219.美容師~暗殺者になる?
僕が天井のシミを30まで数えて、終わってしまったので今度は目に見える範囲で床の汚れを数えて、それでも時間が余ったのでチビの名前を考えて現実逃避をしていると、マリーとギルマスの話し合いは一度、休憩に入った。
2人とも表情が暗い。
見るからに疲れきっている。
時折聴こえてきた内容はこんなだった。
「マリー、お前がみんなに説明しろ。これはギルドマスターからの命令だ」
「嫌ですよ!
シェミファさんなんて、臨時ボーナス全部使い切ってるんですからね。しかも、それだけじゃ足りなくて、毎月のお給料で返済までしているんですよ。
わたし、この若さで殺されるのは嫌です!!」
「それを言うなら、キンバリーの奴だって、アホみたいに生まれてくる子供の服やら何やら買い込みやがって。
まだ男か女かもわからないから、どっちでもいいようにって、あいつ両方買ってるんだぞ!
売って金に換えてこいなんて言ったら、俺だって剣の錆にされかねないじゃねーか!」
「他のみんなだって、似たようなものですよ。絶対、確実に使いきってますって!
今更、臨時ボーナスのお金を返せなんて無理ですよ!」
「……なら、どうするよ、おい」
「……どうすればいいんですかね」
こんな感じの会話が繰り返されていた。
何度も何度も、だ。
以前、この冒険者ギルドで発見された『無職だとレベルが上がらない』という発見。
そのおかげで職員は臨時ボーナスをもらっていた。
発見した事実が間違いであれば、貰った臨時ボーナスを返さなくてはいけないようだ。
それを職員に告げるのが嫌だといい、互いにその役を押しつけ合っている。
一度、ばれないようにこっそりと立ち上がり部屋を出ていこうと試みたのだが、同時に伸びてきた指が僕の腕を握りしめ、
「どこに行くんだ?」
「どこに行くんですか?」
「……」
僕はゆっくりと腰を下ろした。
そんなわけで、チビの名前の候補を50個まで考えたところで、どうやら二人の方針は固まったようだ。
時代劇に登場する越後屋みたいな悪い笑顔を浮かべながら、二人で満足げに頷き合っている。
「ソーヤ、どうやらお前のギルドカードは壊れているようだ。新しく作り直そう。それでついでにランクをDに上げておくからな。マリー、すぐに準備を」
「はい、ギルマス。ただちに取り掛かります」
こんな時ばかり、従順な部下を演じるマリー。
手早く紫色のカードを取り出して、機械にセットする。
「あの、レベルの壁はどうなったんですか? 僕のレベルはEにすら足りていないのですが」
「あっ? なんだって、よく聞こえなかったが?
大丈夫だ。お前のカードは壊れているだけだから。だからお前は気にしなくていい。そうだ。余計なことは気にするな。そうそう、それがいい。なぁ、マリー?」
「そうですよ。ソーヤさん、きっと疲れているんですね。おかわいそうに。
大丈夫ですよ。ソーヤさんの守護天使たるこのマリーが、全部ソーヤさんのいいようにしてあげますからね」
必死の形相で指を動かして操作を続けるマリー。
そのスピードは、これまでに見たことがないくらいに早い。
この世界に、タイピング選手権のようなものがあれば、きっと上位に食い込むはずだ。
それにしても、ついさっきまであんなに簡単に僕を裏切ろうとしていた癖に、まだ僕の守護天使の役目を継続するつもりのようだ。
あんなにあっさりと見捨てる守護天使なんて、ちょっとどうなのだろう。
返品して取り替えてもらいたい。
「ああ、そうだ。ソーヤ、お前の職業、ちょっとの間だけ変えておくからな」
なんでもないようなついでを装って、ギルマスが視線を合わせないまま、ぼそりと呟いた。
思わず聞き逃してしまいそうなくらい小さな声でだ。
ちょっと待て。
どうして僕の職業を勝手にギルマスが変えるんだ?
マリーに視線を向けると、慌てて顔ごと横に向けた。
それでも指だけは休まず動いていて、このままではマズイと≪危険察知≫が頭の中で警報を鳴らす。
僕は機械に刺さっている紫色のカードを抜き取り、無理やりに操作を中断させた。
「あっ、もう少しだったのに」
悔しそうにマリーが呟く。
危なかった。
とっさにとった自分の判断を褒めてやりたい。
「二人とも、何か僕に隠していませんか?」
「いや、別に何も隠していねーぞ。なぁ、マリー?」
「えっ、ええ、そうですよ。何も隠してなんていませんよ。いやですねぇ、ソーヤさんてば。ねぇ、ギルマス?」
怪しい。
怪しすぎて、逆に清々しいくらいだ。
「二人とも、正直に話してくれれば、僕だって協力しないこともないですよ?」
「……ほんとうか?」
「ええ、元はといえば僕のせいでもあるようですし、穏便に解決する方法があるのなら、まずはその方法を教えてください」
僕が協力する姿勢を見せたことで、ギルマスとマリーが小声で相談を始める。
今度は、僕に説明をするのがどっちかで言い争っているらしい。
肘でお互いの脇腹を突き合って譲り合っているようだ。
そのうち、諦めたようにギルマスが一度深呼吸し、僕にそれを告げた。
「ソーヤ、お前の職業、暗殺者にしてもいいか?」
……と。




