167.美容師~女神様の頭を撫でる
「ソーヤ君、無理なことを言っていたようでごめんなさいね」
リリエンデール様からの声は、わりと早くに訪れた。
まだ1分も経っていないと思うのだけど。
もしくはそれだけの時間があれば十分だったということなのか?
「終わりましたか?」
僕には何も見えずに心にも何一つダメージがなかったので、取り乱して泣く必要はなかった。
おかげで恥ずかしい姿を見せることはなかったが、そのかわりに少しのナニカが心の片隅に沈殿してしまったようだ。
ソレは……うまく言葉にはできないもの。
けれどあまり良いモノではないのは、なんとなく理解できた。
「終わったというか、始めていないわよ。
ソーヤ君の頭の中を覗くのはやめたわ。あと体の硬直も解いたから、もう動けるようになっているはずよ」
僕には何も感じさせないようにしたので、ばれないと思って嘘をついている?
胸の奥がチクリと痛みを発した。
その場所は、先程ナニカが沈殿してこびり付いている場所だ。
「それで……何か面白いものを見つけることはできましたか?」
もう一度カマをかけてみることに。
「ええと、だから見ていないわよ。疑っているのかもしれないけれど、本当に覗いていないわよ。だって、ソーヤ君、覗かれたくなかったんでしょ?」
覗いていないのか?
本当に?
だとしたら、あの空白の時間はなんだったんだ?
わからない……やっぱり嘘をついているのか?
一度芽生えてしまった疑う気持ちを消せずにいるのがわかったのか、リリエンデール様がため息交じりに心の内を吐露してくれた。
「昔からどうしてもダメなのよね。
気になると、気になり過ぎると手段を選べなくなってしまうの。その相手がどんなに大事な相手でも、どんなに大切にしたいと思っていても、無性に我慢ができなくなって……時には傷つけてしまうの。
もちろん、あとから後悔はするのよ? でもね、ダメなの。一度気になってしまうと無理なのよ。
自分ではどうしても我慢ができなくなってしまうの。悪い癖よね、ほんと」
悲しそうに目を細めて自嘲するように笑う。
自分でもダメだとわかっているのに止められない。
そして、大切な誰かを傷つけ、自分の好奇心だけは満たされるが、あとから必ず後悔をする。
それは……まるで呪いようなものではないか。
才能と好奇心を司る女神リリエンデール。
その本当の姿は才能を司り、同時に好奇心という名の呪いをも司る女神ということか。
どうしてそんな体質に、というかそんな役回りを持つ存在になってしまったのだろう。
それを聞くべきか否かと問われれば。
もちろん聞きたい!
僕の頭の中でも『気になります!』が少しずつ声を大きくしている。
けれど、それをこの女神様の口から説明させるということは……今以上に、彼女を悲しませることにしかならないとわかってしまう。
でも、でも!
知りたい!
聞きたいんだ!
だって、僕はとても気になっている。
気になってしまっている!
それこそ、夜も眠れなくなるかもしれないくらいに。
ダメだ。
我慢しろ。
男だろ? ソーヤ!
ポーン、
【スキル 好奇心耐性のレベルが上がりました】
頭の中を突風が通り過ぎたかのように、一瞬ですっきりとした。
今のうちに別のことを考えよう。
すぐさま話の内容を切りかえよう。
じゃないとまたすぐに来るはずだ。
僕はそれを知っている。
だって、僕の持つスキルよりも遥かに上位なあのスキルが動くはずなのだから。
ピッピッピ、頭の中で音がした。
ほら、きた。
やっぱりだ……。
【女神リリエンデールの加護により、スキル好奇心耐性が打ち消されました】
やはり好奇心の加護という呪いは、スキル好奇心耐性の効果を認めないということか。
どういうことなのだろう?
いったい何の為に、こんな状態になっているのか。
いや、今はいい。
今はダメだ。
このことについてはこれ以上考えてはいけない。
話を変えるべきだ。
それでも、どうしても僕の口はこの言葉を吐き出してしまう。
これだけは知っておきたいんだ。
「どうしてですか? あんなにも覗きたいって言っていたのに」
「だって、ソーヤ君、すごく嫌がっていたし、やめたわ」
「やめたって……なら、僕に指を向けたままで何をしていたのですか?」
「うーん、とりあえずソーヤ君にかけた硬直を解いたんだけど、その先の自分の行動が決められなくて……正確に言うと、悩んでいたのかしら。
覗きたい! と思う自分とやめなさい! って止める自分がいて……それについて考えていたのよ」
「何を考えていたのか聞いてもいいですか?」
「ソーヤ君、言ったじゃない。『泣きますよ』って。しかも、さっきよりも酷く取り乱して『泣きわめくかもしれません』って。それをね、考えていたの。
考えて考えて考えて考えて……我慢することにしたわ。だって、あの時よりもっと悲しそうに泣かれたら、わたしはあなたを慰めきれる自信がなかったから。そうさせてしまった自分を許せそうになかったから。
だから我慢したわ。すごく、すごく頑張ったのよ? 偉い? 褒めてもいいのよ」
そう言って微笑むリリエンデール様の頭には、自然と僕の右手が伸びていた。
あの空白の時間で、リリエンデール様は自分自身と戦っていたのだとわかった。
僕自身で経験しているからこそわかる。
頭の中で鳴り響くコエ。
それは次第に大きくなり、精神を掻き乱し冷静な判断をさせなくする。
全てが好奇心という名の鎖に囚われ、その目的以外に対してはどうでもいい気持ちにすらなってしまう。
リリエンデール様の告白の通り、やはりあれは一種の呪いなのだ。
それを自らの力で跳ねのけた彼女に対して、僕は褒めてあげたかったのだと思う。
アレに抗うのは、とても辛いはずだから。
目を閉じていたからわからないが、歯を食いしばっていたかもしれない。
見えない部分で必死に対抗したのだと想像できてしまう。
あ、ほらっ、握られた拳の隙間から小さな赤い雫が垂れている。
きっと手の平を傷つける痛みすらをも利用して、自らを押しとどめたのではないか?
それは……記憶を覗かれるのが嫌だと言い張る僕の為だ。
優しく緑色の髪の毛を撫でている自分に気がついた。
元の世界でカットの間に動きたいのを我慢して、頑張って座り続けた小さな子供を褒める時のように。
マッドウルフとの戦闘を恐怖に怯えつつも乗り切ったメェちゃんを慰めた時のように。
何度も何度も、ただただ優しく女神様の頭を撫で続けていた。




