230.美容師~女神様にジストについて話す
「それで、あのおチビちゃんは元気になったのね?」
「はい、だいぶ時間はかかりましたがなんとか。今ではあんなに小さかったのが嘘だったみたいに大きくなって走り回っていますよ」
リリエンデール様に聞かれて、僕は苦笑交じりに答えた。
ただその際も手や指だけは止めることなく、流れるように動かし続ける。
左手は親指と残りの4本の指を軽く曲げて先端同士くっつけ、筒を持っているような形状。
右手には使い込まれたロールブラシを持ち、スキルは使わずに手のひらの中で回転させる。
そう、今日は久々にリリエンデール様に呼ばれて髪の毛のセットをお願いされたのだ。
近況報告というか、他愛ない雑談をしながら、僕のオリジナル魔法ともいえる風属性と火属性の混合魔法『ドライヤー』を用いて、リリエンデール様の髪の毛をブローしている。
最近の冒険者活動について話終え、次の話題はジストのことに移っていた。
寝ているジストとの経験値稼ぎは1週間を超えた辺りで目に見えて効果を発揮し、日に5~6度のミルクを飲み終えた後には目を覚ましている時間が増えてきた。
初めのうちは数分、次第に数十分~1時間となり、3週間たった今では、夜から朝にかけて以外は時折昼寝をするくらいでほとんどの時間を起きて過ごしている。
手や足にも肉が付き、体も二回り、いやそれ以上に大きくなったので、おとなしくしている時はまだいいが、フードの中で暴れられると重さで首がしまって苦しかったりする。
食事もミルクを卒業し、ほぼ僕と同じ物を食べているので、動物? 魔物? どちらかはわからないが成長の早さに驚かされる毎日だ。
「それでそれで? やっぱりソーヤ君としてはどうなのかしら? かわいい? 自分の子供みたいな感じ? 普段は一緒にいてどんなことをしているの?
ああ、もちろん魔物の討伐以外の時よ? 遊んだりするの?」
「うーん、そうですね。かわいいかかわいくないかで聞かれれば、もちろんかわいいですよ。赤ちゃんの時から育てていますし、一度は弱りすぎて死にかけたくらいですしね。
それが少しずつ元気になってくれて、体も大きくなって、本当ならたくさん遊んでやりたいんですが――」
「ですが、何? 遊んであげてないの? ダメよ? 経験値稼ぎも大事だけど、たまにはお休みしてのんびりするのも大切よ。
おチビちゃんはまだまだ子供なんだから、今のうちくらいはたくさん遊んであげないと。ソーヤ君は父親、ううん、母親代わりみたいなものなんだから」
僕がなかなか名前を決めないでいたからなのか、リリエンデール様の中では『チビ』という名前が定着してしまったらしく、『ジスト』に決めましたと伝えた後も、『おチビちゃん』と呼ぶことを続けていた。
まぁ、それに関してはどうでもいいことだ。
リリエンデール様が面と向かってジストに『チビ』と呼びかけることはないだろうし、女神様であるリリエンデール様からしてみれば、この世界で暮らす数万、いや数百万を超える生命につけられた個体の名前なんて覚える必要がないのかもしれないし。
それよりも僕は、父親ではなく母親代わりと言い直した方が気にかかる。
僕としては、お父さんの気分なのだが。
「ねぇ、どうなの? 聞いているの! ソーヤ君!」
余計なことを考えていて返事をしない僕に焦れたのか、リリエンデール様が勢いよく振り向いた。
おかげで、ロールブラシに巻き取っていた髪の毛が外れて、スルリンと毛先まで逃げて行ってしまう。
「ちゃんと聞いてますよ。だから急に動かないでください。ちょっとくらいなら動いてもいいですけど、あまり激しく動かれるとやりづらいですから。とりあえず前は向いてくださいね」
髪の毛を切っている最中、ブローしている最中。
会話に夢中になって激しく身振り手振りを入れてくるお客さんは結構多かったりするので、本当は慣れっこだったりする。
けれどそれを許してしまうと、この女神様は僕の手の動きが物珍しいのかずっと目で追いかけてくるので、最初の内はなかなかセットが進まずにいたのだ。
だからとりあえず、前を向き続けていてくれるようにお願いした次第。
「はーい」
間延びした返事をして、リリエンデール様が椅子に座り直した。
姿見に映った頬は不満げに膨らんでいたが、両サイドのセットし終えた髪の毛を指で弄んでいるうちに機嫌は直ったようだ。
「凄いわね。ほんとうにクルクルしたままで固まっているわ」
嬉しそうに呟いて微笑んでいる。
今日は今までとは違う感じにしたかったので、結い上げたり編むのではなく『ドライヤー』とロールブラシを使って所謂『縦ロール』にしている最中だ。
髪の毛が長いのでいっぺんに巻くことができず、根元から中間手前まではストレートに伸ばして艶を出し、中間から毛先にかけてはあまりきつくなりすぎない程度に縦に巻いている。
現在は両サイドを巻き終えて、バック側を仕上げにかかっていた。
センターラインからフェイス側に向けて内巻き方向に巻いているので、時間が経って崩れてきたら自然と顔に添って流れ落ちるようになれば最高だ。
主神様、今日も喜んでくれるかな?
一人、ひっそりと期待して手を動かしていく。
「それで? どうなの? わかったの? ちゃんとおチビちゃんと遊んであげるのよ!」
リリエンデール様が思い出したかのように髪の毛を弄る手を休めて、鏡越しに僕を見つめてくるので、僕は小さく息をついて言葉を返した。
「それなんですけどね」と。
実は僕にも悩みがあるのだ。
それを相談する相手としては、リリエンデール様がふさわしいとは思えないのだけど。




