2話.美容師~異世界に行く
数時間後、
「ただいまぁ~」
何もない空間にあらわれたばかりの女神様が、興奮を抑えきれない様子で駆け寄ってきた。
「聞いて聞いて、この髪型、あのお方に物凄く褒められたわ。
わたしの元に歩み寄ってきてくれて、束ねられた髪を持って、『今日は変わった形の髪をしているね』って。『いつもは目に入らないうなじが出ていて、とても艶めかしく見えるよ』って」
頬をほんのりと赤く上気させてまくしたてる。
「あなたのおかげよ、ありがとう」
目を細めて嬉しそうに笑う。
ああ、女神様も同じだ。
お店に来て、施術を終えたお客達が鏡越しに自分を確認し、変わった所を探して満足気に微笑む姿……僕達人間と変わらない。
神も同じように笑うのだな。
それも子供の様に純真無垢に。
「それはよかったですね」
僕も嬉しくなって、つられるように笑った。
「ええ、ほんと。すごくすごく……よかったわ」
二人の間に沈黙が流れた。
けれどそれは不快なものではなく、心地良い類のものだった。
「さて」
女神様が呟き、居住まいを正した。
頬を両手でこするようにし、
「願い事は決まりましたか?」
と告げたので、僕の願いを答えた。
「僕の望みは……明日を今年で1番の快晴に、良い天気にしてください。雲一つない、絶好のオープン日和りに」
「本当にそんな願いでいいの?」
「もう決めましたから」
「そう、あなたがいいのならいいのだけれど……では、あなたを元の世界に戻すわね。
またあなたを呼んで、お願いをしてもいいかしら?」
「ええ、また雨の日を晴れにしてくれるのなら」
「そんなの、お安い御用だわ」
くすくすと笑いながら目を閉じて人差し指を僕に向け、女神様が口をもごもごと動かした。
僕は、訪れるはずであろう眩暈にそなえて体を硬くする。
けれど、
「……あれっ」
女神様が焦ったように目を開けた。
口に手を当て、あわあわと挙動不審ななりをする。
そして、
「……ごめん、死んでるみたい」
「……はぁ」
何が? と聞き返すべきなのだろう。
けれど、頭がうまく働かない。
「ごめん……あなた、死んじゃったみたい」
どうやら死んでいたのは僕のようだ。
尋ねる前に答えをもらえた。
「えーと……」
女神様はかいてもいない額の汗を拭うようなしぐさをし、
「ごめんね、許してくれる?」
とてもいい笑顔で笑った。
僕は……、
「許せるわけないでしょうがっ!」
つい怒鳴ってしまったのは仕方がないだろう。
仮にも女神様に対してだというのに。
「だって、しょうがないじゃない」
責任を取れ、神ならば一人の人間ぐらい生き返らせてみろ!
散々っぱら捲し立てる僕に、女神様がふて腐れたように何度目かの同じセリフを吐いた。
「しょうがないじゃない、死んじゃったものは死んじゃったんだし」
ついにはツンと顎をそらして、そっぽを向いてしまう始末。
「僕を守っていた力はどうなったんですか? 安全だったんじゃないんですか?」
姿見の中には、大型トラックが突っ込んでグチャグチャに破壊された店がうつっている。
そして、その下敷きになりバラバラとなったシャンプー台の椅子。
その下からは真っ赤な血でできた小川のような流れ。
正直あまり見たくはない。
「あのお方に褒められて触れられて、嬉しくて……つい気が緩んで力を維持していたのを忘れて、消えちゃったみたい、つい、ついね」
「……」
「ほらっ、あるでしょ誰にでも。あー、ついやっちゃった、とか。つい忘れちゃって、とか」
「……」
何も言わない僕を見てまた口を開こうとし、それを呑み込むように口を閉じ……、
「ごめんね」
と呟いた。
沈黙がこの場を支配する。
さっきの沈黙とはえらい違いだ。
被害者の僕まで居心地が悪い。
はぁ、と大きく息を吐いた。
ビクリ、と女神様が身をすくませる。
なんだか、本当に自分が悪いような気がしてくるから困ったものだ。
「ねぇ、怒ってる?」
「……」
数十秒が経過。
「ねぇ、怒ってるの?」
「……」
また数十秒が経過する。
「……怒ってなくないけど、許しますよ」
先に耐え切れなくなったのは僕だった。
「しょうがないじゃないですか、死んじゃったんだし」
ため息をついて、その場に座り込んだ。
「あなたがつい、気を緩めてしまったんだから。そうなんでしょ?」
見上げるように視線を向けた。
「……そんなに意地悪な言い方しなくてもいいじゃない」
「意地悪に聞こえたのなら、あなたの中の罪悪感がそうさせたのでは?」
