196.美容師~助けを求めて走る
「……どうしてこうなった」
呟きながらも足を動かす。
≪脚力強化≫と≪心肺強化≫をオンにして、力の限り駆ける。
森を抜けて、ニムルの街の門が見えてきた。
腕の中には黒い塊がいる。
抱き上げたときには嫌がるように体を動かしていたが、ちょっと前からそれもなくなっていた。
微かに伝わって来る鼓動だけが、まだ生きていることを教えてくれている。
それがいつ消えてしまうのかわからなくて怖い。
豹の親子が立ち去ってしまった後、僕は動けないでいた。
手を伸ばした状態で固まり、そこから先に進めないでいた。
狼親子はそんな僕をじっと見つめていたが、先陣をきって子狼が近づき黒い豹の子供を鼻先でツンツンとつついた。
もしかして食べるのか?
瞬時にそんな言葉が頭の中に浮かんだが、子狼はペロペロと黒い豹の子供を優しく舐めはじめた。
だよね……食べないよね。
この状況で食べはじめられたら、思わず斬ってしまいたくなる自信があった。
けれど、それも弱肉強食の世界だと言われれば、僕には止める権利はないのかもしれない。
母狼と父狼も子狼と同じように黒い体を舐めはじめる。
その光景を眺め、彼らがこの子を育ててくれるつもりなのかと勝手に納得していた。
だとしたら、僕にできるのは栄養がつくような物を調達して来るくらいかな。
なんて決めつけて、
「何か食べるものを取ってくるよ」
声をかけ、その場を離れようとした。
したのだが、動かそうとした足が急に重くなった。
それは右足から始まり、続いて左足にも生じる。
なんてことはない、子狼が右足のズボンに噛みつき、母狼が左足のズボンに噛みついているだけだ。
なんだろう?
行くなといいたいのか?
見下ろす僕に向けて、父狼が「グゥアッ」と鳴いた。
それに続いて、母狼が「ウォフッ」と鳴き、子狼が「ウォン、ウォンッ」と鳴いた。
えっ、なになに?
わからないんだけど。
困惑する僕を見つめる3匹はそれで通じたとでも思ったのか、何故か背を向けて去っていこうとする。
「待って! ちょっと待ってよ! この子は!? この子も連れていってくれよ!」
慌てて彼らの前に回り込み、地面に横たわる黒い物体を指差した。
けれど、彼らは豹の子供に一度だけ視線を向けると、またそれぞれ一声だけ鳴いて、僕の横を通り過ぎていく。
そして人が肩を叩くかのように、すれ違い様に前足で僕の足をタシッと軽く叩いていく。
残された僕には、わかりたくないけれどわかってしまった。
彼らの鳴き声と行動の意味が。
『あとは任せた』
絶対にそんなようなニュアンスの行動と言葉だと思えてしまったから。
そんなわけで、僕はただひたすらに走っている。
あの場所で残された僕は、とりあえずとばかりに豹の子供を抱き上げはしたのだが、そこからどうすればいいのかわからなかったからだ。
わからないなりにも、腕の中の生き物があまりにも軽すぎて、今にもその鼓動を止めてしまいそうで、恐怖に駆られて衝動的に走り出したんだ。
でもその行動は間違っていなかったと思う。
誰かに相談するにしても、森の中よりかは街の中であるはずだから。
ならその相手とは誰なのか?
僕の頭に浮かぶ選択肢はそんなに多くはない。
なんせ、この街にいる知り合いは下手したら両手で足りてしまうくらいなのだから。
最初に浮かんだのは魔法の師匠でもあるイリス様。
蒼の魔導師なんて呼ばれるくらいだし、ファンタジーには欠かせない回復魔法だって使えるだろう。
そう決めつけ、門を潜り師匠の店へ。
店番に立っていたリンダさんに挨拶もせず、
「師匠は奥にいますよね? 急用なんで入りますよ!」
返事も待たずに駆け込んだ。
「あっ、ソーヤ!」
後ろから追いかけて来る声が聞こえるが、それどころではない。
部屋に飛び込むなり、腕の中の物体を突き出した。
「師匠! 助けてください!」
叫ぶように助けを求めたが、返事がない。
それもそのはず、いつもの定位置であるソファーの上はもぬけの殻で、部屋を見回しても師匠がいない。
こんな時にどこへ。
苛立ちを隠しきれず唇を噛み締めていると、追いかけてきたリンダさんが無情にも告げた。
「ソーヤ、イリスさんは出かけているよ。そんなに急いで何かあったのかい?」
出かけている、出かけているね。
うん、見ればわかるよ。
ここに師匠はいない。
だとしたら、どこへ。
「リンダさん、師匠はどこに行きましたか?」
追いかけるしかない。
そう思って尋ねたのだが、
「あたしにはわからないよ。どこに行くとは聞いてないんだ。夜まで戻らないから心配はいらない、とは言っていたんだけど」
申し訳なさそうに教えてくれた。
なんてことだ。
タイミングが悪すぎる。
でも、戻らないならばこのままここにいても仕方がない。
藁にも縋る想いで、リンダさんに助けを求めてみる。
「リンダさん、この子、死にそうなんですけど、どうすればいいですか?」
「なんだい、その汚いのは? 生き物なのかい? まさか魔物ではないんだよね? ソーヤ、あんたは知らないかもしれないが、魔物を街の中に入れたら大問題になるよ?」
「魔物ではないと思います。目が赤くなかったし」
リンダさんが確認するように覗き込んできたが、紫色の瞳はだうぶ前から閉じたままだ。
「あんたがそう言うならそうなんだろうけど……生憎あたしには何もしてあげられそうにないね。
生き物を飼ったこともないし、栄養のあるものを食べさせてあげるにしたって、まだこの大きさじゃ母親の乳を飲むくらいじゃないかい? 固形物を食べるのは無理だよね?」
「ですよね、ありがとうございます」
困ったように眉を寄せるリンダさんにお礼を告げ、次の人物を目掛けて走り出した。
読んでいただきありがとうございます。




