263.美容師~助けを求める
にぃー、と声が聴こえた。
それと同時に、頭の中にコエが。
『たすけて……おとうさん』
気がついたら足が動いていた。
気がついたら剣を抜いていた。
気がついたら剣を振り切っていた。
気がついたらコルラの首が飛んでいた。
僕は剣を放り投げてジストを抱え込む。
首から流れ出る血が止まらない。
必死に手のひらで押さえて止血を試みるが、まるで無意味。
そんなことでは出血を止めることはできない。
「回復薬!」
片手で腰に付けたポーチを漁るが、それらしきものはない。
マッドウルフとの戦いで全て使い切ってしまったのを思い出す。
倒れこんでいるコルラのポーチに手を突っ込み、取り出したそばから封を開ける。
半開きの口から飲ませようとしたが、飲み込む力もなさそうで首元に零れ落ちていく。
3本の回復薬を空にしたけれど、その効果はほんの少し出血が減ったくらい。
傷が深すぎる。
こんな初級や中級の回復薬じゃ何本あっても足りない。
上級回復薬じゃないと。
腕の中のジストはぴくぴくと痙攣し、震える瞼が徐々に瞳を隠そうとしている。
「ジスト! ジスト!! 目を閉じちゃダメだ! 大丈夫、すぐに良くなるから。僕が治してあげるから!!」
叫びつつも辺りを見回す。
こんな場所じゃなくて、せめて街中であれば。
ジストを抱えて走りだそうとしたが、腕の中でぐったりとしてる体から力が抜け落ちたのがわかった。
苦しそうにしていた呼吸も消えてなくなりそうで、腕や脚はぶらりと垂れ下がっている。
ダメだ。
間に合わない。
絶望が僕の中を駆け巡る。
あの時、コルラがジストにナイフを向けた時にでも飛び出していれば。
後悔するが、どうにもならない。
僕ではジストを助けられない。
このまま抱きしめていることしかできない。
ならば、僕はすがろう。
この状況を打破することができる可能性に。
それが出来うる唯一の存在に。
シザーケースからアンジェリーナーを取り出し、指で強く鼻を押す。
「リリエンデール様! どうか、どうか僕に助けを!! 力を貸してください!!!」
空を見上げて叫んだ瞬間、視界が真っ黒に染まった。
そして、目の前にはリリエンデール様が。
「リリエンデール様、お願いです。ジストを、この子を助けてください」
両手を掲げるように差し出すが、その手の中には何もない。
ついさっきまで感じていた温かみは失われていて、僕は必死に回りを探す。
「ジストが、ジストがいない。さっきまでここにいたのに」
「ソーヤくん。あなたの大切な子は下よ。ここには来れないの」
焦る僕の肩に、そっと手が乗せられた。
覗き込むように下からリリエンデール様の顔が。
パラパラと流れ落ちる碧色の髪の毛が、僕の頬にあたってそのままへばりついた。
「泣かないで、ソーヤくん」
リリエンデール様の指が、ためらいがちに触れてきた。
「助けて、助けてください」
頬にある指に、すがるように手のひらで包み込む。
そのまま握りしめる僕の力が強すぎたのだろう。
リリエンデール様の表情が痛みを堪えるように歪んだ。
「お願いします。僕にできることならなんでもしますから。
女神であるリリエンデール様の力なら、ジストの傷を癒すことくらいできますよね? だからお願いします。お願い、お願いですから」
震える声で懇願するが、僕の期待を裏切るかのように、リリエンデール様は首を振った。
縦ではなく横に。
申し訳なさそうに、唇を噛みしめながら。
「そんな……どうして。どうしてですか?」
「ごめんなさい。わたしもできることならしてあげたいのだけど……できないことはどうすることもできないの。ほんとうにごめんなさい」
「リリエンデール様でも無理なのですか? できないのですか? たかが傷を治すだけのことが?」
「ええ、無理なの。無理なのよ。
女神であるわたし達は、下の世界へは直接の干渉ができない決まりなの。だから下の世界の生物であるあの子に、わたしは関わることができない。力をふるうことができない。たかが傷を治すだけのことが、わたしにはできないの。
女神様だなんて偉そうに名乗っておきながら、とんだ役立たずなの。ごめんなさい」
「でも、僕にはこうして関わっています」
「ソーヤくんは別よ。そもそも、わたしがこの世界に呼び込んだ存在だから。わたし達の制約に当てはまらない。
それに、こうして上に来てからじゃないと長くは話せないし、ソーヤくんに対しても、できることは限られているわ。無条件ではなく、それなりの対価もいるしね。
つまり、わたしにもいろいろと事情があるの。話せることもあれば話せないこともある」
「だったら、ジストは助からないのですか? 僕がここに来たのも無駄なことですか? この瞬間にも、ジストは死に向かっているのに」
黙り込むリリエンデール様を見つめながら、僕にできることを考える。
それでも碌な考えは出てこない。
せめて、最後まで抱きしめてやることくらいしかできない、としか。
「わかりました。それなら、下に戻してください」
諦めて呟く僕の言葉を遮るように、「ソーヤ君!」とリリエンデール様が言った。
「1つだけ方法があるわ。上手くいくかどうかはわからないけれど、諦めるのはまだ早い。
わたしには無理だけど、あなたにはまだできることがあるの」
「僕にできること?」
「そうよ。わたしは才能の女神。わたしにできるのは才能を与えることだけ。
覚えてる? わたしにはあなたに与える約束をしている力のストックがあるわ。
幸い、ここにいる内はほぼ時間が止まっている。悩んで、探して、考えなさい。
わたしの力を受け取ることで、力を発揮できるモノはない? あの子を助けることのできるモノはない? 傷を治し、癒す才能のカケラを持つモノはいない?
もしそれを満たすモノがあるならば、わたしがその才能のカケラを芽吹かせてあげる。その力を十全にふるえるように力を引き出してあげる。だからあとは――」
あなたが選びなさい。




