210.美容師~女神様の報告を聞く
目が覚めた、というよりはどうやら椅子に座っているようだ。
ゆっくりと目を開ける。
視界は明るい?
陽の光?
まるで外にいるような環境。
ああ、やっぱり。
ここは女神様のところか。
目の前で椅子に掛けたリリエンデール様が、ニコニコとテーブルに頬杖をついてこちらを見つめていた。
「目が覚めた? おはよう」
「おはようございます? 今は……朝ですか?」
「そうね。下の世界の時間で言うと、陽が昇って少し経った頃かしら? 今日はちょっとソーヤ君に報告したいことがあって呼ばせてもらったの」
報告?
なんだろう。
嬉しそうに微笑んでいるリリエンデール様を見る限り、悪い話ではなさそうだが。
もしかして、髪の毛を触るの解禁、という話だろうか?
それならそれは、とても喜ばしいことではあるのだが。
「聞いて聞いて! なんと、なんとね、わたしの序列が上がりました!」
……違った。
いや、うん、そんなに簡単にいくとは思っていなかったから大丈夫。
がっかりなんてしていない、ほんとに。
それで、リリエンデール様の序列?
確か七人の女神様の中で、リリエンデール様はビリ、もとい七位だったはずだけど。
「それは、えーと……つまりリリエンデール様の今の序列は?」
「六位よ! 七位じゃないの! 六位よ!! すごいでしょ?」
六位、六位ね……確かに七位よりは上だ。
何より最下位じゃないのが嬉しいのだろう。
確かにビリは嫌だ。
でも、七人中の六番目か。
ビリよりはマシだ、くらいではないのか?
「さっきね、連絡があったの。だから早くソーヤ君にも伝えたくて。寝ているところを悪いとは思ったんだけど、呼ばせてもらったわ。
これもソーヤ君のおかげよ。どれくらいぶりかしら、最下位、ケフンッ、序列が六位になったのは」
リリエンデール様としても、最下位の座に甘んじているのはそれなりに不本意だったらしい。
というよりも、リリエンデール様はずっと七位だと思っていたのだが、『どれくらいぶり』ということは、過去に六位だった期間があったということか。
僕にしてみれば、そちらの方が気になったりする。
それを聞いてみたい気もするのだが、とりあえずはこの言葉を贈ろう。
「リリエンデール様、序列の昇格、おめでとうございます」
「ありがとう。これもソーヤ君のおかげよ。感謝しているわ」
両手を頬に当て、目を細めて花が綻ぶように笑う。
見ている僕まで幸せな気分になってくる。
「よかったですね」
思わず手を伸ばして、緑色の頭を撫でてしまうくらいに。
「ええ、よかったわ。幸せよ、わたし」
目を閉じて、くすぐったそうに微笑むリリエンデール様。
撫で続ける僕。
「あの……ソーヤ君? そろそろいいかしら?」
「え? 何がですか?」
「なんだか恥ずかしいのだけど」
「何が恥ずかしいのですか?」
「えっと……手を、手をね。どけてくれないかしら?」
言いながら、上目遣いでリリエンデール様が懇願してくる。
そこでやっと僕は気がついた。
さっきからずっとリリエンデール様の頭を撫で続けていたことに。
あまりの手触りの良さに、無意識に触り続けていたようだ。
それもこれも、僕の中の『髪の毛に触れる成分』が足りていないことが原因だろう。
「おっと、これは失礼しました」
「う、うん。いいのよ、いいのだけどね。
ソーヤ君はわたしの専属美容師さんなわけだし、髪の毛に触れるのはいいの。いいのだけど、そんなに優しそうな目で頭を撫でられ続けていると、なんだか恥ずかしくて」
頬を赤く染めて、そっと僕の手から離れていく。
照れ隠しなのか、リリエンデール様がパタパタと手のひらで自分の顔を扇いでいる。
魔法のようなもので風を起こしているのか、その動作に比べるとずいぶん強い風が吹いているようだ。
髪の毛が後ろに流されて小さな耳が見えた。
それは、普段よりも微かに赤みをおびているような。
そんなに恥ずかしかったのかな?
聞いてみようかと思ったが、薮蛇になりそうなのでやめておく。
それにしても、リリエンデール様の専属美容師か。
確かに今の僕が触れられる髪の毛は、リリエンデール様のものしかない。
こちらの世界に来てからは、リリエンデール様にしか美容師らしいことはしていないわけだし、『リリエンデール様の専属美容師』というのも間違ってはいない。
いや、むしろ正しいのだろう。
「女神様の専属美容師ですか。かなりすごい役職ですね。光栄ですよ」
「そうね。耳に聞こえる限りではそうかもしれないわね。ただ、ソーヤ君にとってはそうではないかもしれないけれど」
そうでしょう? と小さな声で尋ねられて曖昧な微笑みで返した。
何度となく僕の要望は伝えていたから。
たくさんの人の髪の毛に触れて、たくさんの人を笑顔にしてあげたい。
この世界で美容師として生きていきたい。
それが僕の夢だと、生きがいだと、涙さえ零して懇願してきたから。
リリエンデール様には言わなくてもわかるはずだ。
だからあえて言葉にする必要はない。
僕の望みは伝わっているはずだから。




