らす。
それに気がついたのかどうなのかはわからないが、
「大丈夫だよ。君の身柄はわたしがなんとかするから」
優しく微笑んでフィクスさんが手を差し出してきた。
「ほら、そろそろ立てるでしょ? あいつも来たみたいだし、さっさと終わらせておいしいものでも食べに行こうよ」
僕の右手を掴んで、よいしょっと引っ張ってくれた。
足は……まだ震えていた。
手にもコルラを斬った感触が残っているような気がする。
けれど、そこから逃げることはできない。
どんな沙汰が下されるかはわからないけれど、僕はそれに向き合わなくてはいけない。
「大丈夫だよ、ソーヤ君。わたしは君の味方だし、ほら見てごらん。君の一番の味方がもうすぐ到着するよ」
言われて顔を上げると、息を切らして走ってきたマリーが僕の胸に飛び込んできた。
「ソーヤさん! 無事ですか!!」
ふらつく足ではマリーを受け止めて踏ん張ることができずに、背中から地面に倒れこむ。
マリーを抱きとめていたのでまともに受け身もとれず、思い切り後頭部を地面にぶつけた。
「いっ、痛っ」
思わず呟いた言葉に、マリーが過剰に反応し、
「体中が血だらけじゃないですか!? 痛いどころの問題じゃありません! 早く治療をしないと!!」
胸倉をつかんで、早く早く、と引っ張られる。
いや、痛いのは体じゃなくて頭なんだけど。
ほんとに僕の守護天使は抜けている。
でも、そんなマリーを見ていると自然と笑みが浮かんできてしまって、
「なに笑ってるんですか! 笑い事じゃありませんよ!!」
なんて怒られてしまった。
震えは、いつのまにか止まっていた。
心の奥にぽっかりと空いていた穴は、温かなもので満たされている。
まったく、マリーにはいつも助けてもらってばかりだな。
これほどの恩をどうやって返したらいいものか。
「ソーヤさん! 聞いているんですか!!」
僕の膝の上にのったまま、マリーが大声で叫ぶ。
「聞いてるよ。体の傷は回復薬で治療済だから大丈夫。心配かけてごめんね」
「でもさっき痛いって」
「あれはマリーを受け止めて地面で頭を打ったのが痛かっただけ」
「ええと、それは……ごめんなさい」
僕の言葉を理解したのか、頭を下げて急にしゅんとなるマリー。
目の前に髪の毛が現れたものだから、思わず僕は右手を伸ばしてマリーの頭を撫でてしまう。
「大丈夫だよ。もう痛くないし。ありがとう。ありがとうね、マリー」
何度も何度も髪を撫でる。
ああ、久しぶりの手触りだ。
とてつもなく癒される。
そこに、
「ふーん、二人はやっぱりそういう間柄だったんだね。冒険者ギルドでも妙に親し気だったし、そんな気はしてたんだ。
ああ、だからマリーはあの時ソーヤ君がわたしの髪の毛を褒めたから焼きもちを焼いて怒っていたと。うんうん、そういうことだったんだね」
したり顔のフィクスさんが隣で頷いている。
「ちがっ、違いますよ!! ソーヤさんとわたしはそんな関係じゃなくて!! ソーヤさんも何か言ってくださいよ!!!」
「ん? そんな関係ってどういう関係?」
髪の毛の手触りに夢中な僕は、あまり会話を聞いていなくてよくわからない。
「そもそも! ソーヤさん! わたしの髪の毛を勝手に触らないでください!! また牢屋に入りたいんですか!?」
「えー、牢屋に入るのは嫌だけど、もう少しだけこのまま触りたい。
もしくはどうせ牢屋に入ることになるのなら、満足するまでこの手触りを楽しんだあとで。
あっ……ついでにフィクスさんの髪の毛も触らせてほしいというか」
「もうっ! ソーヤさん!! いい加減にしてください!!!」
マリーが僕の胸を両手で叩いて離れていく。
それと同時に、手のひらで感じていた柔らかな感触もなくなった。
「ああ……僕の髪の毛が」
「これはわたしの髪の毛です!
ソーヤさんの髪の毛は自分の頭の上に乗ってるんだから、好きなだけ触ればいいじゃないですか!!」
「わかってないな、マリーは。自分の髪の毛を触っても少しも楽しくないんだよ」
「そんなこと知りません!
まったく、散々心配させといて最終的には髪の毛ですか。しかもわたしの髪の毛だけじゃなく、フィクス様の髪の毛も触りたいだなんて。
フィクス様は男性なんですよ? そこのところわかっているんですか?」
「わかっていないのはマリーの方だよ。綺麗な髪の毛に男性も女性もないんだ。髪の毛は等しく髪の毛なんだから」
「まったく……よくわかりません。なんでわたしはこんな人に……」
項垂れるマリーに、隣で笑うフィクスさん。
この場所だけ殺伐とした空気が避けて通っているようだ。
けれどそこに、殺伐とした空気を纏った存在が登場。
「まったく、お前らは楽しそうでいいな。これだけの問題を起こしておいて笑っていられるお前達が心底羨ましいと俺は思うぞ」
しかめっ面のゴルダさんがボヤキながら歩いてきた。




