231.美容師~女神様に愚痴を言う
「えっと……ごめんなさい、聞き間違いかしら……よく聞こえなかったみたいだわ。もう一度言ってくれる?」
目を丸くしたリリエンデール様は一度目を閉じて数秒黙り込み、目を開けると再度僕に話せと言う。
確かに僕の声は大きいわけではなく、小さかったかもしれないが、聞き間違えてはいないし、きちんと聴こえていたと思う。
けれど鏡に映る目が、早く! と訴えかけてくるので、僕は重い口を開いて同じ言葉を告げた。
今度は心持ち声を大きくすることは忘れずに。
「ジストが僕に懐かないんです」
「……」
「ジストが! 僕に! 懐かないんです!!」
「大丈夫、聴こえているわ!」
返事がないので二度言うと、リリエンデール様も張り合うように大きな声を出した。
「何故でしょうか?」
「何故って……わたしが聞きたいのだけど。ソーヤ君、ちゃんとお世話していたわよね?」
「してましたよ。毎日ミルクをあげて、下の世話もしてましたし、汚れたら体を拭いてあげたりとか」
「そうよね。本当のお母さんよりも大事にお世話していたわよね。もしかして、隠れていじめたりとかしてないわよね?」
「してないです。眠っているジストの経験値稼ぎで魔物を攻撃させたりしていたのを|いじめた≪・・・・≫と取るのなら別ですが」
「いえ、それはあの子の為にしたことであって、本人というかあの子もわかっているはずよ」
「だといいんですが。でもそうすると、どうして僕に懐かないんでしょうか?」
「うーん、どうしてかしら。そもそもソーヤ君が言う『懐かない』って具体的に言うとどんな感じなのかしら?」
「具体的に言うと、ですか?」
僕はリリエンデール様に説明する為に、ミルクを飲んで瞼を開けたあの日からここ何日かまでのジストの態度を思い浮かべる。
メェちゃんと一緒にミルクをあげたあの日から、ジストはミルクを飲んだ後に目を開けることが多くなった。
短い時で数秒、長い時では1分から2分程度。
ただじっと黙って僕のことを見つめるんだ。
嬉しくなった僕は、もちろんジストに話しかけたりするんだけど。
『ジストー、元気になってきたねー』
『ジストー、ミルクは美味しいかい?』
『ジストー、そろそろ歩く練習でも始めてみる?』
『ジストー、お父さんですよー』
なんて、いろいろと。
ただ、いくら話しかけてみても、ジストはただただ見つめてくるだけ。
昔飼っていた飼い猫のように差し出した僕の手を舐めてくれることはないし、顔を擦りつけてくれたりもしない。
それどころか返事もなしだ。
もしかして僕って嫌われているの?
何度か頭によぎったが、その度にまだまだ元気が足りないんだ。
よし、明日はもっと頑張って経験値を稼がなくては!
なんて自分を励ましたりして、日に日に討伐する魔物の数が増える毎日だった。
そのおかげでジストは一日の内で眠る時間も減り、目を覚ましたままでいることが増えてきたのだが、一向に態度が変わらない。
僕と部屋にいる時は、目を閉じて寝たふりをしているか、じっと僕のことを見つめてくるだけ。
食事の時にも変化はあった。
いつもは僕があげていたミルクも顔を背けて飲まなくなり、固形物はスプーンやフォークで口元に持っていっても口を開かず、どちらもお皿に入れて床に置かないと口をつけなくなった。
ジストと遊ぶのを楽しみにして自作しておいた毛玉のような玩具や猫じゃらしのような玩具は一度も使われることなく、今では部屋の隅に転がっている。
そんなコミュニケーションがゼロの暮らしの中でも、魔物の討伐は続けていた。
ジストとしても経験値を稼ぐのが重要なことは理解しているようで、僕が魔物と戦っている間はフードの中でおとなしくしていて、魔物が弱って名前を呼ばれ自分の出番が来ると、フードからピョンッと飛び降り、爪で一撃を入れて少し離れる。
一度だけ、自分でとどめを刺そうと頑張っていたことがあった。
2撃、3撃と爪で攻撃をくり返すのだが、さすがにまだジストの攻撃力では難しいようで、瀕死の状態でも動けるようになったキラービーに反撃を食らいそうになり、慌てて駆け寄った僕がとどめを刺したんだ。
ジストは余程びっくりして怖かったのか、ただでさえ毛むくじゃらの毛が逆立ち、ますます毛の塊とかしていた。
抱き上げた時に僕の手には冷たい液体が触れたので、恐怖のあまり失禁していたのかもしれない。
まだ赤ちゃんを卒業したばかりの子供なのだから無理はないのだけど。
ああ、その時に初めてジストの声を聴いた。
『にぃ』と小さく鳴いたので、こんな時だけど僕はちょっと安心したんだ。
なんせ、一度も鳴き声を聞いたことがなかったので、喉や声帯に病気があるんじゃないかと心配していたから。
だけど、そのせいで僕にはわかってしまった。
僕に対してジストが一度も話しかけてくれていないということに……。
そんなこんなで、なんとか二人で暮らしているが、以上の点からわかる通り、ジストはまったく僕に懐いていない状態なのだ。
まだ結婚もしていないのに、我が子に嫌われる父親の気持ちが十分に理解できてしまう今日この頃なわけ。
まったく、涙が出そうだよ、ほんと。




