188.美容師~模擬戦の日程を先延ばしにする
「おいおい、いいのかよ。勝手にお前が決めて」
狼狽える僕を見て心配そうにグラリスさんが言ってくるのを片手を上げて遮り、マリーはケネスさんに一歩近づく。
「ただし、条件があります。
というか、ソーヤさんが本気で模擬戦をするのには対価が足りません。対価の追加を模擬戦を受けることの条件にさせてください」
「そうですか、女郎蜘蛛の魔核結晶丸ごと1個でもまだ足りませんか。いいでしょう、他に何が必要なんですか?
お金ならいくらかは準備できますし、私が取ってくることのできる素材であれば用意しましょう。遠慮せずにおっしゃってください」
「いえ、その前に少しこちらで相談をさせてください。
グラリスさん、ソーヤさんが得た部位は鋏角2本、足爪2本です。この部位はできることなら欲しいと言っていましたよね?
あとは魔核結晶ですが、丸ごと1個も必要なんでしょうか? わたしの記憶に間違いがなければ、たしか、爪の先分くらいあれば十分だと言っていたはずですが」
「ああ、お前の記憶に間違いはねーよ。あればあったで使い道はあるが、ことソーヤの為に限れば半分さえ必要ねーな。指先分くらいで十分足りる」
「ですよね、なら他に欲しいものはないのですか?
今、この場にある部位の中でソーヤさんの為に最高の武器や防具を作る為に必要なものはありませんか?」
「他にか……ああ、あるぜ。
勝手を言わせてもらってかまわねーなら、筋繊維と外皮、それに糸を少量でいいから欲しい。
それだけあれば残りは俺でどうにかしてみせる。今の俺に作れる最高の武器と防具を作ってみせるぜ」
「ですか……さて、ケネスさん、交渉といきましょう。
わたしが、いえ、ソーヤさんの代役としてのわたしが望む対価は魔核結晶の4分の1、それに筋繊維と外皮、あとは糸を少量です。それが揃えられるのならば、あなたの願い、望みを叶えてあげます。
さぁ、どうしますか? あとはそちらに任せますよ」
にっこりと笑うマリーに対して、ケネスさんはニヤリと薄い唇をゆがめるように笑みを作った。
「いいでしょう。少し時間をください。
いえ、そんなには待たせませんよ。だから今あなたが自分の口から出した言葉を忘れずに覚えていてくださいね」
マリーに対して話していたと思えば、ケネスさんは凄い勢いで弓矢作りをしていたクミンさんに向かって駆けていった。
話を聞かなくてもわかる。
きっとクミンさんが得るはずの報酬である糸を分けてもらう算段をつけるのだろう。
そのかわりとして、魔核結晶をどの程度渡すのかは僕には関係のないことだ。
筋繊維と外皮に関しても、残りの魔核結晶を分割することでなんとかするのだろう。
いや、なんとでもしてしまうのだろう。
今のケネスさんを止められる者は誰もいないはずだ。
皆、呆れたような目で、諦めたような生暖かい目で走り寄り声をかけるケネスさんに頷きを返している。
そんな光景を眺めている僕に、そっと近寄ってきたマリーが、
「勝手なことをしてごめんなさい」
眉間にしわを寄せて謝ってきた。
「でも、こんなチャンスはたぶんこれっきりだと思ったんです。それと、あとの交渉もわたしに任せてもらえませんか? なるべくソーヤさんにとって有利に進めてみせますから。
あの人への説明も謝罪も、ちゃんとわたしがつき合いますから」
ここまで言われてしまえば、僕に否と言えるはずはなく、心配そうに見上げてくるマリーに僕は一言だけ返した。
「わかった。全部マリーに任せたよ。あと、ありがとう。いつも、今回も」
たった数分でマリーの求めた全ての部位を僕の前に並べたケネスさんに対して、
「たしかに……ではこれで交渉は成立ということで――」
「よし! じゃあ、やろう! どこでやる? ああ、ここでいいか。
みんな、できるだけ離れてください! 近くにいて流れ弾があたっても責任は取りませんよ!!」
目をギラギラと輝かせ、興奮して早口で退避を促すケネスさんに、マリーは気丈な態度でこう告げた。
「待ってください。誰が今すぐにやると言いましたか? 模擬戦は今ではなく別の日に行います。日時はこちらから追って連絡しますので楽しみにお待ちください」
「どういうことですか? まさか……私を謀れると思ったならそれは簡単なことではないと思い知ることになりますよ?」
一転して剣呑な表情を浮かべるケネスさんに対して、マリーはギルドの受付に立っている時のような笑顔を張り付けて対応する。
「いやですね。今日はお休みなのでオフですが、わたしは冒険者ギルドの職員でもあるんですよ? そんなわたしがCランク冒険者であるケネスさん、あなたを口先だけで騙すとでも?
ましてや報酬だけ先に受け取っておいて約束を違えるとでも? 見損なわないでほしいですね」
「そうですね……これは失礼なことを口走りました。ではあなたを、冒険者ギルドの受付嬢としてのあなたを信じることにしましょうか。
それで? 模擬戦はいつ行うのですか? 今日でないなら明日ですか? それとも明後日? もしかしてのらりくらりと伸ばして煙に巻くつもりでは?」
信じると言ったばかりなのに、また疑いの眼差しを浮かべるケネスさん。
2人とも表情がころころ変わって、すでに僕にはついていけない。
「それこそ、まさかですね。
ケネスさん、聡明なあなたが何故わからないのですか? もしかして気がついていないのですか? あなたの前にいるソーヤさんをよく見てください。
ダメですか? まだ気がつきませんか? ならわたしが教えてあげましょう。
武器は? 女郎蜘蛛との戦闘で全て無くしていますよね? ソーヤさんは武器を持っていますか?
防具は? 新しいものを身に着けてはいますが、まだ調整も何も終わっていません。
わたしとソーヤさんは今日、デートの延長でここに訪れていたのです。武器もなく防具も万全ではないソーヤさんと、あなたは模擬戦をしたいのですか? それでソーヤさんが本気を出せるとでも?
それに魔法使いであるあなたなら、わたしよりも知っているはずです。ソーヤさんはまだ杖を持っていません。魔法を使う為の発動体を持っていないのです。
ですからソーヤさんが全力で戦う為の準備ができた段階で模擬戦の日時を決めようとわたしは相談しているつもりだったのですが……ああ、別にあなたが不完全な状態のソーヤさんとの模擬戦で満足できるのならわたし共としてはそれもひとつの案として考えさせていただきますが――」
「別日でお願いします!!」
ケネスさんはどこから出したのか不思議なくらいの大きな声でマリーの言葉を遮ぎるのだった。
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