267.美容師~アンジェリーナを庇う
例のあのコを出してちょうだい。
例のあのコ?
リリエンデール様がそう呼ぶ存在。
それはたぶん……、
「アンジェリーナのことですか?」
「そうよ。やっぱり今回の原因もあのコのせいなのよ。
まったく、どこまで迷惑をかければ気がすむのかしら。一度、とことんまでお話合いをする必要があるかもしれないわね」
ため息交じりに微笑むリリエンデール様の表情には、どこか暗いモノが混じっていて、何故だか背筋が冷えて汗が流れる。
シザーケースの中から指で探り当てたアンジェリーナを取り出し、リリエンデール様が差し出す手の平ではなくテーブルの上に置いた。
このまま手渡してしまうと、握り潰されてしまうような、そんな恐怖にかられたからだ。
握り拳程度の大きさだったアンジェリーナは、いつの間にか原寸サイズに戻っていて、正面に移動したリリエンデール様がその頭をガシリと掴んだ。
「逃がさないわよ。こっちを向きなさい」
目の前では不思議な現象が起きていた。
テーブルの脚がカタカタと揺れ始めたのだ。
最初は上から押さえつけるリリエンデール様の力でテーブルが揺れているのかと思っていたが、どうにも違うようだ。
アンジェリーナ自身がリリエンデール様の手から逃れようとしていて、それを逃がさないように捕まえているリリエンデール様の力と拮抗してこうなっているみたい。
僕のアンジェリーナは動くのか?
いつのまに?
こんな時だが疑問に思えてしまう。
「全部シアンから聞いたわよ。さぁ、出しなさい。
ソーヤ君の話によると、マッドウルフ倒しまくったらしいじゃないの。ソーヤ君のレベルは1つも上がってないみたいだし、稼いだ経験値はあなたが相当貯め込んでいるのでしょう?」
動けると言うことは、もしかしてしゃべったりもするのだろうか?
期待に胸を膨らませる僕だったりするのだが、アンジェリーナからの返事はない。
「ソーヤ君のピンチなのよ? あなただってソーヤ君が悲しむのは本意ではないのでしょう?
何も全部を寄こせと言っているわけではないの。必要な分だけで勘弁してあげるわ」
僕がリリエンデール様を窺うと、「わたしに任せておいて」、と小声で呟き深く頷かれた。
「いい? 今は急いでいるの。時間がないの。あなたと遊んでいる場合じゃないのよ。さぁ、わかったらシアンに渡しなさい」
数秒、時間が流れる。
僕とリリエンデール様の視線は、話の流れ的にシアンに注がれる。
アンジェリーナから移動した経験値がシアンに流れ、シアンからトリミングシザーに移動されるのを待つ。
……が、シアンは光らない。
ということは、シアンに経験値が移動していないわけで、アンジェリーナがリリエンデール様の言葉を拒否しているということだ。
「ねぇ、わたしの話を聞いていた? 早く、急いで、速やかに、行動しなさい」
また数秒、数十秒、時間が流れる。
アンジェリーナの頭に置かれるリリエンデール様の手の平がプルプルと震え、5本の指がギュッと黒髪を握りしめた。
ああ、そんなことをしたら髪の毛が傷んでしまう。
僕の心配を感じ取ったのか、リリエンデール様がアンジェリーナから手を放した。
ほっと息をつく僕をチラリと見て、リリエンデール様が笑う。
「そう、だんまりなのね……あなたがそういう態度なら、こっちにも考えがあるわ。
後悔したくなかったら、今の内にわたしの言うことを聞いた方がいいわよ。でないと――」
リリエンデール様が意味深に言葉を区切る。
どう見ても脅しをかけている。
女神様がやることではないような気がするが、任せてと言われているので見守ることにする。
それにしても、でないと、の後に続くのはなんなのだろう?
女神としての力を発揮して、無理やりアンジェリーナから経験値を奪い取るのだろうか?
それとも、他に何か良い方法でもあるのか?
想像している僕の答えが出るのを待つことなく、リリエンデール様が続きを述べた。
「燃やすわよ」と。
それは地の底から響いてくるようなとても低い声で、にっこりと微笑んでいるその表情から発せられたとは思えない内容だった。
瞬時に僕はテーブルの上からアンジェリーナを掻っ攫い、胸に抱きしめる。
それだけでは足りないと思い、リリエンデール様から隠すように背を向けた。
「あらあら、ソーヤ君。どうしたの急に? わたしに任せておいて、って言ったじゃない。
さぁ、そのコを、ソイツを元に戻してくれる? じゃないと――」
「じゃないと……なんですか?」
「……燃やせないじゃないの」




