258.閑話 カルラ~快楽から後悔への道を進む
「駄目。やっぱりやるしかない」
コルラの呟きの意味は、あたしにも理解できた。
『捕獲対象』を諦め、あの男と敵対することなく、普通種の狼を手に入れる計画。
それが無理だということはあたしにも理解できた。
何故なら、あの男と普通種の狼達は友好関係にあったからだ。
人に慣れるはずのない普通種の狼が、あの男には気を許しているように見える。
子狼があの男にじゃれ付くのを、親が警戒することなく許しているのがその証拠だ。
あの男だって、楽しそうに子狼の相手をしているし。
間違いなく、狼達を捕獲しようとするあたし達の邪魔をするはず。
コルラにだってそれはわかっているのだろう。
香炉に麻痺薬を追加して、ちゃくちゃくと準備を進めている。
やるとなれば行動が早いのがコルラだ。
きっとコルラの頭の中では、あたし達が勝利するように計画が練られているはず。
大丈夫、コルラに任せれば上手くいく。
あたしは言われた通りに剣を振ればいい。
これまでもそうして二人でやってきた。
大丈夫、大丈夫……。
ほら、やっぱり大丈夫だ。
コルラに任せれば何も問題はない。
普通種の狼親子は逃がしてしまったけれど、それは小さなことでちゃんと目的は果たせそう。
だって、あの男は計画通りに地面に倒れこんでいる。
なんだ、あんなに怖がっていた自分が馬鹿みたいだ。
怖さを押し殺しながら、コルラに言われた通りに強気な口調で会話をしていたが、安堵と共に素の自分が出てくるのがわかる。
口が悪い、と隣でコルラが顔をしかめているが、今くらいは許してほしい。
あの男はコルラの焚いた麻痺薬を大量に吸い込み、体が思うように動かないようだ。
これなら何も怖くない。
あたしにだって余裕で殺せる。
いや、殺しちゃダメなんだっけ?
あたしはコルラに確認しようと問いかける。
けれど、ずっと心の奥底にあった恐怖から解放された安堵からなのか、あたしは言ってはいけないことばかりを口にしてしまった。
『絶対にバリスタイン様から怒られる。下手したらあなたの命もないかもしれない』
カルラのこの言葉であたしの中に焦りが生じた。
うん、殺そう。
この男は殺すしかない。
あたしの為にも、悪いが死んでもらおう。
散々あたしを怖がらせたこいつが悪い。
そもそも、こいつのせいで昨夜、あたしとコルラはバリスタイン様に叱責を受けたわけだし。
全てこいつに責任がある。
こうなるのも自業自得というものだ。
口うるさく言ってくるコルラに適当なことを言いつつも、『捕獲対象』を渡して先に帰ってもらうことにする。
魔物に殺させる?
それはそれでいい。
けれど、それは最終的にそう見えればいいだけのこと。
あたしが剣で切ったっていいはずだ。
その死体を魔物が食べてくれるのだからバレるはずはない。
自分にいいようにコルラの言葉を曲解し、あたしは男に、ソーヤに鞘に収まったままの剣を向けた。
男は何かを叫ぼうとしているようだが、麻痺薬を口に詰め込まれたせいで声にならないようだ。
命乞いの言葉を聞けないのは残念だと思う。
ずっと一緒にいるせいで、あたしにまでバリスタイン様の嗜虐性が移ったのかもしれない。
この男が、あたしの心に恐怖を植え付けたこの男が泣き叫んで助けを求める声を聴きたい。
少しずつ傷をつけて、時間をかけていたぶってやりたい。
なのに、心行くまでそうすることは難しそうだ。
できれば殺した後、魔物の胃の中に納まるところまで見届けておきたいから。
それを考えると、あたしには時間がないのだ。
「とりあえず手と足の一本でも折っておくか。万が一、放置した後に体が自由になると困るしな」
本当は放置するつもりなどないのだけど、あたしはここにはいない誰かに向けて、言い訳するかのように呟いた。
そして……あたしは後悔することになる。
コルラの忠告を無視してこの男を殺そうとしたこと?
いや、そうではない。
時間をかけていたぶる等と考えたことだ。
鞘付きの剣ではなく、真剣でもって一撃で決めるべきだった。
すばやく息の根を止めるべきだった。
そうしていれば、あの奇妙な乱入者が現れることはなかっただろう。
そうすれば、あたしはこんな目には合わなかったはずだ。
そうすれば、そうしていれば……。
最初は宣言した通りに足を狙った。
膝の辺りを鞘に収まった剣で殴りつけ、骨が砕ける感触を楽しんだ。
声にならない叫びを発した男の歪んだ表情にゾクゾクとした背徳感を覚えながらも、
「お前が悪いんだぞ。バリスタイン様に逆らうからこうなるんだ」
自分の行動をバリスタイン様のせいにして、また言い訳する。
その裏では、次はどこを狙うか考えていた。
楽しかった。
すっきりとした。
快感だった。
嬉しかった。
さっきまであたしに恐怖を感じさせていた男が、手も足も出ず地面に倒れこんでいる。
一方的にあたしに嬲られている。
コルラに見られたら眉をしかめられるような光景だ。
それはわかる。
でも、あたしには止められない。
止めるつもりもない。
だって、あたしは楽しいのだ。
強者をこうして打ち据えるのがたまらない。
バリスタイン様の影響のせいにしているが、元からこうした嗜好はあったのだろう。
認めない。
認めたくはないが、今はどうでもいい。
だって、あたしは楽しいのだから。
逆の足首を砕き、右腕の関節も壊した。
あとは左腕……そう思いつつ唇を舌で舐めると、
「……ジ、ト……か……せっ」
男の口からくぐもった呻きに混じって、途切れ途切れに声が漏れた。
コルラが口に麻痺薬を詰めていたから、舌が痺れて言葉は発せないはずなのに。
まさかもう回復してきているのか!?
そういえば、コルラが言っていた。
耐性持ちかもしれない、って。
麻痺薬!?
麻痺薬はどこ!?
あれはコルラが回収して持って行ってしまった。
あれからどのくらい時間が経った!?
間違いなくこの男は回復している!
今この瞬間にも回復しつつある!!
ならば、魔言を紡ぎ魔法を放つかもしれない。
それどころか、あたしに向かって飛びかかってくるかも!?
マッドウルフを蹂躙したように、あたしに剣を向けるかも!?
一瞬にして恐怖に取り憑かれたあたしは、持っていた剣を男の頭に向かって振り下ろした。
確かな手ごたえを感じさせた一撃は、男の意識を奪ったようだ。
男の口から声が漏れることはない。
胸が上下しているので生きてはいるだろうが、これでもう安心だ。
「ちっ、忌々しい」
舌打ち交じりに呟いたあたしは、男の頭を蹴り飛ばした。
なんだか興醒めだ。
もういいか。
時間もないし殺してしまおう。
あたしは鞘から剣を抜いて、心臓を一突きに狙った。
それなのに……あたしの手は宙で張りつけられたかのように、途中でピクリとも動かなくなった。
剣に巻き付くようにして黒い何かが妨害している。
それは……男の腰の辺りから伸びていた。
そして……あたしの視界を青い光が埋め尽くした。




