207.美容師~模擬戦に負ける?
僕の撃った『エアカッター』はケネスさんに命中したらしい。
けれど直撃とはいかなかったようだ。
まさか、自分で出した炎の壁に飛び込んでまで逃げるとは。
正直、避けられるとは思っていなかったんだけどな。
さすがはCランクの冒険者であり、魔導師と呼ばれるだけのことはある。
でも、少なくともダメージを受けているみたいだし、模擬戦はこれで終わりかな。
なんて考えていると、 地面に蹲っていたケネスさんがポーチから出した回復薬を飲んで立ち上がり、僕に向けて叫んできた。
「さぁ、ソーヤ君、続けましょう!」
いや、無理ですって。
ケネスさん、模擬戦好きすぎるんじゃないですか?
僕は地面にゴロンと仰向けに寝転び、必要になるかと用意しておいた白い布を宙に掲げて力なく振った。
あー、頭がクラクラする。
見上げた空がグルグルと回っているような感じだ。
ダダダダッと、足音が聞こえ、一面の青だった視界に、ケネスさんの顔が飛び込んでくる。
「ソーヤ君! その白い布はなんのつもりですか!? まさかこれで終わりなんて言うつもりはないですよね? だって、わたしはいっさい攻撃してませんし、あなたはなんのダメージも負っていないはずですよ!」
余程興奮しているのか、上からケネスさんの唾が顔に飛んでくる。
汚いなぁ。
手でガードしようとしたが、その手を持ち上げる気力もないみたいだ。
思わず苦笑いが浮かんでしまう。
それを見て、ケネスさんが不安げな顔をするので、正直に話すことにした。
「だって僕、魔力切れですもの。模擬戦は僕の負けですね。でも、楽しかったです」
「魔力切れ? えっ? たったあれだけで?」
ぽかんとした表情でケネスさんが言うので、
「はい、もうほとんどすっからかんです。今にも気を抜いたら寝ちゃいそうなくらいに」
「そんな、まさか。でも、確かにソーヤ君の状態は魔力切れのようにも見えますし。えっ、もしかして――」
「そう、そのもしかしてというか、ケネスさんだから話しますが、僕ってまだレベル2のままなんですよね。
だから魔力量が少なくて、最後の魔法でもう限界です。だから、今回の模擬戦は僕の負けということで――」
「いえ、それは違いますよ、ソーヤさん」
自ら敗北を認めようとした僕の言葉に被せるようにして、マリーが言った。
いつのまに近くに来ていたのか、そっと頭を持ち上げられて柔らかなものが差し入れられる。
この感触は?
目の前にあるマリーの顔が近い。
えーと、もしかして膝枕してくれているのかな?
恥ずかしがる僕のことなど気にする様子もなく、マリーがケネスさんに言い放つ。
「ケネスさん、ソーヤさんの魔法を受けて中級回復薬を使いましたよね? なにしれっと回復しているんですか? 反則ですからね? わかってます?」
「……えーと、痛かったので、つい。
というか、あのままだと模擬戦を続けられそうになかったですからね。それは飲まないとじゃないですか、ねぇ、ソーヤ君?」
ねぇ、と言われても困るのですが、ケネスさん。
そうか、模擬戦の最中の回復は反則行為にあたるのか。
マリーが言わなければわからなかったし。
「とにかく! 今回の模擬戦は、ケネスさんの負けです。それが嫌なら、反則負けですね。つまり、どちらにしてもソーヤさんの勝ちということで」
「ということは、もしかして……終わり、ですか?」
「終わりですね」
「いや、それは……わかりました。今のは準備運動ってことで、これからが本番ということにしましょうか」
「いえ、本番も終わりました」
「……そこをなんとかしてもらうことには」
「なりませんね」
余程諦めきれないのだろうか。
ケネスさんが必死にマリーに食い下がっているのだが、
「なんと言っても、終了は終了です!」
マリーはまったく聞く耳を持たずケネスさんに言い切り、宴会組に向けて撤収を命じる。
「これで模擬戦は終了です。はい、みなさん解散しましょう。お疲れ様でした!」
「えー、もう終わりなのー? まだ飲み足りないんだけどー」
誰かが不満げにぶーぶーと文句を言う。
見えないけれど、たぶんこの声はランカだろう。
人の模擬戦を酒のツマミにしないでほしい。
そんなに飲みたいのなら、街に戻って酒場に行けばいいのだ。
「ですよね! そうですよね!!
ランカさんもああ言っていることですし、やはりもう一戦くらいした方がいいとわたしも思います。
そうだ! なんだったらあそこで少し休んで、元気になったら2戦目といきましょうか!
そうだ! こんなこともあろうかと、とっておきの中級魔力回復薬だって持ってきているんですよ。特別にタダでソーヤ君に進呈します。ええ、我ながらいい考えですね。是非そうしましょう!
ほら、ランドールにカシム! 早くこっちに来て、ソーヤ君を運んでください。わたしの荷物の中に大きめの布がありますから、そこに広げて横になるといいですよ!」
ランカという援護射撃を受けて満面の笑みで話すケネスさんを横目で見ていたマリーが、近づいてきたランドールさんとカシムさんに目で合図を送る。
それに対してそれぞれが無言で頷きを返し、ランドールさんが僕の体を横抱きに抱えてくれた。
「そっと、そっとですよ。待っていてくださいね。今すぐ、横になれる場所を確保しますから」
小走りに荷物を取りに行くケネスさんを、カシムさんがぐいっと引き寄せた。
そしてそのまま背後に周り、手早くロープで手と足を拘束する。
「ちょっとカシム、何をするんですか!? わたしは忙しいんですから、あなたと遊んでいる暇なんてないんですよ! 早くロープを解いてください!」
カシムさんはジタバタと暴れるケネスさんの足を払って地面に転ばせ、申し訳なさそうな顔で謝罪してきた。
「ソーヤっち、今日は悪かったっすね。ケネスは責任をもって俺っちが言い聞かしておくので、宿に帰ってゆっくり休んでほしいっすよ。ランドール、こっちは任せて、ソーヤっちのことは頼むっす」
ランドールさんが軽々と僕を背中に背負い直して、ゆっくりと歩き出す。
その横を並んでマリーが歩き、
「やっぱりこうなりましたか。事前に打ち合わせをしておいてよかったですね」
ランドールさんに話しかけている。
どうやら、この状況はマリーの作戦だったらしい。
一度という約束を守らないであろうケネスさんに対する準備をしていたようだ。
ナイス、マリー。
さすが僕の守護天使なだけはある。
「そんな! 待って下さい、ソーヤ君。
ならせめて、先程の魔法がなんだったのかだけでも説明してから帰ってください! じゃないと、わたしは今夜眠れないじゃないですか! ちょっと! カシム! 放しなさい!
わかりました。放さなくてもいいので、わたしを背負って運んでください! ソーヤ君の横で移動しながら話を聞きますから!」
僕はケネスさんの叫び声を聞きながら、眠気に勝てずに目を閉じた。
徐々に小さくなるケネスさんの声に交じって、ランドールさんのため息が聴こえたような気がした。




