251.美容師~戦闘を終了する
「よし、このまま逃げよう!」
踵を返し狼親子と合流しようとしたが、1匹のマッドウルフが水の壁を無理やり通り抜けてこちら側に飛び込んできた。
さすがに態勢を崩してたたらを踏んでいるので、駆け寄って首元に一撃。
けれど通り抜けられることに気がついたのか、他のマッドウルフ達も次々と追従してくる。
「あー……やるしかないのか」
ため息まじりに呟き、すでに地面に降り立ったマッドウルフの相手をしながら、水の壁から飛び出てきたマッドウルフ達の頭をモグラ叩きの要領で切り裂いていく。
水の刃は振るうごとにその水量を減らし、小さくなりすぎたところで投擲してもう一本の孤影を抜いた。
フィクスさんに2刀流の訓練でもしてもらえばよかった。
付け焼刃の2刀流では、いくら両方利き手のように扱えるとは言っても、右手と左手でうまく連携が取れない。
魔法で作った水の刃は軽くて良かった。
両手で孤影を振る度にその重さで体力を少しずつ削られていく。
そのうち水の壁が消え去り、待ち構えていたマッドウルフ達が一斉に押し寄せてきた。
腕や脚、胴体に爪や牙がかするようになるが、グラリスさんから譲り受けたミスリル製の防具が大きな傷を負うのを守ってくれた。
顔と首元だけは防具がないので、一撃貰うだけで致命傷になりかねない。
時には孤影を持ったまま黒曜の籠手で殴り飛ばし、弧影を地面に突き刺して黒錐丸を投擲し、なんとか戦闘を継続する。
少しずつでも魔言を紡ごうとは努力しているが、息が切れてきてうまく言葉にならず失敗の連続だったりしている。
これは……ヤバいな。
僕、死ぬかも。
頭の中を不穏なワードが過り諦めかけた時、「ガウゥ!」という鳴き声が背後から聴こえた。
この声は子狼かな?
何かあったのか?
四方から飛びかかってくるマッドウルフの爪と牙を捌きながら鳴き声の主を探すと、目当ての子狼ではなく、大きな木の陰に隠れた父狼に咥えられたまま、真っ直ぐに僕を見る紫の瞳と目が合った。
その2つの視線から活力を貰い、孤影の柄を握り直す。
「お父さん、まだもう少し頑張らないとなー」
唇をペロリと舐めると、したたり落ちてきた汗が塩気を感じさせる。
僕の雰囲気が変わったのがわかったのか、囲んでいたマッドウルフが距離を取り離れた。
何か、現状を打破する方法はないものか。
考えながらも、すばやく体力回復薬を口に咥え飲み干した。
現状、囲まれているのが一番辛い。
正面のマッドウルフを相手取っていると、どうしても背後から攻撃を食らうんだ。
それなら……僕のスキルで一番と言えば、やっぱりこれか。
示し合わせたかのように一斉に飛びかかってきたマッドウルフのタイミングを計り、スキルを発動!
≪脚力強化≫と≪回転≫スキルを使い、両手に持った剣を振り抜く。
≪回転≫スキルは剣ではなく、僕自身にかかるように意識した。
左足を軸にしてその場で1回転し、狙いはつけずに左右の弧影を振りまわす。
回転が終わると同時に、今度は右足を踏み出し、それを軸にして1回転。
そのまま動きを止めずに、回転しながら回りを取り囲むマッドウルフを斬り続けた。
《回転》スキルの効果が出ているのかなんとか動きを止めずにはいられる。
けれど、一度に数匹のマッドウルフを斬りつけた時は抵抗があるので、どうしても回転のスピードが落ちる。
これを解決するには……自分の体をロールブラシの持ち手に見立てて、見えない指でクルリと回すように意識するとよりスムーズに回れるようになった。
ポーン、
【スキル 回転のレベルが上がりました】
よし、これでいい。
時折、剣部分ではなく腕や肩に当る感触があるが、そんなものはこの際無視しだ。
弧影を握り締める手が汗で滑るのが心配だったが、少し湿り気を帯びた手の平は馴染むようにフィットしている。
休むことなく回転を繰り返し、弧影を縦に横にと振り続けていると、飛びかかってくるマッドウルフが段々減ってきた。
誰もがお腹や顔、足にと傷を負ったせいで、闘争心に陰りが見えているのか、譲り合うように視線を交わしている。
