198.美容師~黒い子の正体を考える
出て行った時と同様に、小走りでマリーが戻ってきた。
その手にはお皿に入ったミルクと布。
「ソーヤさん、とりあえず椅子に座って下さい。ええ、そのまま抱いていて下さい。わたしがミルクをあげてみますから」
隣に座ったマリーが、布にミルクを浸して軽く絞り、黒い子の口元に優しく触れる。
「ダメですね。ミルクを舐める元気もないのかもしれません」
口の回りをミルクを含んだ布でチョンチョンとつつくが、口は固く閉じられたままで開かない。
「かして。僕がやってみる」
黒い子の顔が上を向くように抱き直して、マリーから渡された布で口の回りを刺激してやる。
「飲んで、飲むんだよ」
声をかけながら、何度も何度も繰り返す。
「飲まないと死んじゃうよ。お願いだから、ちょっとでもいいから飲んで」
そっと手が伸びてきて、マリーが黒い子の背中を優しく撫で始めた。
「そうよ、美味しいミルクよ。良い子だから飲みなさい。怖くないわよ。もう安心していいのよ」
続けて、というようにマリーが目で訴えてくるので、布にミルクを浸しては黒い子の口元に持っていく。
母親の乳と勘違いしてくれればいいのに。
そう思い、ふと気がついた。
ミルクが冷たいからいけないのかな?
本物はもっと温かいはずだ。
布をお皿の端に置き、手の平をお皿の裏にあてる。
そしてドライヤーの魔法を使う原理を利用して、ミルクを温めてみた。
何をしているのか、とマリーが見てくるがそのまま続け、温めたミルクを黒い子の鼻先に持っていく。
すると、薄らと目を開けた黒い子が弱々しくも舌を伸ばして布のミルクを舐めてくれた。
温めたことで、ミルクの香りがしたのだろう。
本能的に母親の乳の匂いを連想したのかもしれない。
そこからはさっきまでの苦労が嘘だったかのように、黒い子は一心不乱にミルクを飲んでくれた。
この勢いではミルクが足りなくなるのではないか、そんな不安はあったが、ほんの少しを残して満足してくれたようだ。
自分の口の回りをぺろぺろと舐め、再び丸くなって動かなくなった。
「眠ったみたいですね」
「うん」
「これだけミルクを飲めるんだから、もう大丈夫だと思いますよ。それで、どうするんですか、この子?」
惰性のように黒い背中を撫でながら、マリーが聞いてきた。
「どうするって、何が?」
「ソーヤさんが面倒を見るんですかってことです」
「僕が? 面倒を見る?」
「他に誰が?」
うん、誰だろう?
「えーと、マリーとか?」
「わたしは無理ですよ。毎日ギルドの仕事がありますし、これでも結構忙しいんです」
「じゃあ、リンダさんかな。メェちゃんも喜んでくれるかもしれないし」
こんなことを頼めるのは、マリーの他には一人しかいない。
「簡単に言いますけど、そもそもこの子がなんなのかもはっきりしていないんですよ?
小さな子供に危険がないとも限りませんし。メイちゃんに何かあったら、ソーヤさん、どう責任を取るんですか?」
ジロリと睨まれてしまった。
厳しいことを言ってくれるが、マリーの言うことは最もだ。
そもそもこの子、豹だと僕は思っているけどどうなのだろう。
「マリー、普通種の豹って知ってる?」
「ヒョウですか? ヒョウってなんですか? わたしは聞いたことありませんが」
どうやら豹はこの世界にはいないみたいだ。
「この子の親が、そんな感じに見えたから」
「ヒョウ、ヒョウですか……やっぱり聞き覚えがありませんね。しかもここら辺にいるのなら、わたしが知らないはずはないですし」
唇のわきに指をあてて考え込んでいるが、検索項目にヒットしないようだ。
「なら、この子の顔に何かヒントはないかな?」
眠っているところを申し訳ないが、手の平の先を突っ込み、グイッと持ち上げてマリーに見えやすくする。
とても深い眠りのようで、起きる様子もなければむずがることもないので安心した。
「うーん……、何かに似ているような気はするんですが」
首を傾げてマジマジと見ているが、わからないようだ。
「ちなみに、親の毛の色は茶色っぽい感じだった」
「茶色ですか……茶色でこの顔……待って下さい。親が茶色なのに、どうしてこの子の毛の色は黒なんですか?」
「えーと、なんでだろうね? 僕にはさっぱりわからないや」
たぶん、突然変異の類だとは思うんだけど。
「親が茶色で子供が黒? それでこの顔?」
マリーはますます悩みを深めたらしい。
少しでも助けになればと思い伝えたのに、僕の行為は邪魔にしかならなかったようだ。
考え込んでいるマリーを横目に、僕は僕で膝の上で眠る生物について考える。
さて、こいつをどうしたものかと。
マリーにも断られ、リンダさんの家へ預けることは否定され、あとは師匠に頼むしかなさそうだ。
それにしたって、万が一この子が危険だとするのなら、そうすることも躊躇われる。
本来ならば自然に返すのが望ましいとは思うのだが、親に見捨てられた子供が一人で生きていけるとは思えない。
ましてやまだ赤ちゃんと呼んでもいいくらいの小ささで、ついさっきまで衰弱死寸前だったわけだし。
2人して個別のことで悩んでいると、コンコンと扉がノックされ、シェミファさんが部屋に入ってきた。