「ええ、そうね。そうですよー。どうせわたしが全部悪いんですよー」
拗ねるように口を尖らせる。
「それでっ」
「……それで?」
不思議そうに女神様が見返してくる。
「それで僕は、これからどうなるのですか?」
そう、問題はこれからのことだ。
例え死んでしまったとしても、まだ僕にはしっかりと意識がある。
これからのことを、きちんと話し合わなければならない。
もし輪廻転生という生まれ変わりがあるのであれば、少しくらいは次の人生に有利に働くようなお願いをできるのではないか。
いや、それくらい勝ち取ってみせる。
僕は心を奮い立たせた。
「そうね……まずあなたにはいくつかの選択肢があるわ。
一つ目、ここでわたしとずっと一緒に暮らす。
二つ目、わたしの管理する世界トリーティア、所謂異世界で暮らす。
三つ目、大人しく死んで生まれ変わりを待ち、次の生をまっとうする。
でも正直、三つ目はあまりオススメしないわね」
苦笑して付け加えた。
「何故ですか? そんなに悪いようには思えないのですが」
「だって」
「だって?」
「次のあなたの生まれ変わりはバッタよ?」
「三つ目、無しでお願いします」
「でしょうね。人間から虫はやっぱり嫌よね」
うんうんと頷く。
「さっきの願い事のかわりに、人間の男に限定して生まれ変わらせてもらうとかは? あと、できればそこそこ美形に」
しょうがないじゃないか、誰だって美形には憧れる。
「ごめんなさい、無理だわ」
「そうですよね、なら特に美形にはこだわりません。そこそこまともであれば」
「いえ、違うのよ。わたしはアチラの世界での生まれ変わりには干渉ができないのよ。どう言えばいいのかしら、そうね、管轄が違うの。わかるかしら」
「なんとなくはわかります」
そうか、ならば1か2を選ぶしかないのだけれど……、
「なら、異世界への移動でお願いします。できればこのままの体と知識等を引き継いでいきたいのですが」
「それくらいなら大丈夫よ。体は元の世界のあなたをベースに作り直すし、ちょっと手を加えることにはなるけれど、仮にもわたしは女神なわけだし……はい、これでいいわね。
他にも色々としてあげられることはあるわ。えーと」
女神様が人差し指を僕に向けてクルクルと回した。
「わたしの加護を付けておくわね。簡単に死んでしまわないように、ステータスも少しサービスしておくわ」
「ステータス?」
なんだかゲームの世界を連想してしまう。
「ああ、言い忘れていたけれど。あなたがこれから行く世界はあなたが元いた世界よりもわりと物騒よ。
だから死ににくいように、少しステータスをいじって強くしておかないと」
「た、例えば?」
「まず、文明はとても遅れているわね。あなたの世界に比べると物足りないどころではないと思うけれど。それは自分の目で見て確かめてみて。
ちなみに、人間以外にも別の種族がいて、人間と同じように暮らしているわ。
あとは、そう、魔物がいるわね」
「魔物?」
「そう、魔物ね。けっこう危ないわよ」
「いや、けっこう危ないどころか、遭遇した時点で死ぬと思いますが」
「だからさっきから言ってるじゃない。死ににくいように強くしておくって」
困ったように、眉を寄せられてしまう。
いや、僕が悪いのだろうか。
あまりにも説明が下手すぎる。
情報を整理する為に、ワゴンに立てたクランプからウィッグを外し、胸に抱きしめた。
髪の毛の手触りで、少しずつ心が落ち着いてくる。
「あらっ」
女神様の肩の上に、どこからか飛んできた一匹の小鳥がとまった。
身体は青く、長い尾だけが緑色だ。
ピピピッ、と小鳥がささやくと、
「大変っ、急がないと」
女神様が目に見えて慌てはじめる。
具体的には右を見て左を見て上を見て、最後に僕を見た。
「ごめんなさい、あのお方がここに来るみたい。
どうしましょう、なんの準備もしていないのに……わたし、変じゃない?」
髪の毛を指で梳こうとして空振りし、三つ編みの状態になっていることに気がついたようだ。
編み目もよれていないし、特に変なところはない。
すばやく確認し、
「大丈夫ですよ。どこも変じゃないです」
「そう、よかったわ。」
頭上に3匹の小鳥が飛んできて、ピピピ、ピピピと二回鳴いた。
「やだ、もういらしたの。すぐお通しして」
困ったように、ただそれよりも嬉しそうに女神様が伝える。
「ごめんなさい。またすぐに呼ぶから」
右手の人差し指を僕に向け、クルクルと指を回したのだった。
そして……、