僕自身も息は切れ切れだし、本心は座り込んで休みたい。
けれど、今をチャンスだと割り切り、大きく息を吸うと怯む敵を討つ為に気合いを入れ直した。
ドクドクドク、と頭に鳴り響く音が自分の鼓動だと気がつく。
辺りを見回せば、まさに血の海と呼べるほどの赤色でそこかしこにマッドウルフの死体や千切れ飛んだ足先が無数に落ちていた。
体力回復薬や魔力回復薬の空き瓶が地面に転がっている。
中には気がつかないうちに踏んでしまったのか、割れているものもあるが、バランスを崩して倒れ込まなくて良かったとしか思えない。
よくよく思い返せば記憶の片隅に、マッドウルフに向けて≪投擲≫で投げつけたような気も。
震える手から弧影を放し、流れ落ちる汗を手の平で拭うとべったりと真っ赤に染まった。
前髪から滴り落ちる汗から想像するに、鏡で見なくても全身血みどろなのだろう。
そういえば、何度かマッドウルフに頭突きをかました記憶もあったりする。
やっぱり人間、最後は精神力がものを言うのかもな。
途中途中記憶が曖昧で所々抜け落ちてたりするのは、頭突きの後遺症とかじゃなければいいけど。
一人苦笑いしてその場に腰をおろし、シザーケースからシガーを一本取り出しジッポで火を付けた。
「あー、煙草が美味しい」
喉を鳴らして水を飲み、水袋を頭上で逆さまにして残った水は頭から被る。
視界を閉ざした髪の毛を片手で掻きあげて、両手で顔を擦るとだいぶすっきりした。
改めて思う。
よく生きているな、と。
それだけ辺りの景色は壮絶だった。
正確には数えられないが、たぶん3~40匹はいただろう。
それだけのマッドウルフの群れを相手にしたなんて……またマリーに怒られそうで今から気が滅入る。
いっそ、内緒にしておいたほうがいいのかな。
言わなきゃわからないし、怒られない。
けれど、今回のマッドウルフの数は異常なことだと思える。
これは冒険者ギルドに報告した方がいいだろう。
いや、むしろしないとばれた時が怖い。
冒険者として、報告の義務だってあるだろうし。
ため息交じりにぼんやりと考える。
立ちあがり、帰る元気はまだわいてこない。
というか、これだけの数の死体から剥ぎ取るのが面倒だ。
かといって、無視してこのままにしておくことはできないし、きっちりと燃やさないといけないんだろうなぁ。
剥ぎ取りもしないで燃やしたら、マリーが鬼のように怒るんだろうなぁ。
やだなぁ。
白い煙を吐きながら、そういえばジスト達は大丈夫だったかな、と視線を向ける。
戦闘が終わったことを察したのか、狼親子とジストは僕のすぐ近くで待機してこちらを見つめていた。
「お前達も大丈夫だったかい?」
「ガウゥ」
子狼が返事をして駆け寄ってきたが、途中で嫌そうに顔をしかめ飛びついてはこなかった。
【汚い? 汚れる?】
そんなイメージの言葉が頭の中に浮かんだ。
僕ってば、子狼の気持ちがわかるようになったのかな?
どうやら血で汚れるのが嫌なようだ。
たぶん、間違ってはいないと思う。
だって、触ろうと思って手を伸ばすと、さっと後ろに離れられてしまったし。
ジストは父狼から地面に下ろされたが、僕に近づくことなく一定の距離を保っている。
「ジスト、おいで」
声をかけてじっと見つめていると、ふいっと顔を逸らされてしまった。
相変わらず冷たいなぁ、ジストは。
お父さん、これでも頑張ったんだけどなぁ。
お前くらいは血で汚れるのも気にしないで、僕の胸に飛び込んできてくれてもいいと思うんだけど。
吸い終わったシガーをシザーケースにしまい、空を仰ぎ見た。
どのくらい戦っていたのかな。
まだ辛うじて陽は沈んでいない。
もうすぐ夕方くらいだろうか。
4時か5時前ってとこかな。
震える足を手の平でマッサージして、よいしょっと立ちあがると一瞬立ちくらみがした。
あー、たぶんMP不足かな。
あとはもう帰るだけだけど、魔力回復薬でも飲んでおくとしよう。
いや、思い出した。
まだ今から楽しい剥ぎ取りの時間だ。
誰か、報酬を半分あげるから手伝ってくれないものか。




